動物病院 豊島区 東京都 久山獣医科病院

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動物病院 東京都 久山獣医科病院

2017年10月12日午前6時 逝去
 10月9日、14:09、母が逝去しました。先週から食欲がなくなり水曜日に多臓器不全の告知を受け、胃瘻チューブや透析、輸血などの高度医療の提案を受けました。これらの治療の必要性や有効性はもちろん承知しておりますが、父の時と同様、極力日常生活に近く、母らしく、そして人としての尊厳を保つことを重視し、全て行わないこととしました。

 そのうえで、早ければ数日、長くとも今月いっぱいとの宣告を受けました。僕は次にいつ会えるかわかりませんから、その水曜日にお別れをしました。決して辛そうな顔をしておらず、顔を撫でると気持ちよさそうに擦り寄ってくれました。穏やかな寝顔に、僕が救われました。

 驚くことに、翌日は寝たきりを覚悟していたのに車椅子で過ごせ、さらにはお見舞いにみえていただいた方のお土産の水羊羹を口にしたとのこと、またもや母の奇跡の復活か、無理とは分かっていましたがちょっと期待してしまいました。ただ、そのおかげで家族は明るくなりました。

 亡くなる当日も、朝と昼には少し水羊羹を口にして、そしてその昼食中にゆっくり目をつむり、そのまま逝ってしまいました。昨年の容体の悪化時は、大好きな柿を口にして元気になりましたので、妻が柿を探してくれましたが、間に合いませんでした。徐々に容体が悪くなること、夜間の急変、そういう事態を予想していましたので、僕にとってはあまりにもあっけない、だけど苦しまず食べながらの最期なんて、母らしくそして幸福な最期であったと思います。

 それにしても、今まで何度も死を覚悟しなければいけないことを繰り返し、皆が驚くほどの回復力を見せ、奇跡って何度起こるのだろうと思わせてくれた母でした。今回はその母の強さが彼女を苦しめないか心配していましたが、杞憂に終わりました。眠っているように見える穏やかな母の顔、皆救われました。そして彼女の生涯が素晴らしいものであったのだと、思える顔でした。
 
 母がくれたこの1週間は、僕らが準備をする時間に、いろいろな方たちとお別れをする機会に、そして覚悟をするタイミングをくれました。亡くなった後も弔問の方におみえいただき、以前にお世話になった職員の方たちにもお悔やみをいただき、本当に皆さんに愛され支えられた母であったのだと、再度実感しました。

 僕が研究生時代に自宅で母は心肺停止、僕が蘇生しました。以降、何度救急車に乗ったことか、入院して集中治療を受けたことか、その度に看護や介護を頑張ってくれた妻には感謝の言葉もありませんが、支えてくれたスタッフや知人の方たち、病院や施設の方たち、そして家庭を顧みなかった父の献身、全てに感謝しています。

 認知症の介護が始まって20年弱、認知症の発症は重度の脊椎疾患による行動制限と痛み、そして動物病院や家庭を守るために費やした心労のためでした。そして、僕が開業してからは、少しでも母を楽にしようとお手伝いしてもらうことを減らしたことも、それを助長したようです。母の口癖は、「夜に電話やインターフォンが鳴ると、急患と思いドキドキする」ということでしたので、少しでもそういう生活から解放してあげたかったのですが、むしろ仕事をしていた方が良かったのでしょう。実際、父は倒れる前日まで午前中は診療に付き合ってくれ、ずっと元気でしたからね。

 少しでも自力で歩くこと、これが母の命題でした。無理にでも外に連れ出すと、初めは文句を言っていても帰宅するときはにこやかな顔でした。時に厳しい家内には、時に悪口をご近所に言いふらし、母も昔は同じだったのになあと彼女の衰えに悲しく思った記憶があります。

 転倒から骨折、認知症の悪化という図式はよくある経過ですが、在宅での介護を続けたいという想いはあっけなく終わりを迎えました。施設探しは大変な苦労がありましたが、母の明るい性格が良い施設との出会いを作ってくれました。身体機能では施設の基準に満たなかったものの、母ならばと近隣のグループホームが手を挙げていただけました。

 学生時代に寄宿舎で集団生活をしていた母は、自由な雰囲気と自主性を重んじる施設の陰で、元気で若返ったようでした。認知症もありましたが、言葉も熊本弁にいつの間にか戻っていました。元気で快活なイメージの母ですが、本当は心配性で強がり、実は気遣いや気配りに縛られ、苦労していました。母にとっての認知症は、実はそういう苦労から解放される機会になったと思っています。

 5年くらい前からは会話もままならず、僕のこともおぼろげに分かる程度になりましたが、でも元気に力強く生きてくれた母は、僕らの支えでもありました。離れていても、介護の苦労があっても、やっぱり母は母、母が他界して楽になったなんて気持ちは全く生まれてこず、ただただ寂しい限りです。

 動物病院に生まれ、親の死に目に会えない仕事だということは肌で感じていましたし、その覚悟はできています。家族よりも患者さん、これは今でも僕の口癖です。ただ、2年前に父を、そして今は母を亡くして、亡くなるときには立ち会えたことは、とても幸福だと思っています。ただ、今日は火葬場への出棺でしたが、緊急の手術があり、15分間に合わず見送れませんでした。まあ、お袋はあるあるだと笑っていると思います。

 父と母のターミナルケアを通して、再度生命や看取りについて考えさせられました。2人のターミナルケアは極力日常生活に近く、そして人としての尊厳をを重視しました。結果、幸福そうに旅立つことができたと思っています。ただ、自分の決断で死期を早めたであろうことは、事実であり、自分独りで背負うべきものであり、でもやはり心中に今でも大きく澱のように残り、今も思う度に堪えます。

 獣医師になったことで、できたこと考えられたことがたくさんあり、父母の最期を通して日常の診療でのターミナルケアへの自分の意識や姿勢が間違っていなかったことを確信しました。基本、父や母にどうするか、それは日常の診療での犬や猫たちに対する考え方と同じでした。獣医師になった自分を認めてくれるなら、このような看取りも認めてくれていると感じています。

 13日は、母の葬儀のためご迷惑をおかけします。すみません、最期のお別れをさせてください。


2017年9月13日午前2時半 抗生物質について
 動物の身体は、細菌感染や可能に対して防御能が弱く、また細菌が感染巣に遺残しやすく、一度感染が起こると容易に身体から排除できません。併せて体調不良や疾患の際は、免疫力が低下しており、さらに感染防御能が弱くなります。そのため、抗生物質(抗菌薬)は人医に比べて長い投与期間が必要となるため、疾病毎の効果や長期投与の安全性、特に耐性菌の出現や菌交代現象や副作用の予防など徹底して考えて投薬することが原則となります。この原則を守って行われる抗生物質投与は、決して危険なものではなく、安全であると言えます。

 例えば、細菌感染による皮膚炎や膿皮症、膿痂疹は、軽症や浅在性の場合でも症状が治まってからさらに2週間の抗生物質投与が完治に必要であり、重症例や深在性の場合はさらに4週間の抗生物質治療が推奨されます。細菌性膀胱炎や胆管肝炎、胆嚢炎でも、軽症であっても最低3〜4週間の抗生物質投与、さらに前記のように症状が落ち着いた後にも長期の抗生物質治療が推奨されており、これらを怠ると大半の症例で疾患の再燃や再発、慢性化、難治性化が起こります。

<抗生物質の強さ>
 抗生物質はよく強弱で語られますが、厳密には抗生物質を単純に強弱で比較することはできません。しかし、下記のような考え方ができます。

@抗生物質によって細菌の増殖を抑制することのできる最小濃度をMIC(最小発育素子濃度)と言います。抗生物質の濃度が低ければ、当然最近の増殖を抑えることはできず、逆に抗生物質の濃度が高いほど最近の増殖抑制作用も強くなります。そのため、このMICが少ない薬剤ほど少量で細菌の増殖を抑えるということとなり、抗生物質の作用が強いといえます。ただし、このMICはそれぞれの細菌の種類によって異なり、全ての細菌に対してMICが低いという抗生物質は存在しません。
  また、このMICはあくまで生体外での反応であるため、抗生物質の薬物動態に左右される体内との反応とは異なります。そのため、このMICのみで単純に抗生物質の強弱は比較できません。

A抗生物質には、静菌作用(微生物の発育・増殖を阻止する作用)と殺菌作用(微生物を殺滅する作用)という作用機序があり、作用によって2種に大別されます。ただし、殺菌作用のある抗生物質が静菌作用のある抗生物質に比べて強いということはありません。

B抗生物質には抗菌スペクトルというものがあり、有効な細菌の種類と数が分かっています。いろいろな細菌に効果を有する場合、広域スペクトルと言われ、特定の細菌にのみ効果を表す抗生物質は、狭域スペクトルと言います。ただし、多くの細菌に効果を有することが抗生物質の強弱とはなりません。

C投薬回数は、その抗生物質がどの程度の時間、薬効濃度で体内に残り効果があるか、ということで決められます。そのため、回数が少ないから強力であるということはありません。

D抗生物質の血中濃度を考えるとき、ある一定の薬効濃度を長時間維持することで効果を発する抗生物質(時間依存性)と血中濃度が高いほど効果が高くなる抗生物質(濃度依存性)があります。濃度依存性抗生物質が強いという訳ではありませんが、1回の投薬量の最大化と投与回数の最小化によって、耐性菌の出現を抑えることができると考えられています。

<抗生物質の選択>
 感染症を引き起こす細菌は無数にあり、治療に使用する抗生物質にも多くの種類があり、膨大な数となります。前記のように、抗生物質が作用する細菌は異なり(感受性が異なる)、感染症ごと、原因菌ごとに適切な抗生物質を選択しなければ治療はできません。ただし、この原因菌をすぐに特定できないことが大半であり、そのため抗生物質を選択するには、いろいろな考え方が必要となります。

〇感染部位により原因菌が予測し、その原因菌に効果のある(抗生物質感受性のある)可能性の高い抗生物質を選択します。

〇抗生物質の体内分布と組織移行性などの薬物動態(吸収・分布・代謝・排泄)を考え、その感染部位へ効果を発揮しやすい抗生物質を選択します。

〇抗生物質での治療を行う場合、上記のように原因菌の予測と組織移行性を考え、その2つの要素を満たす抗生物質を選択します。この時、できれば上記Bの抗菌スペクトルを考え、できるだけ狭域スペクトルの抗生物質を使用することで、耐性菌の出現を抑えるようにします。

〇病変部より原因菌を採取し、細菌培養検査および抗生物質感受性試験を行うことで、適切な抗生物質を選択する条件のうち、感受性と抗菌スペクトルからの選択が可能となります。

〇耐性菌は、特に複数の薬剤に耐性を獲得した細菌やウイルスなどの病原微生物である多剤耐性菌が大きな問題となっています。この原因は、病原微生物の突然変異によるものですが、実際には薬剤の長期使用や濫用、誤用、コンプライアンスの不遵守によって起こることが知られており、しっかり考えなければいけません。医療の質が問われています。

〇この耐性菌は、動物個体の生命に関わることになり、その時病気が治っても後々に影響することとなりますので、ただ治すのではなくしっかり治すこと、そして最良の状態に治すことが大切です。また、これらの耐性菌は動物個体の問題ではなく、環境にも影響するため、他の動物および人にも大きな問題となります。

〇実際に感染症を治療する際、地域によって原因菌が異なることが分かっています。これは、風土や環境も関わっていますが、その地域の薬物治療の内容が大きく関与しています。例えば、抗生物質の選択を改善することで、肺炎球菌が撲滅された地域もあります。

<エンピリックセラピーとディ・エスカレーション>
 前記の考え方では適切な抗生物質の選択が難しいこともあり、また予想外の原因菌である疾患であることも少なくなく、結果的に適切な抗生物質が選択されていないために治療が正しく行われないこととなる場合もあります。特に重篤例や緊急時、容体が悪化している時、早急に治療が必要であるような時、動物の負担や苦痛を和らげられないばかりでなく、治癒も不可能となり、致命的になってしまうこともあるため、広域スペクトルの抗生物質を使用します。ただし、薬剤の副作用や耐性菌の問題となるため(実際には、この治療のために現在問題となっているMRSA、VRSA、VISA、VRE、PRSPなどが出現することとなりました)、これらの治療を繰り返すのではなく、初期治療と最適治療を分け、抗菌治療を最大限引き出しながら、副作用や耐性菌の出現を抑えるようにします。

〇エンピリックセラピー(経験的な治療):初期治療
 感染症を発症した時、基本的には原因菌を特定して治療を開始することが原則ですが、原因菌の同定まで時間がかかるため、原因菌の予測と薬物動態を考え、原因菌に感受性のある可能性の高い広域スペクトルの抗生物質を使用します。

〇ディ・エスカレーション(最適治療)
 原因菌が判明することで、最適な抗生物質の選択が可能となります(もちろん薬物動態を考慮します)。この際には、主に狭域スペクトルの抗生物質を使用します。この選択により治療の最大効果(原因菌に対して大きな効果があるため、早期の治癒が期待できます)が得られるだけでなく、薬剤の副作用の軽減(特に腸内細菌の乱れ)や耐性菌の出現抑制(薬剤の使用量の減少と治療期間の短縮による)が可能となります。

2017年9月7日午前3時半 お薬について〜改訂版〜
 当院では、主に人医用の医薬品を使用することが多くなります。そもそも、日本で認可されている動物用医薬品が少ないことがその原因ですが、人医薬でも投薬が難しいもの、製品がないもの、剤型が不適当なもの、高価なものなどは使用が難しく、このような場合は日本および海外の動物用医薬品や海外の医薬品(海外の製剤は、厚労省や農水省の許可を個々にいただきます)を使用します。

 もちろん、これらの医薬品や海外の医薬品、動物用医薬品は、動物への安全性や有効性が認められている薬品であり、日本に同等の動物用医薬品がないものに限られます。もちろん、できるだけ動物用医薬品を使用することが理想ですが、必要な薬品のほとんどが日本では動物用としては製造・認可されていないのが現状です。

 薬品には、元々人医用も動物用もあるわけではなく、全て同じ成分・品質です。動物用医薬品とは、国に認可されている薬品を指しますが、日本ではまだまだ小動物獣医療が重視される環境になく、国の認可制度や開発コスト、市場規模なども関与し、動物用医薬品の開発や製造が少ない状況です。また、動物に使用できる薬効成分や適性投薬量、投薬適合性などの調整は、非常に難しいものとなります。

 薬物治療は、身体にとって有効な薬効が役に立つ医療や獣医療の中心的な治療法です。しかし、薬剤は身体にとって負担や有害となる副作用や過剰投与というものもあり、できるだけ薬剤は使用しないという考え方は医療や獣医療の基本です。しかし、投薬の危険性よりも病気の負担や苦痛の方がはるかに危険であることが多く、薬物治療を行わずに疾病を放置する危険性は高く、やはり薬物療法は重要な治療ということになります。

 例えば、動物の自然治癒力を過大評価し、「自然治癒力に任せるべき」という議論が時折なされますが、根本的に自然治癒力では抗しきれないから病気になるわけですから、この治癒力をすべて否定するつもりはありませんが、過度の期待をかけることは動物を苦しめるだけでなく、生命の危険にもつながります。この低下した治癒力をどのように助け、そして高めてあげることができるか、高められないのであれば今後の補填をどうするのか、これが治療の原則です。

 また、犬や猫たちに動物ということだけで動物の強さを期待される方もいらっしゃいますが、動物は人に比べて優れた部分をたくさん持っていますが、今の社会ではむしろ弱者でもあります。また、野生動物としてではなく人と共生する現状では、強い種だけが淘汰されている野生動物とは大きく異なり、適者生存ではなく弱い個体も幸福に生きていける動物福祉の元の生存です。このような状況で、本来動物が持っているべき治癒力だけに頼るのは、危険な発想であると言わざるを得ません。

 薬物治療の原則は、薬剤の特性をしっかり理解し、薬効や薬用量、調剤方法、副作用、投薬禁忌、併用禁忌薬などを熟知し、適切に処方することであり、特に薬品自身の危険性と濫用・誤用のリスクに注意し、これらを徹底することで薬物治療のリスクは最小限にすることができます。ただし、薬物治療の危険性は、実は薬剤の処方よりも処方された後の投薬の状況にあることが多いのも事実です。

 病気の相談を受けた際に、必ずするアドバイスは、治療や投薬を獣医師の指示通りに行うこと、疑問や不安があればしっかりと主治医と相談すること、特に自分や周りの意見、情報などは大切にしつつそれらに惑わされることなく適切に取捨選択し、これも迷った時はしっかり相談すること、この2点です。このような相談の中で、病気の悪化や治療の効果不足はこれら2点ができていないことが原因になっていることが多いです。本来は、このようなお話もインフォームドコンセントであり、前もって主治医から説明されていないことも多いのですが。

 そのため、最近では投薬コンプライアンスが大事であるという考え方が普及してきましたが、実際には世の中にお薬という存在が現れたときからこのコンプライアンスは、守らなければいけないことです。投薬コンプライアンスとは、医師や獣医師の指示通りに正しく投薬することで、決められた「量・時間・期間」を守って確実に投薬を行う「投薬遵守」を言います。このコンプライアンスについて、説明をする機会が多いのですが、これを理解していないことが治療の失敗や副作用の発現を助長してしまうと言っても過言ではありません。

 動物への投薬量は、人のように成人、小児、幼児などの区別ではなく、基本的には体重や体表面積から算出しますが(体重が100g違うだけで投薬量も異なります)、動物種や年齢、代謝、体質、体調、病状、疾患、薬品の種類などによって全て異なります。また、薬剤によって全ての薬用量は大きく異なり、同じ薬剤でも使用目的によって薬用量は変化します。同じように薬剤の副作用や使用禁忌、使用する剤型や投薬方法も上記の通りに異なります。

 一般的には、犬や猫でも使用する薬剤は異なることもあり、薬用量も投薬量も異なります。特に種差や品種差、年齢差は要注意で、犬に投薬できても猫では禁忌、あるいはシェルティ種は禁忌というようなことも少なくあります。また、同じ薬剤でも使用する年齢で大きく変わることもあります。

 最近では減りましたが、今でも時折ご自身の医薬品を減らして動物に投薬される方がいらっしゃいますが、これは誤用であるだけでなく非常に危険なことです。薬品によっては、人の数倍も服用しなければ効果の出ないものや数十分の一の量でも毒性が出る薬品もあります。

 薬品の効果は、効果のある薬品量が体内あるいは患部にいきわたった時の濃度(薬効濃度)と持続時間によって左右されます。効果が認められる濃度を持続させられるか、これが薬用量と投薬回数を決める根拠となります。簡単に言えば、服薬量が少なければ薬効濃度に達することはなく、服薬回数が少なければ薬効濃度を持続することができません。これらは、点眼薬や点耳薬、点鼻薬、外用薬なども同様です。

 例えば、1日2回、1錠ずつ服用する薬品があるとします。この情報だけで、この薬品は1錠より少ない服薬量では効果が出ないこと、薬効の持続時間は半日くらい、ということが分かります。投薬量や回数が少なくなれば、薬剤の有効時間も短くなり、薬剤が効いている時間と効いていない時間=病気が治っている時間と悪化しているあるいは治っていない時間、ということになり、薬効時間が持続できなければ薬効は半減するばかりか全く発現しないことも多く、薬剤耐性の発生や副作用の発現、病状の悪化も考えられます。もちろん、投薬量と投薬回数を多くすることは、薬効も強化されることもありますのでそのような使用もありますが、副作用や毒性の発現の可能性も大きくなることに留意する必要があります。

 投薬量や投薬回数を少なくすれば、少しだけ効く、優しく効く、などというようなことはなく、全く効かない、あるいは薬品耐性ができやすいなど必ず問題が起こります。

 投薬期間は、あくまで病気や病状がしっかり治るまで、しかも治りきって再発や再燃、悪化が起こり得ない状況まで、しっかり行う必要があります。最初に症状が改善しても、あくまで薬剤の効果で良くなっているだけで、これは治癒ではなく緩和であり、ここで投薬をやめてしまうと症状は再燃します。だいたい症状が消失してから1〜2週間の投薬が必要と考えられていますが(例えば胃腸薬や抗生物質など)、病気の種類や病状の重篤度、慢性および難治性疾患などはより4週間あるいはそれ以上の長期の投薬が必要となります。このように、早期に薬物治療をやめてしまうと病気の再燃や再発ばかりでなく、薬物治療への耐性の獲得によって後の治療にも影響しかねません。また、病状も再燃と悪化を繰り返すことで徐々に疾病は進行していき生命に関わることとなり、そこまでの進行がなくともさらに疾患の慢性化や難治性化を引き起こします。ただ治すだけではなく、最後までしっかり治すこと、最良の状態に治すことが最も重要です。

 また、薬剤によってはリバウンドを起こすものもありますが、このリバウンドは薬剤の性質のために起こるもので、副作用ではなく正しく使用すれば何ら問題はありませんが、急な投薬中止によって起こります。このようなリバウンドは減薬や多剤への移行で十分防ぐことができます(副腎皮質ホルモンやH2ブロッカーがこれに当たります)。もちろん、薬剤にはリバウンドがないほうが良いのですが、残念ながらこれらの薬剤の効果は非常に優秀で、他に代わる薬剤がないためやむを得ない部分があります。

 このように、薬剤を使用するにあたってこのコンプライアンスを守らなければその効果は表れないばかりか、デメリットが大きくなってしまいます。ご自身の判断で投薬量や回数、期間を変えてしまう方がいらっしゃいますが、実はむしろとても危険なことです。また、安易に投薬や服薬をすることも危険ですし、薬剤に対して必要以上に不安を抱いたり、その気持ちのまま投薬を続けることも決して良い結果を生みませんので、このような場合は必ず主治医と相談してください。

2017年8月31日午前0時半 在宅での皮下点滴治療
 皮下点滴をご自宅で行うことは、決して100%安全ということではありませんが、飼い主さんの努力と獣医師や動物看護師との連携で、その安全性は確保されますし、リスクを冒してでもどうしても必要なことがあります。その理由は、遠方の方やご高齢の飼い主さん、その他飼い主さんのご事情などでこまめに通院が難しい場合や病状の重さや動物の性格など通院が動物の負担になる可能性が高い場合です。その際には、必ず在宅治療のリスクと定期的な通院の必要性をお話しします。なぜなら、このような在宅ケアを選ばなければいけない動物ほど、本来は通院していただく必要があるからです。

 そもそも皮下点滴は、一般的な投薬や食事療法などの内科治療で維持が困難な場合や病状が重篤な場合に行われる治療法であり、主には体調不良や脱水症状、尿毒症の改善を期待して行います。そのような場合は皮下点滴という治療だけではなく、問診や診察、定期的な検査による体調や病状の把握、予後の判定が逐次大切になるからです。

 皮下点滴が必要になる疾患は特に慢性疾患であり、入院治療である静脈内点滴や高カロリー輸液を必要としないかあるいは行えない、効果が期待出来ない症例になることがほとんどです。大抵は、老齢や重症例が対象となり、脱水症状の改善や維持、電解質補正や補給がその処置の目標になるわけですが、実際には身体が楽になることや元気になること、食欲増進などが求められ、かつ重要な効果だと考えられます。代表的な疾患は、慢性腎不全(時に急性も)や消耗性疾患、悪性腫瘍、老化などです。特に動物の腎不全は、仮に急性期を乗り越えたとしても慢性腎疾患が後遺症的に残ることがほとんどで、この慢性疾患もいつ突然急性化するかは予測が出来ません。そのため、治療や維持を兼ねて皮下点滴が有用なのですが、可能であればACEIやARB、Caブロッカーや吸着剤、吸リン剤、サプリメント、食事療法、基礎疾患の治療などで維持が出来ることが理想です。仮にこの治療で維持が可能であっても、治療に皮下点滴を加える意味は十分ありますが、それこそ適切な医療か過剰な医療か、予防的措置かやりすぎか、悩むところでもあります。

 在宅での皮下点滴を含めた治療には、良い点と悪い点があります。良い点は、通院無しに治療が出来ること、飼い主さんと動物の通院の負担が軽減できることです。費用も、病院で点滴を受けるよりは安く済みます。

 では悪い点はというと、まずは問診が出来ない、体調の管理が評価できない、細かい変化に気付かないことが多い、細かい相談が出来ないということがあります。これは、定期的な通院やお電話での相談などで充分フォローはできますが、毎回診療しているよりは確実に劣るでしょう。しかし、病状が安定していて、診療をしないでも良いと判断できる状態であれば、十分行えるはずです。
 次に悪い点は、点滴しても良い状態かの判断が正しいか、手技がしっかりしているか、これに尽きます。組織の損傷や壊死、皮下脂肪織炎、皮下膿瘍、発熱などが皮下点滴の副作用ですが、これらは明らかに在宅医療のリスクとなりますが、飼い主さんが注意を怠らず、手技に精通することでこれもフォローが可能なはずです。

 また、在宅医療は、安心できるおうちのはずが、信頼できる飼い主さんのはずが、という不安を動物に与えるのではないかと心配されることもありますが、これは大きな問題にはなりません。

 必ず客観的にメリット・デメリットを検討して、頑張りましょう。

2017年8月5日午前2時半 やっと書けた
 ここ数年、介護中の母に肺炎などの生命に関わるような疾患が増え、なんとか母の驚異的な体力と施設の方、主治医、妻たちの健診的な看護で乗り越えています。しかし、その度に衰えが進み、回復しても元に戻るまでは難しく、日を追って最期が近づいていることが感じられます。
 
 日曜日、今後の母の介護・看護の方針をご相談させていただくために、僕は久しぶりに施設を訪ねました。今の母は、すでに話すこともできず歩くこともできませんが、車椅子でお散歩に行くことはでき、表情や感情はしっかり表すこともします。気遣いや気苦労の多かった母には、今の何も悩みのない子供のような時も、幸福の一つの形のような気がします。

 この日は姉も一緒でしたし、体調も良く、眼をしっかりと開き顔を見て、声を聴き、笑顔も見せ、とても楽しそうな母でした。妻は頻繁に会いに行ってくれていますが、僕が会うときはたいてい体調が悪い時で、妻も通院や治療に付き合うことが多く、こんないい顔はしてくれない時も多くて、その顔が見られるだけで生きていてくれてありがとうと思いました。

 施設の方との面談で強く感じたのは、これほど母を想ってくれている方がいるのだという感謝の念でした。父の最期の時もそうでしたが、医師や看護師さん、介護師さん、ソーシャルワーカーの方、その他の方たち、彼らの重責と献身的な看護や介護に、父や母だけでなく、僕らが救われています。

 常日頃、獣医療は小児科医療や介護医療、ターミナルケアと同じと考えています。それは、体力や身体の大きさ、外科手術や麻酔の難しさや薬物使用の制約、人手が必要などの医学的な知識や技術だけでなく、もっと根本的なこと〜患者さんの想いを直接聞くことができない、患者さんに全てを伝えきれない、患者さんに直接的な感情の発露を受ける、ご家族の想いが大きい、生命に直接かかわる事態が多いなど〜、という部分です。

 今、子育てや母の介護の経験により、よりそういう気持ちは大きくなっています。そして、それは人にはできない体験であり、貴重な経験であり、僕を人として獣医師として成長させてくれている一つの要素になっていると思います。それは、妻にも、そして子供たちにも同じことが言えると思います。

 でも、経験しなければいけない、分からないとは思っていません。僕は常々、医療従事者が自分の辛い想いから優しくなったり、病気や介護を経験したから患者さんの気持ちが分かると堂々と言うことに腹が立ちます。なぜなら、そんな想いをしなくても、そんな経験をしなくても、患者さんの立場になって考えることはできるはずですし、苦しいことや痛いことも想像がつくはずです。むしろそれができなければ、医療に関わってはいけない。

 話はずれますが、患者さんの立場になる必要もないと思っています。患者さんの立場になって考えたり、患者さんの想いを想像し受け止めることは絶対に必要なことですが、患者さんとシンクロしてしまってはだめだと思います。患者さん同情をしたり、一緒に涙することは人として素晴らしいと思いますが、僕らはそんなことを望まれてはいませんし、そんなことをしていたら患者さんの力になることも役に立つこともできません。僕らは冷静に、客観的に、そして的確にその患者さんに必要なこと、可能なこと、しなきゃいけないこと、してはいけないこと、これらを感じて考えるのが仕事です。

 話を戻します。もう一つの獣医療との相似点、それはご家族に関わっていただくこと、ご家族に考えていただけること、そして事実から目を背けずに一緒に歩んでいただけること、寄り添っていただくこと、これが一番大切なことであることです。そして、患者さんの満足だけでなくご家族の満足も大切であることです。

 医療行為には必ず負の部分もあり、その負の部分を補って余りある効果や症状の軽減、そして治癒が可能と考えるから医療行為を行います。ただし、老齢となった場合や重症度の高い疾患を患った場合、どうしても積極的な治療を行う必要があっても、行うべきなのか、行わない方が良いのか、負の部分が大きくなってしまう可能性や負の部分のリカバリーが難しい状況など、正しく判断しなければいけません。そのような場合、さらにターミナルケアや緩和ケア、救急救命処置の有無などどこまで行うのか、そこまで考えなければいけません。

 どうしても衰えや死というものは避けられないもので、考えたくない、目を背けたいという想いもあると思いますが、その部分をしっかりと受け止め、できる限り尽くしてあげること、これらがあれば後悔しないのではないでしょうか。

 僕は、自分が病気で死を覚悟したこともありますし、父の死に際しても、母の介護と行く末を考えるときも、獣医師としての意識や矜持が根本にあって、自分を強く、そしてしっかりと支えてくれています。だから両親の今後を相談するとき、僕は「貴方たちの子供であり、だから僕は獣医師なんです」そう自分に語りかけながら、答えを出しています。

2017年7月13日午前2時 徒然なるままに
 書きたいことがあって、でもなかなかまとめることができなくて、とうとう1ヶ月が経ってしまいました。資料や事務的なものは更新しておりましたが、独り言、あきました。この間、いろいろなことがありました。

 妻と有馬温泉に旅行に行きました。数年前に有馬温泉を訪れた際、ホテルのバーテンダーさんと仲良くなり、ついで鉄板焼きのシェフと、そして地元のお店と仲良しが増えていき、今ではその友人たちに年1回の会いに行く旅行になっています。有馬温泉は、風情のある温泉街と豊かな自然、風光明媚、それでいて神戸や大阪にすぐに足を延ばせるという稀有な温泉地です。何度訪れても、新しい魅力や楽しみを見つけることができます。

 炎天下の甲子園で阪神のハッピを着て観戦、昨年に続き貧打線。日ハムの勝利の方程式にやられる寸前で諦めかけましたが、日ハム投手陣の自滅と阪神の粘りで、劇的なサヨナラ勝ち!六甲おろしをフルコーラスで唄い切りました。

 そして、僕を可愛がってくれていた叔母が急死しました。叔母が胆嚢炎を発症し、従妹は迷っておりましたが僕は内視鏡手術を薦めました。叔母は高齢で手術が危険を伴うことは分かっておりましたが、痛みの強い胆嚢疾患であり、痛みを訴えることができない認知症を患っていること、このまま死を待つだけの可能性が高いこと、この2点で僕は外科手術が良いと判断しました。結果が伴わず、従妹にも叔母にも辛い想いをさせてしまい、その責任の一端は自分にあるということは重々承知しておりましたが、やっぱり辛いです。

 最近では、学会は運営する側になることが多く、講演も講習会などで行うことが多かったのですが、今回は久しぶりに日本獣医麻酔外科学会で術前検査と麻酔前評価について講演しました。学会の麻酔疼痛管理委員会の委員であり、臨床家を代表する意見を述べる機会、講演1週間前は徹夜でスライド原稿を練り直し、ぎりぎりまで手直ししていました。徹夜に関しては、まあ、半年以上前から講演依頼があったのに、僕が進めていなかったのも悪いのですが。ひとまず講演は好評で責務を全うでき、ひと安心でした。

 仲の良い友人たちや当院のOBと神宮球場のデーゲーム観戦をしました。あいにくの雨で、しかもヤクルトは弱い、散々な日でしたが、楽しく呑みました!
 
 その後は、締め切りをとうに過ぎていた原稿を書いて、でもまだ全ては終わっておりませんが、そのままに恒例の植木市と朝顔市、ほおづき市、七夕祭りと続いてしまい、気が付いたらすでに7月半ば、やばいっす。

2017年6月3日午前3時 口腔内処置と無麻酔での口腔内処置の危険性について
 6月3日に更新しておりましたが、僕の操作ミスで非表示になっていました。ので、本日6月14日に再表示いたします。

 最近、無麻酔での口腔内処置を行う病院や獣医師以外の方が施術することが増えていますが、これには大きなリスクと危険が伴います。
 
 口腔内処置は、口腔内の衛生状態の改善と歯周病や口腔内疾患の治療のために行われ、口腔内の洗浄や超音波スケーラーによる歯石の除去、ポリッシング、抜歯、根尖治療、その他疾患固有の治療が行われます。
 
 歯石は、多くの細菌と有害物質を含んでいます。これらが常時歯肉や口腔内粘膜に接し、浸潤することで歯周病や根尖疾患、口腔内疾患は進行し、悪化していきます。採食が不自由になるだけでなく、重度の痛みを伴い、難治性の口内炎や歯肉炎、顎骨を侵す歯槽骨膜炎、下顎骨骨折、口腔内と鼻腔の間の骨融解により起こる口鼻症候群、顔の骨を侵す骨髄炎などに波及します。

 さらに、細菌や有害物質を飲み込み続けることは、食道及び胃腸疾患の原因となります。また、口腔内の血流は盛んであり、これらの物質は簡単に血流に含まれてしまい、全身に送られ敗血症や心内膜炎、腎盂腎炎などの全身性の合併症を引き起こします。

 本来の口腔内のケアは、日常的なハミガキで行われるべきであり、これに勝るケアは存在しません。歯石除去薬やデンタルリンス、サプリメント、食事療法食などは補助的なものであり、デンタルガムなどはそのほとんどに効果がありません。1年に数回の口腔内処置を薦める獣医師や資料などがありますが、これは大きな誤りです。正しい口腔内処置を行っても、口腔内の衛生状態は数日しか保てず、徐々に悪化していくもので、効果はあくまで一時的です。口腔内処置を行う場合は、一度清浄化した口腔内衛生状態を、その後は日常のケアで維持することが前提となります。理想は、生涯一度も口腔内処置を受けないこと、あるいは一度処置をしたらその後は行わないことなのです。
 
 仮に1年に2回の口腔内処置を行っても、口腔内が比較的良い期間は計たった2カ月くらいしかなく、大半は汚染された状態が続くこととなり、結果的には歯周病や口腔内疾患は進行し悪化していきます。また、15歳まで行ったとなると生涯30回の口腔内処置、あるいは全身麻酔ということになり、これはかなり致命的な負担になるかもしれません。また、老齢になった時に同じように行うことは元々不可能でしょう。

 そもそも、なぜ犬や猫の口腔内処置に全身麻酔が必要かというと、一番の理由は動物に無理をさせないためであり、負担を最小限にするためであり、安全性を高めるためであり、恐怖心を植え付けないためでもあります。無麻酔での処置は、動物の性格や口腔内疾患の重症度にもよりますが、身体を長時間保定する必要があり、口を開け続ける必要があり、痛みや不快感を感じる部位に触れ続ける必要があり、突然の動作や持続的な体動に合わせて精緻な処置を施さなければならず、決して安全とは言い切れません。 

 例えば、口腔内処置中には、唾液や歯石、血液、洗浄液、薬剤などを誤飲や誤嚥する危険性が伴いますが、全身麻酔での処置であれば防ぐことが可能ですが、無麻酔では完全に防ぐことは不可能であり、また術後にもその危険性は残ります。
 
 さらに、特に処置前の口腔内洗浄や処置中の出血管理、処置前後の抗菌治療は徹底されなければならず、これらを怠ると前記の急性の全身性感染症の原因となります。

 また、口腔内処置は歯の表面を傷つけないよう、不整にしないように行うべき処置です。歯の表面のエナメル質は傷つきやすく、再生をしません。また、歯の表面の傷や不整は、さらなる歯垢や歯石の付着を促してしまいます。誤った口腔内処置は、一時的に歯周病や口腔内疾患が改善したとしても、その後の病状の悪化を引き起こします。
 
 さらに、歯周(歯と歯肉の間)や歯根部の処置、必要があれば抜歯こそ口腔内処置の重要な点ですが、無麻酔ではこれらを正しく行うことができません。不適切あるいは無理な処置をした場合、出血や疼痛、過度な組織損傷、骨折などを引き起こします。

 もちろん、全身麻酔には負担とリスクが伴うことは周知の事実ですし、我々も理解しています。この場合、あくまで全身麻酔の負担やリスクよりも口腔内疾患の負担やリスク、痛みや苦しさが大きいと判断されるなら、口腔内処置は全身麻酔下で実施されるべきでしょう。仮にその逆であれば、誤解を恐れずに言うと口腔内疾患を放置した方が良いと判断し、あるいはより安全な全身麻酔が可能にならないか再度検討し、そのうえで、同じ判断となるならば、全身麻酔を実施せずに出来うる処置を検討するべきでしょう。

 口腔内疾患に対する知識や技術を持ち合わせており、さらに動物の性格や体質、体調を考慮に入れて診療できる獣医師であれば、簡単ではなく適切な器具や補助、時間と手間が必要ですが、少しずつ口腔内をきれいにしていくことは可能です。また、薬剤やデンタルリンス、サプリメント、有効なハミガキガムなどを使って、完全ではなくても不快感や苦痛を取り除く方法もあります。
 
 ここに挙げた要因は、知識や技術が伴う獣医師が全身麻酔下で口腔内処置を行えば、全て完璧に、より安全に行うことができます。このうちの1つでも乗り越える能力がない獣医師ならば口腔内処置は行うべきではありません。もちろん、これらの要因全てを解決できない無麻酔での口腔内処置は論外であると言えます。
 
 そして、実はもう一点大きな問題があります。それは、全身麻酔について正しい知識がないまま、全身麻酔の負担を大きく扱い、それに比して無麻酔であることの安全性を大きく喧伝し、さらに前記の問題点を理解しないまま(理解していたら、こんなひどいことはできないと信じます)、あるいは理解しているけど説明せずに手軽で簡単で短時間に行えることを売り文句とし、無麻酔での口腔内処置を実践している獣医師が多いということです。
 
 これらの問題は、日本小動物歯科研究会およびアメリカ獣医歯科学会からも公式にアナウンスされておりますので、ご興味のある方はこれらの団体のHPを参考になさってください。尚、この資料につきましては、これらのアナウンスを参考にせずに当院での診療方針と獣医師の勉強および経験によって作成しております。
 
 これだけ多くの事実が、無麻酔での口腔内処置を否定する理由であり、実際にこれらの問題は日常的に起こっています。以上の点を踏まえ、当院では効果と安全性を重視して口腔内処置を行っております。手軽で簡単で・・・、それで完璧なことなんてことは、なかなかできません。

2017年5月21日午前4時 検査の考え方 その2
 また、検査で大事なのはその検査の方法です。基本的には、臨床検査には絶食が必要です。食後であったり胃内に食事が残っている状態では、正確な検査結果を得ることは不可能で、結果の考察はそれこそ論外です。例えば血液化学検査では、食事は肝酵素や腎数値、などに影響し、血糖値や脂質値は判定すらできません。血清中に脂肪が多いと、血液学的検査や内分泌検査、アレルゲン検査なども不可能です。また、胃腸内に残さが多く残っている状態では、胃腸の診断ができないばかりでなく、その内容物により臓器が陰に隠されてしまったり、臓器の圧迫や変位を引き起こします。また、検査中に嘔吐などの問題が起こることも危険です。超音波検査でも、心臓の圧迫や胆嚢の変化など支障をきたします。

 さらに、検査の方法も重要です。その手技が稚拙であったり雑であれば、動物の苦痛や負担、症状の悪化を引き起こします。採血では、その手技によって溶血や凝固が起こり、検査結果が著しい異常値となります。X線検査や超音波検査では、撮影条件〜その姿勢と部位、身体へのテンションのかけ方、呼吸、記録条件(電圧や電流、絞り、露出時間、エコーレベル)など〜を最適な状態で撮影できなければ、正しい撮影写真や動画は得られず、誤った診断結果あるいは何も分からないという結果を生み出します。
 
 このように、適切な項目を正しく検査することで、初めて検査結果の評価や考察、検討をしてもよい状況になります。検査結果は、複数の検査結果を多角的にそして総合的に評価します。そのためにも、検査項目あるいは検査検査の種類は多くなることが多く、情報があればあるほどそこから導き出される答えは、より精密で、より正確であると言えます。 
 
 例えば、肝酵素が高い場合、それだけで肝臓疾患とは言えません。肝酵素は、不適切な採血や消化器疾患、骨や筋肉の損傷などで高値を示すことがあり、逆に重度の肝硬変や

 胆道系疾患では変化がない場合や低値のこともあります。また、肝臓腫瘍でも肝酵素に変化がないことが多いです。これらを考察する場合、腹部触診は重要であり、さらにX線検査での肝臓やその他の臓器の位置や大きさ、形状、陰影、および超音波検査での肝臓や胆嚢、胆管、膵臓、胃腸などの内部の評価を加味することで臨床診断はある程度まで鑑別することができます。そのうえで、血液特殊検査や内分泌検査、X線造影検査、肝生検、CT/MRI検査などを検討することができます。
 
 例えば、BUN/Cre値が正常であっても腎機能が正常とは限りません。これらの数値は、少なくとも腎機能の1/2、多くは1/4以下にならなければ異常値にはなりません。また、これらの数値は血中の尿毒症物質を測定して腎機能を類推しているだけですので、本当の腎機能を表していません。さらに肝臓疾患や蛋白合成不全、栄養障害などではむしろ低値を示します。これらを正確に診断するには、尿検査やUPC、SDMA値、X線検査や超音波検査、血圧測定などの追加検査でかなり精度が増します。しかし、内分泌疾患や腫瘍などの合併症や心臓疾患などにより腎機能が低下する腎前性腎不全(特に心腎症候群)、尿管や膀胱、尿道疾患が原因となる腎後性腎不全もあり、腎実質性腎不全でも、結石や高血圧、自己免疫疾患、腫瘍など原因は多岐にわたり、これらはさらに腹部触診や内分泌検査、X線造影検査、腎生検、CT/MRI検査などが必要となります。
 
 血糖値でも、絶食をしていない状況での高値は先に述べましたが、猫ではストレスパターンといって、大きなストレスがかかると仮に一時的でも血糖値は異常な高値となります。これらは、猫を落ち着かせてからの再検査やフルクトサミン、糖化アルブミンの測定、尿検査などで正しい評価は可能となります。
 
 X線検査で心臓が大きい場合、よく心肥大と診断されますが正しくは心拡大と言います。なぜなら、X線検査では心臓内部の構造は分かりませんので、その拡大が心筋の肥大によるものなのか、心房および心室の拡張によるものなのかは鑑別ができませんし、肥大と拡張は全く異なる病態です。そもそも心臓病にはたくさんの病気があり、それぞれ治療法は全く異なります。もちろん、撮影条件や成長時期、その他の疾患により心拡大を誤認することも多く、これらの鑑別と評価には、身体検査とくに胸部聴診が重要であり、さらに血圧測定や心電図検査、超音波検査が有用である。特殊な例では、内分泌検査やX線造影検査、CT/MRI検査、生検などが必要となります。
 
 例えば、定期検診で認められた小さな異常を見過ごされている、あるいは気付いても評価を誤っている、こういう事例も多く診ます。もっと正しく、もっと早く分かっていれば、こういう悔しい思いをしたことが数多くあります。これこそ、検査を行う意味を成さない形だけの検査であり、金儲けと揶揄されても致し方ない、あるいは藪医者と罵られても言い返すことができない、それこそ負担と苦痛だけの行うだけ無駄な検査です。見落とすくらいなら、定期検診なんてしなくてよいですから。

 ここにあげた例は多くの検査失宜のごく一部の事例であり、実際にこれらの誤りによって間違ったあるいは不適切な、不必要な治療を受けてしまっている患者さんが数多くいらっしゃいます。たった1つの検査だけでも、動物に苦痛をもたらし、生命にかかわることをしっかりと意識するべきでしょう。
 
 また臨床検査は、話さない動物たちの、痛みや苦しさを訴えない動物たちの、声や意思の表現の代わりになるものであり、検査の実施と結果の考察、そして何より結果を役立てることは動物たちとの会話だと思います。また、負担や苦痛を強いる検査であれば、そこから得られる結果は、それこそ1つも無駄にしてはいけませんし、1つでも多く役立てることを念頭に置くべきです。

 検査は、決して飼い主さんのためではなく、漫然と安心するためのものではなく、あくまで動物たちの過去・現在・未来のためであることを忘れてはいけません。

2017年5月15日午前2時 検査の考え方 その1
 明確な診断、あるいは診断名をつけることは診療においては基本中の基本です。ここでいう診断とは、医学的にあるいは獣医学的に語られる診断ではなく、臨床医学的にあるいは臨床獣医学的に語られる診断を指します。前者は、確定診断となりますので結果的に生検や外科手術、病理解剖などが必要不可欠となります。後者は、問診や身体検査、臨床検査、診断的治療、治療効果による推測など、限りなく確定診断に近いながら100%の確証がある診断ではありません。

 生きている間に正しい診断が下されることは少なく、死亡してからの病理解剖で適切な診断が下される、という医学界の病理医の格言にある通り、100%の診断は実は難しいことも多く、それが全てという訳でもありません。

 診療で求められるのは、あくまで後者の診断です。もちろん前者の診断が下されればより良い診療が行えるのは間違いありません。しかし、動物や飼い主さんの負担や苦痛がその診断に伴う場合はそのメリットとデメリットをしっかりと考えなければいけませんし、確定診断が患者さんにとって必須ではない場合が多いのも事実です。また、あってはいけないことですが、診断にこだわりすぎるあまり患者さんを蔑ろにしてしまう、いわゆる病気を診て患者さんを診ない、こんなことは本末転倒です。
 
 しかも最も重要なことは、診断が成り立たなくては正しい治療は不可能であり、病気の予防や進行の抑制、予後の判定などもできるはずがありません。

 ただし、ここでいう診断とは臨床診断であり、仮に1つの疾患に絞り切れなくても、いくつかの疾病に絞り込むだけでも十分とも言えます。むしろ、獣医療の現状ではここが限界でもあります。このような場合、経過を診ながら類床鑑別診断を行うことでさらに正確な臨床診断が可能になりますので、正しい治療や予防、予後判定も可能になります。

 しかし、獣医療では驚かれるかもしれませんが明確な診断をくださない獣医師が多く存在します。その理由は、そのような教育を受けていないということに逃げる者がおりますが、それは違います。はっきり言えば、獣医師に根拠に基づいた診断や治療を行う意識が希薄であること、そして寂しい話ですがその知識や技術が足りない獣医師が多いこと、これが現実です。そしてそれは、獣医師の、獣医療の、獣医業界の未熟さであり怠慢であるとしか言いようがありません。

 僕は、仮に確証が少なくとも必ず診断名を、あるいはいくつかの診断に絞り込むことを必ず行っています。ただし、これらを行うには慎重に、そして足りないながらも根拠をもって行うという基本が大切です。この方法で行う診断が、全く方向違いであることは皆無です。もちろん、それが誤っている可能性も考慮に入れつつ、いつでも見直し考え直せる意識を持って診療を進めます。見えない病気と戦うことは不可能であり、病気が見えて初めてできることも生まれてきます。
 
 全く見当のつかない獣医師に最適な治療を望むべくもなく、何にも分からない獣医師に治療法や予後の判定などできるはずもありません。反して、分からないことが分かっている、あるいは何が分からないか分かっている、これこそ臨床診断をつける最大の利点となります。

 これらの実践には、詳しく適切な問診から可能性のある疾患を予測し、的確な身体検査である程度の鑑別を行い、これらを確定し分類するために、あるいは類推するために必要最小限な臨床検査を選択します。そのうえで、さらにきめ細かい検査が必要であるか、何が得られるか、その得られるものはどの程度必要か、これらを考察します。この検討を土台に、これらの検査を行う利点と欠点を比較し、技術的な問題点、動物の肉体的および精神的な負担、飼い主さんの経済的および時間的な負担や制約なども考慮に入れ、臨床検査の項目や順序を臨機応変に確定します。

 臨床検査は、健康診断や予測不可能な疾患を見つけていくスクリーニング検査と、得られた所見から類推された疾患を確定するために行う検査に分かれます。これらを正しく適切に行えば、病気であるのかどうか、病気である場合はその病態や病状、そして何が苦しく痛いか、どのくらい痛く苦しいのか、予後はどうなのか、病気でなくとも隠れた病気がないか、今後に危険性のある病気、それらの予防手段などを理解する手段であるとともに、現在行っている治療や検査が適切であるか、効果の評価、副作用の有無、合併症の早期発見など、多くの情報が得られます。

 ですから、何でもかんでも検査すれば良いというわけではなく、また当てずっぽうに検査をしても全く役には立ちません。ただし、全く予測もつかない、あるいは予測できる疾病が絞り込めないことも少なからずあり、このような場合はスクリーニング検査から篩にかけるように多項目の検査に頼らざるを得ないこともあります。

 常日頃から飼い主さんにはお話ししておりますが、検査は検査項目を検討し始めた時から始まっており、その検査が効果的か非効率的かということは検査前に実は分かっているのです。

 次に続きます。

2017年5月6日午前3時 逝く
 4月は、重症の方、そして病気の末期の方が続き肉体的に、だけでなく精神的に厳しい1カ月間でした。もちろん、飼い主さんと動物たちの想いに比べたら僕が感じる辛さなんて、ちっぽけなものであることはいつもながら間違いないでしょう。
 
 長く患った子たちも逝きました。飼い主さんと動物たちの精一杯の頑張りに、生命の強さに、そして絆に、改めて敬意を表したいと思います。
 
 そんな中でとても悔しい出来事がありました。それは、俗にいう開け閉じ手術です。文字通り、開腹手術をしたにもかかわらずに、大きな効果を及ぼすことができないまま外科手術を終了し閉腹することです。30年近くの間に僕自身が行った外科手術で、この経験は実は初めてで、僕にとっては失敗と同じで・・・。
 
 高齢で、いろいろな合併症があって、でも病気の進行が早く勇気をもって手術に臨んでいただいた飼い主さん、そしてその想いに応えようと必死に頑張ったわんちゃん、大変な検査を行い診断してくださった大学病院の先生。

 例え誰が執刀しても同じ結果であることは明白ですが、それでも自分が情けなくて、申し訳なくて。そして何より僕は何かで憂さを晴らせるけど、病気を抱えたままに全身麻酔から覚めた子は、そして外科手術ができなければ死が待っているというその事実をしっかりと受け止めて、そのうえおうちの子を勇気づけていただいた、そして僕にも労いの言葉を頂いた飼い主さんは、どうすればいいのでしょうか。皆の想いを感じることが、僕にはまた立ち上がる勇気になり、力になり。力になるべき自分が、勇気を与えるべき自分が、なんと無力であるか。まだ僕はあきらめない、この子もあきらめていない、そして飼い主さんも。僕には、泣いている時間すらないんだと改めて思う夜でした。

 また、重症の子の治療のため、しっかりと対処できない患者さんがいらっしゃいました。代わりに救急病院にお世話になりましたが、残念ながら救うことができませんでした。きれいごとは言いません、僕に力があればなんて思いません。ただただ、残念でしかありません。

 獣医師としての姿勢と意識に、これからの自分の生き様に、彼らの想いを刻み付けつつ表していきたいと、再度襟を正して考えます。

2017年4月30日午前3時半 術前検査/麻酔前検査について
 実は・・・、今日救急病院に行きました。以前患った虫垂炎あるいは結腸憩室炎の再発の様な症状でしたので、早めに倒れる前にと思って病院に向かいました。診断結果はやはり憩室炎、まだ軽いため入院も手術もなしでした。16年前は、救急病院で倒れてエマージェンシー、その後も続けて数回再発とかなり苦しみましたのでほっとしました。もう元気に仕事してます。

 今回は、6月に講演する内容を書こうと思います。

 術前検査/麻酔前検査の意義は多岐にわたりますが、根本的には全身麻酔を行うことが可能であるか、可能であった場合の安全性はどのくらいか、行う場合の予測できる危険性の程度と度合いはどうか、危険性が高い場合でも行うことが可能か、あるいは実施が不可能であるという診断、これらを考察・検討するために行います。そのため、術前検査/麻酔前検査は、総合的な麻酔前評価と言い換えることもできます。

 これらを踏まえて考えると、麻酔処置は処置室や手術室で始まるわけではなく、麻酔の実施を考えた時点で、そしてその獣医師の頭の中ですでに始まっていると言えます。

 また、麻酔前評価は、全身麻酔あるいは全身麻酔を必要とする検査や処置、外科手術の負担やリスクを最小限に抑えたうえで、麻酔効果を最大限に引き出し、安全かつ安定した麻酔状態の確保とともに良好な覚醒や術後経過、回復を成し遂げるために、まず初めにそして簡単に行えるツールでもあります。

 術前検査/麻酔前検査は、基本的には麻酔担当医が行うこととし、的確かつ詳しい問診に始まり、系統的かつ適切な観察や身体検査、理学的検査を経て、まずは主訴の理解と再度の診断、動物の把握、全身状態の把握、現症や現病歴の理解を優先します。そのうえで、既往歴や麻酔歴などを含め、現状の再評価をした結果から、臨床検査(検査室検査)の必要性や検査項目を検討します。実際には、臨床検査に至る前にある程度の十分な評価は可能であり、臨床検査はそれまでの評価の確定や見つけることのできなかった症候や症状、疾患の診断、細部まで現状およびリスクを評価する方法と言えます。

 麻酔と同様に、臨床検査もその必要性を考えた時点からその獣医師の頭の中で始まっています。必要かつ最小限の負担による検査項目の選択、正しい検体の採取や取扱いから始まる検査の実施、検査結果の考察とその応用まで、適切に行わなければならず、時に獣医師の技術や知識により異なった判断や評価、見解を下されることもあります。

 これらの格差は、獣医師ごとあるいは病院ごとの麻酔の精度と安全性に大きく関与し、これらは当該獣医師やスタッフの努力や研鑽で補うほかはありませんが、ルーティンで行う検査項目を事前に決定しておくこと〜最低限のスクリーニング検査、可能であれば個々の臨床検査で異常があった場合の追加する検査項目や対処、治療法など〜が有用です。その反面、術前評価の意義を考えずに評価を行ったり、惰性や手抜き、思考停止に陥りやすいため注意が必要です。これらを防ぐには、病院スタッフの全身麻酔や外科手術に対する意識を高め、統一しておくことが大切です。

 特に問診や理学検査、臨床検査によるスクリーニング検査は、基本的な要素であり、この評価は精密にそしてより厳しく行う必要があります。検査項目の選択の誤り、ずさんな実施や評価などを行うと、この時点で疾患やリスクの小さな兆候の見過ごしや取りこぼしが起こり、動物の苦痛やリスクの増大、麻酔事故を招き、生命を脅かすこととなります。

 これらのことを念頭におき、より正しくより適切に、より確実により安全に、何より患者さんのために麻酔が執り行えるように、その診断や準備の段階から、術前検査/麻酔前検査がその端緒となっていることを十分自覚し、麻酔を実施していく必要があります。

2017年4月25日午後4時半 2017年度フィラリア症予防薬について
 当院で採用しております「モキシデクチン」製剤ですが、製造会社の諸事情により製造がおこなわれていない状況で、大変ご迷惑をおかけいたしております。一部製造再開されましたが、まだ市場への供給が不足しており全製品が揃っているわけではなく、今年度のフィラリア症予防には一部の方のみの使用となります。

 そのため、今年度中も「イベルメクチン」製剤を採用させていただくこととなりますが、体質や犬種、病歴によってモキシデクチン投与が必須である患者様の分は、確保できたモキシデクチンで対処させていただくか、従来通りミルベマイシンにて代用させていただきますのでご安心ください。

 イベルメクチン製剤は、現在のフィラリア症予防の基礎を築いた薬剤で、この薬剤の開発で2015年に大村先生がノーベル賞を受賞されたことでも一躍注目を浴びました。わずかな投与量で効果を発揮し、その効果と毒性の低さは今でも評価され、歴史の古い薬剤にもかかわらず今でもフィラリア症予防の主流の薬剤です。当院では、より少量投与でより副作用の少ない薬剤を選択することを常としておりますので、現在ではモキシデクチンを主に使用しておりましたが、以前にはイベルメクチン製剤を使用しておりました。

 元々、それぞれのフィラリア症予防薬は投与量が少なく、薬用量と毒性量との差が大きく、この点も安全性の高さの理由となっています。イベルメクチンは6〜12μg/kgの用量で1ヶ月に1回の投与にてフィラリア症予防を行いますが、疥癬や毛包虫などダニ寄生による疾患の治療には200μg/kgを連日投与(この投与量でも毒性は高くない)を行うこともあります。ただし、今までのイベルメクチンあるいはモキシデクチン投与において、わずかながら体質に合わないわんちゃんは存在いたしますので(食欲減退や嘔吐を発する)、この点は今まで通り注意が必要ですが、この副作用はあくまで常用される薬剤と同等のものであり、その発症の比率は少ないものですので、ご安心ください。

<ノミ・ダニおよび消化管内寄生虫の駆虫・予防効果を有する薬剤>
 薬効の異なる薬剤の合剤であるため、薬物の乱用や相乗効果による副作用発現、薬物干渉作用による薬効の低下などを理由に当院では採用しておりませんでした。近年、これらの問題を極力小さくした薬剤が開発されております。内服により効果を発するため、ノミ・ダニの駆虫・予防効果に優れている利点があり、費用も従来通りの内服薬とスポットオンを同時に行った際と同等か若干安価になっております。ただし、他剤に比べて嘔吐が出やすいという副作用報告もございますので、体質によっては使用を控えたほうが良い場合もございます。ご興味がございましたら、ご相談ください。

<スポットオンタイプのフィラリア症予防薬について>
 投与の失敗がわかりにくいこと、皮膚の状態や雨、シャンプーなどの影響を受けやすいことなどの理由から当院では積極的に採用しておりませんが、1か月の効果持続や投与の手軽さ、ノミ・ダニや消化管内寄生虫の駆虫・予防効果など利点もございますので、飼い主さんのご希望により使用していただいております。ご興味がございましたら、ご相談ください。

<チュアブルタイプのフィラリア症予防薬について>
 その原料に肉類や大豆などアレルギー疾患の原因になりやすい蛋白質が使用されているため、当院では採用しておりません。ただし、前記のモキシデクチン製剤でチュアブルタイプの薬剤のみ入手可能である場合、体質や犬種、病歴によってモキシデクチン投与が必須である方には、使用させていただきます。

2017年3月31日午前4時半 大相撲
 稀勢の里、怪我をおしての優勝は文句なしに讃えられることでしょう。ただ讃えるのであれば、正々堂々と戦った相手力士も同じ賞賛に値すると思います。厳しい言い方をすれば、怪我も実力のうち、相手の弱点を突くということがあったとしても、たしかに賞賛はしないけど責められるものでもありません。

 ただ、五体満足かつ万全な体調で相撲を取れている力士なんていないはず、目立つ部位の怪我の力士に同情して、その他の力士の苦労を考えないのは誤りだと思います。むしろ、勝負事だから怪我や弱点は隠す、それこそ力士じゃないかと思います。

 また、最近の風潮で嫌なのは、やたらとモンゴル人力士と日本人力士を比較すること。なぜ同じ力士で国籍を気にするのでしょうか、僕は明らかに差別に感じます。元々、外国の方に門戸を広げるのは、日本の文化としての相撲をより世界に広めること、そして強い力士を育てたいがためのスカウティングでした。ならば、強い力士が育って喜ばしいじゃないですか。

 ただでさえ母国を離れるという不安や負担が多い中で、稽古が厳しく、そしてしきたりや習俗も学ばなければいかず、品格や振る舞い、礼儀が要求されます。そんな環境で頑張る彼らを、そのつらさを乗り越えた彼らをなぜ区別するのでしょうか。外国人であること、強すぎること、この2点が理由だとしたら国技であっていいのでしょうか、相撲道と誇れるでしょうか。昔は、もっと愛情をもって外国人力士を見守っていた記憶があります。人が、狭量になったのも1つの理由かもしれません。

 もちろん、ただ強ければ良いという風潮は外国人力士に見受けられますが、それこそその責任は親方やおかみさん、兄弟子、そして相撲協会の指導がなっていないだけの話であり、それは怠慢であり欺瞞であり、その人たちこそ強ければいいと思っていたという証だと思います。

 また、強さを批判する前に、日本人力士の弱さを考えるべきでしょう。なぜ、強い者が責められるのか、大いなる矛盾があります。その強さが魅力であったのでないですか、その強さが相撲人気の凋落を巻き返したのではないですか。

 横綱や大関の立ち合いの変化が問題視されますが、強い者は全てを受け止めてあえて勝つ、それは相撲道としての形というのならば、それは良いと思います。であれば、その姿勢が徹底されていないのであれば、それは個人の資質の問題だけでなく、力士皆の意識や姿勢が問われるべき問題で、それこそ相撲道の凋落の現れではないでしょうか。その中で、照ノ富士の変化は批判され、稀勢の里の変化はしょうがないと言われる、判官贔屓も分かりますが、それは不公平極まりない。両膝に故障を抱える照ノ富士を擁護するのか、あるいは稀勢の里も批判するのか、僕は後者であるべきと思います。

 ただ、真っ向勝負のみが潔い戦いで、作戦や変化はずるい、という考え方にも疑問があります。身体の小さい者や体力の劣る者、技術の不足する者、怪我を負った者、彼らがいかに強敵に勝つには考えることが、工夫することが生命線であるはずです。プロ野球でも直球勝負がもてはやされ、変化球が逃げであるようなことが言われます。直球と分かっている勝負は、打者有利でしかありませんし、変化球もその投手の力であり技術です。じゃあ、なぜ野球の元祖のMLBではフォーシームではなくツーシーム主流なのでしょうか、変化球が邪道と言うならそれこそツーシームは逃げじゃないでしょうか。WBCで日本が標榜するスモールベースボール、アメリカのサイバーメトリクス、全て卑怯な野球ですか?

 もし厳しさを前面に出すなら、横綱と大関の立ち合いの変化は即反則負けにすればいい。ただ、そういうことは明文化するのではなく姿勢で示せと言うならば、協会が、親方が徹底しなさい、そう思います。

 最後に、今回の無理が稀勢の里さんの今後に悪影響しないことを祈ります。そして、今まで人気の凋落という危機にあった大相撲を、強い横綱や大関不在を独りで支えてきた白鵬さん、かなり無理をされてきたのだと思います。回復を、そして強い白鵬さんを待っています。

2017年3月10日午前2時 いらいら
 WBC、心配してましたが快勝です!打線は、復調の兆しが見え、打線がつながりました。中田選手に不安はありません。安打はなかったけど2四球を選び、そして効果的な盗塁!大丈夫でしょう。だけど小久保監督の投手起用、不安が残ります。則本投手を引っ張りすぎ、平野投手を引っ張らなすぎ、なぜ牧田投手が抑え?権藤コーチ、頼みますよ!

 昨年から宅間孝行さんの舞台が続いています。全てリメイクですが笑って泣いて、宅間節全開でした。年末には久々の新作が待っている模様、期待大です。

 そしてそして劇団新感線、昨年も大いに笑い、大いに興奮して、そして泣かせる舞台を魅せてくれましたが、今年は劇団の記念碑的作品である「髑髏城の七人」が待っています。しかも、豊洲にできる新しい劇場のこけら落とし公演です。ここは世界でも他に一つしかない客席を舞台が囲み、360°客席が回転する円形劇場。この劇場の特性をどう生かすのか、すごく楽しみです。

 しかもこの作品、今年は花鳥風月と題し、キャストも脚本も演出も異なる作品として4バージョンを1年かけてご披露いただけるとのこと。これもまた新しい試み、どこまで勝負するねん?と間違った関西弁で突っ込みたくなるくらいの斬新そして挑戦です。

 この作品の主役は、元は古田新太さんのもの。14年前には古田版のアカドクロと市川染五郎さんが演じたアオドクロが上演され、集大成でもあり、もうこれで再演はないのでは?と思えるくらいの出来栄えでした。また新たな魅力が生み出されましたのは、7年前に同じ役柄で主役を張った小栗旬さん版のワカドクロ。新しい魅力を発揮した若い配役で評価は上々でしたが、僕には少々不満の残る出来でした。今年の第一作の花バージョンは小栗さんの再登場、なんと古田さんが脇を固めるという鳥肌の立ちそうな配役、リベンジも含めて期待大です。

 先日配役が発表された鳥バージョン、なんと主役は阿部サダヲさん。今までヒーロー然とした俳優が演じた主役を彼ならどう演じるのでしょうか。でも実は、皆さんご存知ないかもしれませんが、古田さんも阿部さんもドラマや映画ではいろいろなキャラクターを演じられ三枚目や個性的な役が多いのですが、実はアクションも殺陣もダンスも歌も素晴らしい俳優さん。そして、二枚目も結構いけるんです、むしろ影がある感じでいい味が出るんです、楽しみです。

 好きな話を続けたのは、ちょっといらついたからか。12日に役員を務めます日本獣医麻酔外科学会の東京地区講習会があります。その実行委員会委員長を仰せつかりまして、1年かけて準備してきました。もちろん、その追い込みで忙しいのですがそれでいらついているわけではございません。

 事前登録の申し込みが180名、これは異例の参加者数で今までの講習会の中で一番の数です。告知を早い時期からしっかり行うこと、魅力ある講師や講演内容にすること、そして地区委員や実行委員の方のご協力の賜物です。あとは当日成功させること、申し込みが多ければ多いほど責任も大きくなります。終わった時の酒は旨いだろうなあ!

 今回の講演会のテーマは「麻酔」です。そう、医療の中でも特に厳しい要求がなされる分野、1つでも、少しでも、わずかな気のゆるみも誤りも許されない分野なんです。完璧な技術や知識を必要とし、計画や準備から術後管理まで一切妥協は許されず、様々な局面を予測し迅速に対処する、そして何より安全を重視しリスク管理を徹底する。

 僕が、申し込みの整理を行い名簿を作成していますが、いらついているのはこのことです。まずは申込フォームを完全に記入する方が少ないこと、これが気に入らないんです。もちろん、勘違いをして誤ることは致し方ありませんが、例えば空欄があれば担当者が穴埋めするために作業をする、その時間の無駄や迷惑も思うことができなくて麻酔ができるんでしょうか。と言うよりも、獣医療ができるのか。

 誤りの問い合わせをしても満足に返信をできない先生もおり、礼儀に欠く先生もいる。 今から学ぼうとする先生方が、たかがそんなこともしっかりできないのか、そんなこともできなくて本当に正しい麻酔ができるのか、獣医療ってそんなレベルの低いもんじゃないでしょうに。

2017年2月24日午前5時 国家試験
 看護師国家試験について、問題になっているようです。でもその理由が僕には信じられないようなもので。だって「問題が難しすぎる」というもので、それもネットにそのような意見が多く見られ、一部は厚労省にクレームが入ったとの報道もあります。

 それらの記事を読むと、長文の読解力が低下しているためにその力を問う形式の問題が増えたようです。また、今までの問題のように知識を問うばかりでなく、論理的思考が必要な問題になっているようです。たしかに例題を見ると問題文が長く、その意味を捉えてからさらに考えなければいけない問題であることは間違いなく、今までのようなある意味丸暗記で答えられる問題ではありません。

 しかし、その文章は難解ではなく、その内容も決して難易度が高い訳ではありません。しっかり読んで考えれば十分解けるような、むしろ勉強が足りなくても看護師としての思考ができれば、今までの勉強や実習の経験を生かせれば、日常から看護師としての物の捉え方や考え方ができれば、あるいは医学的な考えが少しでもできれば解ける問題と感じました。実際に、部外者である獣医師の僕と妻は例題を難なく答えました。
 
 医師や看護師、その他医療従事者に求められるのは、医学的な知識や技術を持っていることは当たり前で、それらを使いこなすに値する人間力があるかどうかです。逆に言えば、人間力がなければプロと認められる医療従事者とは認められない、腕だけはいいのに人間的に・・・なんて医療従事者はプロでもないし、一流でもありません。

 例えば、技術はあるけどインフォームドコンセントが下手、これあり得ません。なぜなら、自分の技術を最大限に生かすためにはインフォームドコンセントが不可欠であり、れができないとなれば技術が生かされることなんかできないからです。そもそインフォームドコンセントは医療の原則でもあるわけですから、その原則ができないということであれば、それは医療従事者ではない訳です。患者さんやご家族、スタッフなどに配慮や気遣い、気配りができなければ、考えが短絡的で浅慮、視野が狭ければ、優柔不断で自信過剰だったら・・・、そう技術や知識があったって何の役にも立たない愚者でしかありません。

 その上で考えれば、これらの問題の改良はむしろ遅すぎるくらいであり、また医師や看護師の大学受験で論文や面接が重視されるようになった背景も考えれば、先に挙げた能力の欠如が甚だしいための医療問題への対策と考えられ、むしろ妥当であるとさえ思います。

 机上の試験勉強ができれば、戦略的な受験が上手なら、学校の成績が良いなら、それで医師や看護師になってしまえる現状は、数十年前から指摘される大きな問題です。もちろん、困難な受験勉強に打ち勝ったという努力と結果は、決して無駄ではないと思いますし、素晴らしいものだと思います。が、それを生かす柔軟さがなければ、覚悟がなければ、意識がなければ、柔軟で論理的な思考ができなければ、想像力や決断力がなければ、生命に関わる仕事を全うすることはできません。実際に大学の中途退学者には、推薦入学や優遇制度を利用した受験生が多いと聞きます。

 また、ネット上の発言やクレームの内容とその意識の低さにも問題があります。国家試験とは、国と医療の定める基準に値する者に国の資格を与えるというものです。その資格を有する者には、他にない特権が与えられますが、それは権利でもあると同時にその特権に対する責任と義務、その力を社会に還元するという責任と義務を負うことでもあります。それを踏まえた時に、「難しすぎる」という批判は値しない訳で、難しすぎると思い失格するのであれば、それはただ単にその基準に自分が値しないというだけのことです。

 あるいは、その問題に文句をつけるのであれば、その問題で評価され与えられる権利を放棄すればよいわけです。自分が認めない国に対して、国が自分を認めると思っているのでしょうか。

 もちろん、これらの問題変更が改悪である可能性も考えなければいけませんし、大学で行われている教育との格差が大きすぎるのかもしれません。ただし、この問題は大学教育の現状での最大での問題点で、医師も看護師も薬剤師も獣医師も、大学は理想の教育や研究が行える機関ではなくなっており、その原因は教員のレベルの低下、過度の成果主義や国家試験成績に左右される大学の評価法、予算の削減などにあります。これらにより人間を育てることもなく、意識や思考を伸ばすこともなく、職能人を育てる専門学校あるいは国家試験に受かるための予備校と化している現実があります。

 それを示唆する発言として、「今までの問題と異なる点が多すぎる」や「過去問題の勉強が役に立たない」などがあります。それこそ、知識を高めるでもなく国家試験に合格するためのいわゆる「勉強のための勉強」に終始していたことの誤りに気付いていない発言です。国家試験は、あくまで基礎的な知識を問うことが主となるため、本来は自分の知識を高めれば合格するはずで、テクニックや問題の傾向や統計から考える過去問題で合格率を上げるような試験ではありません。

 しかもここで気になるのが、本来急な変化にどう対応できるかが問われる看護師を目指すにあたって、試験問題の傾向の変化に対応しきれないでどうするのか。また、困難な状況に立ち向かうことの多い仕事を目指すにあたり、安易な道を選んだ末でのその失敗をなぜ責任転嫁するのか。

 教育を改革する前に試験問題を改変するのは誤りである、これはもっともな正論です。しかし、試験問題が変わったから教育を変えようとする大学が多いのも事実です。卵が先か、鶏が先か、という話ですが。

 在宅医療や在宅介護でも患者さんの望む医療が受けられないという問題が指摘されています。在宅医療という甘言に翻弄され、受け入れ態勢の整っていない医療現場、患者さんやご家族の誤解、在宅医療医のレベル・・・、いろいろな問題が山積です。ただ、この失敗は受け入れる医師側に大きな問題があると思いますし、それらを進めた医師会や政治家、官庁の責任も大きいと思います。

 看取りに関わることが多いターミナルケアを行うこの医療は、医師の資質〜特に柔軟性と適応力、そして人間力に〜が大きく関与します。医師の言葉や態度、判断、そしてコミュニケーション、その一つ一つが大きな要因となり患者さんやご家族の希望にもなれば絶望にもなり、大きな助けにもなれば負担にもなり得ます。そしてそれらの結果は、全て死に直結します。

 医師でありながら専門外の分野の無知を恥と思わない、専門外の患者さんへの対応の準備と適切な対応を怠る、専門外を理由に患者さんを突き放す、現状の医師のこれらの常識も大きな問題です。であれば、在宅医療医は総合診療医のみにするか、総合診療ができるように努力をするべきです。

 ただ、ご家族も在宅医療医に全てを任せてしまう傾向が強くなるため、ご自身でもセカンドオピニオンを求めたり、日常から準備しておくことも大切です。

 在宅医療の問題は、もっといろいろな問題があるのですが、今回は国家試験に絡んだ点だけのお話しですが、もっと「人を育てること」、そして「評価の方法を整えること」、これが最も大切だということ、ずっと昔から分かっていることですがここが変わらないとこれらの問題は解決できません。しかしもっと重要なのは、携わる者がしっかりとした意識と覚悟を持つことだと思います。中から、当事者から変えていかないといけません。

2017年1月31日午前4時 それぞれの課題
 今年は、長女が国家試験、長男が大学受験と本来ならピリピリしたお正月と思われがちですが、我が家のpolicyは試験は本人の努力と想い次第、協力はするけど過剰な干渉はしないというものなので、いつも通りの1月です。

 と言いながらも、奥さんはいろいろと気を遣っているし、体調管理や学校選び、出願と何かと相談に乗ったり世話を焼いていて。長男は、幸か不幸か(笑)獣医師になりたいと獣医学科を目指してくれています。動物病院よりも大動物志向が強いため、跡継ぎとなるわけではないかもしれませんが、やはり両親の仕事を継ぎたいと言ってくれていることはとても嬉しいです。

 そもそも、僕は跡を継いでほしいと思ったことも話したこともありません。むしろ、他にも魅力的な仕事がたくさんあるわけで、自分で好きなものを見つけてほしいと話しています。実は僕も両親から跡継ぎになってほしいと言われたことは一度もなく、むしろ母からは苦労ばかりの仕事だからやめてほしい、お休みとか夜には電話の鳴らない仕事についてほしい、そう諭されていました。

 僕が獣医師を目指したのは高校3年生の春、それまでは警察官になりたいと思っていましたが、野球部から受験を名目に引退してふと考えると、獣医師になりたいと。なぜ急に思い立ったかはいまだに自分でも分かりませんが、思い立ったら突き進むのが僕の性格、部活を引退してのんびりしていた夏休みから一気呵成に受験勉強に没頭しました(夏休みのみで力尽きましたが)が、周囲を振り回したことでしょう。

 それでも、大学合格と国家試験合格には喜んでくれましたが、「自分でなりたいと思ったんだから」が母の口癖で、だから大学時代に研究で徹夜が続いても、大学病院で何日も帰宅できなくても、体調が悪くても休めなくても、一切同情はしてくれませんでした。病院に戻った後も、体調を心配し続け、「だから獣医師なんかやめればよかったのに」が口癖でした。

 ただ、この口癖が無くなった日がありました。僕が大学病院の研究生2年目の時、母が体調を崩した時に自宅のトイレで容体が急変し心停止を起こしたことがありました。たまたま休みで自宅にいた僕が発見し、心肺蘇生を施し治したことがありました。それ以来僕の口癖は「おふくろ、俺のおかげで生きてんだよ(笑)」。

 僕が跡を継がなくて良いと思うのは、他に良い仕事があるからだけではなく、実は母と同じ思いもあります。でもそれより大きいのは、同じ職業に就いてしまうとその苦労も困難さも分かってしまうこと、親としてそういうことは知らない方が気が楽かと。もう一つは、僕の性格を考えると、仕事となれば息子にはより厳しく接してしまうこと、これは正しいことだと信じていますが、しないで済むならしたくないかなあ。

 獣医師になるなら、と決意を聞かされてからまだ高校生の長男には、それこそ厳しくしていました、元々厳しいくせにさらに。彼の発言や考え方に、「相手に伝えるにはこうするべきだ」、「それでは大事な生命は託せない」、「獣医師であればそんな考え方はしない」・・・、自分でもうんざり。

 動物病院に生まれると、いろいろなことを学ぶ機会が多くなり、大人に囲まれて育つことで得ることも増え、考え方も身に着けます。楽しいことも苦しいことも、嬉しいことも辛いこともいろいろな体験をします。それは、獣医師や医療従事者に、あるいは社会人になるときにとても役立つ資質だと思います。半面、我慢をしなければいけないことも増え、決して楽しいばかりではありません。

 獣医師になるには、生家が動物病院であることはこれは絶対有利な条件です。もちろん、他の職業も同じことが言えると思います。いろいろな先生と面識があり、僕を知っている先生がいることは心強く(敵も多いですが)、皆が知らないことを知っていたり体験している。僕も、どれだけ助けられたか分かりません。でもこれは、自己の実力ではなくあくまで周りが与えてくれた恩恵です。自分がそのような環境にいるということ、未熟であることを常に理解していなければいけません。

 実際には、実は有利なことばかりではありません。例えば僕は、父が有名な獣医師でしたから、「久山」と言えば珍しい名前ですから獣医業界ではすぐに素性がばれてしまいます。「あの久山先生のご子息」と言われればなんかお坊ちゃんみたいに扱われているように見えますが、裏を返せば「お坊ちゃんがちゃんとできんのか」と先入観でみられたり、子弟は面倒くさいと煙たがられたり、父と比較されたり、こんなことは日常です。父と仲の悪い先生に嫌がらせをされたこともありますし、父の負の遺産も受け継ぐことになりました。

 でもそんなことは、覚悟しておくことが当たり前と思っていましたし、そういう輩とは徹底的に戦うか無視するかどちらかでした。父には、「評判を落とすかも」と前もって謝っていましたが、父は笑っていました。それでも、父の存在は今でも続く恩恵であったと思っています。

 だから、僕らはあえて獣医師の両親を持つ厳しさを教えておきたいと思っています。それは、獣医学科に進むということは、子供としてだけではなく自分たちと同じ職業に就く後輩として、安易に目指してほしくないという想いです。そこで彼に課した課題は、「獣医師として」の自覚と意識が持てないようであれば、獣医師にはならないでほしいということでした。

 実際に、connectionで獣医学科に入学できることなんてありません、僕の知る限りでは。だけど、何かの意志が動く可能性ってなくはないと思っています。実際僕が大学受験の時は、父にそういう申し出があっても断ってほしい、勝手に危惧してそうお願いしていました。父もそういうことは好きでないので分かっていると言ってましたが、自力で何とかしたかったので。獣医学科には、後継者枠や事業枠のような推薦制度があったり、今では大学にも子弟枠というものもあります。実際には、成績が優秀ではないと使えない制度ですが。長男にも、このような制度は使わないことにしています。

 妻は、一時期迷っていました。自分たちが獣医師でなければ、親として純粋に受験の手伝いができたんじゃないかと。助けになる手段があれば、いくらでも講じたのではないかと。無理矢理しないでいい苦労させているんじゃないかと。僕も同じ子を持つ友人や先輩に、「なんで精一杯援助しないの?」と助言をもらって確かになあと迷ったり、「いいんだよ、自力で頑張れば」と励まされたり。

 正直、学校の成績が良くて受験に成功した人が、良い獣医師になるとは限りません。また、高校時代にチャランポランでも大学生活中に成長します。だから、今僕らが子供に課していることは、実は行きすぎじゃないかという迷いは、僕にもないわけではありません。長女と次男に妻の迷いを話したら、二人の答えは「駄目な獣医師を生み出すよりは良い」、いい子?に育ったと思いました(笑)。
 
 ただ、僕が高校時代にそんなことができていたんだろうか、そこは甚だ疑問が残ります(笑)。いや、正直に言うとだめですね。妻は、普段から自己に厳しい人で、獣医師になったいきさつを聞いてもできていたんじゃないかと思っています。幼い時から獣医師になりたいと決めていて、でも実家は薬剤師の家業であるためかなりな反対を受けたそうです。国立大学に現役で入学、どんな苦労も援助はしない、これが唯一の獣医師になる条件で、彼女は地道に努力し成し遂げた人です。

 長女は、看護師という夢を叶えようと、自分の努力で見事大学合格を果たしました。この時、本当は長男と同じような課題を彼女にも課しており、彼女はそこは果たせないでいたのですが、それを自覚していたこと、そしてそこまで自力で頑張ったことで課題をクリアしたとしました。その後もアルバイトを頑張ったり、学科はギリギリでも実習は優秀であったり、なんか僕の学生時代を見ているかのような楽しい学生生活を送りつつ、今も楽しみながら国家試験に備えています。

 結局、親は子供に往く道を指し示すしかなくて、自分の姿を見せるしかないんだと思います。結果はどうあれ、この一年力を尽くしたことを褒めたいと思っています。

2017年1月17日午前4時 折り合い
 お正月は、何かと忙しく、そしてそこを過ぎるとむしろ静かに過ごしました。ひたすらトレーニングとササミの食事、そして原稿書きと映画を観ることに費やしました。

 お休み明けにうちのOBの先生とそのご主人、妻と4人で食事会をしました。深夜まで語り合った10時間、とても楽しくそしてとても刺激的なやり取りで、謙虚でありながら反骨心を持ち続ける人との付き合いは、同志を得た気分になり嫌が応にも元気になってしまいます。その結果、4人中3人がその後病床に伏せるという事態となりましたが、これはご愛敬ということで、ご迷惑をおかけしました患者様、スタッフさんたち、ごめんなさい。

 その時も話したのですが、僕は悩みを引きずりません。悩むことは、とても大切だけど長くなっても良いことはないし、長くすることって結局自分のため?自分を悲劇の主人公にしてしまっているだけ、あるいはmasturbation、そう思ってしまうからです。でも、悩みをやめるためには答えを見出さなければいけません。しかも、すぐにまた次の悩みは現れます。

 じゃあ、答えってどうやって出るのだろうと考えれば、僕は普段から全力を尽くして後悔のないようにすること、これに尽きます。自分が全力出してんだから、やることやってんだよ、ってとても自信になる根拠だと思っているからです。その根拠のうえで出た答えに、間違いであろうはずがないという更なる自信、これで何とか生きてます(笑)。

 負けず嫌いの僕は、物事を全て勝敗で考えてしまいます。勝ち負けでものを考えるのは、自分を苦しめるだけで良くないと聞いたことがありますが、これだけはどうも治りません。だったら、これを利用して自分を苦しめなければ良い、と考えています。その方法は簡単、例えば1日60の患者さんを診るとします。僕の目標は、60勝0敗です。しかも、その勝利は大勝であれば尚良いですが基本辛勝でも良いのです。もちろん、大勝が完治であれば大勝を目指しているのは不変です、でも辛勝でも動物が楽になってくれているのであれば勝ちは勝ち、もちろんあくまで自分の気持ちの中だけのことですけど。

 来院される前より少しでも楽になってくれれば、わずかでも幸福になってくれれば、これは僕にとっては勝利です。この小さな勝利を積み重ねることが治療の目的であり、完治につながると思っています。完治は、たった1日で成なせることは決して多くなく、こつこつと積み重ねた治癒の結果に得られるものだからです。

 どんなに苦しくとも、どれだけ辛くとも、動物の元気な姿や飼い主さんの感謝に救われるのが僕らの仕事です。でも、時にはそれ以上に過酷な事態も起こります。それこそ、何も信じられなくなるような、死んでしまいたくなるような、そんな出来事も少なくありません。どんなに楽しいことがあっても、いつ辛い瞬間がくるだろう、いつも僕らはびくびくしています。でも僕は、負けません。なぜなら、毎日60勝0敗を目指しているから、連勝記録を止める気がないから。これだけ勝利を得られる仕事って決して多くない、これだけ誇りを持って毎日を過ごせることって多くない、そう感じています。だって、ダルビッシュだってマー君だって、1年に頑張っても20勝でしょう。俺勝ってるもんって、日々の不満や不安を納得させています。

 若くして獣医臨床から離脱していく獣医師や看護師が多いです。もちろん、自分の技術や能力が不足して、ということも少なくありません。でも大半は、精神を疲弊して、身体を病んで、獣医療に絶望して、動物を取り巻く環境に辟易して、ペット業界を嫌って、日本の動物福祉や共生に嫌気がさして、やめていく者たちです。でもやめてしまったら、それは自分の無力と敗戦を認めることになりますし、もう絶対に勝つことはありません。諦めてしまったら、闘う権利も意見を言うこともできません。見て見ぬ振りをしたら、変えることはできません。

 僕らには、目の前の問題を1つずつ解決することしかできません。でも、それを積み重ねることはできます。この小さな勝利を積み重ねるって、とっても大事でとっても楽しいと、皆に感じてほしいと切に願います。

2017年1月14日午前3時半 叱咤激励
 今まで努力を重ねて頑張ってきたのなら、ここぞという時でも何も恐れることはないし、緊張することもないと思う。ただひたすら、己の力を出し切ることだけ考えれば良い、いつもの自分の良さを出すだけで充分だ。

 ただ、そんな時にこそ考えてほしいのは、より自分に厳しくあってほしい。いつも自分がやり遂げられないこと、特に努力してできないということではなく、その前に避けてしまうこと、眼をそむけてしまうこと、そう己を律すれば本来ならできるであろうことをするべき時だと思う。逃げない、自分に弱さを認める、強がらない、知らない振りをしない、無意味な格好をつけない。

 物事は、元々単純で初めから複雑なものなどない。人が、行動することなく頭だけで余計なことを考え、考えれば考えるほどがんじがらめにしてしまい、結果的に解けなくなってしまう。物事は単純なままがいい、そしてそれは難しいことではない。難しく複雑に考えてはいけない、思考を柔軟に、硬直させてはいけない。自己保身を思考に持ち込んではいけない。

 問題が起こったら、正しくしっかりその意味を感じとること、早合点しないこと、適切かつ冷静に想うこと、簡潔で的確な解答を見出すこと、その上で必ず過信せず自分の誤りに気付くこと、最後は迷わないこと、慎重と優柔不断は異なる。この単純な繰り返しと積み重ねがあれば、決して難しい問題などないはずだ。

 夢をあきらめるな、夢は見るものでも語るものでもなく、実現するものだ。夢は、1つではなくたくさんあるはずだ。1つの夢を叶えることで次の夢を実現する権利が得られる。その繰り返しこそ人生であるべきだろう。

 人の生涯は、一篇の詩になるという。どうせなら、駄作ではなく名作を作り出したい。それはもちろん作者=自分の力量にかかっている。ただ、皆に褒められる詩でなくてもいい、自分が誇れる詩であれば。生きている一瞬は、その詩の一節を紡いでいることを忘れてはいけない。

 世の人は 我を何とも云わば云え 我成すことは我のみぞ知る(坂本龍馬)

2017年1月1日午前5時 あけましておめでとうございます
 例年通り、徹夜の大晦日そして元旦です。1時前に近所の眞性寺(江戸六地蔵で有名)と高岩寺(とげぬき地蔵で有名)に初詣を済ませてきました。今年の初詣は、暖かくてちょっと正月らしくないような、でも気持ちはやっぱり引き締まります。屋台で買ったチジミが美味しかったです。

 2、3年毎にお正月に高熱で倒れますが、今年は大丈夫な年のようで今のところは元気いっぱいです。年末は、いつも楽しくクリスマスを、お正月を過ごしてほしいという想いが強くなり、なんとか年末までに病状を落ち着かせてあげたい、そう焦ることが多いです。なぜか非科学的ですが、落ち着いてくれる子も多いのがこの時期で、クリスマスやお正月の奇跡なんでしょうか。それでも大晦日と元旦を、病状が不安定なまま過ごした子、入院室で過ごした子、体調を崩した子、みんな頑張っています。年明けに外科手術の予定がある子は、十数件にのぼります。

 大晦日に外科手術がある年が何年も続いたこともあります。年越しで集中治療、そんな時もあります。みんな闘っています。今年の年の瀬はいつもより静かだなあ、そう思っていましたがぎりぎりで入院した子がいます。大晦日最後に連絡を頂いた子は、元旦最初の患者さんになってしまいました。今頃、ぐっすり眠れているかなあ。

 30日は、病院の納会としてみんなで食事をします。夜遅くにお店に駆けつけて、みんなでご苦労様会です。その後は、僕が発熱してなければ有志で朝まで呑んだり唄ったり。31日は、仕事が目白押し。氏神様の大塚の天祖神社に参拝、そしてお札などを購入。そのまま、穴八幡神社に向かい、参拝と一陽来福とご祈祷のお願い。父の古くからのお友達にお札を届けて、おせち料理とお餅の買い出し。昼食は、もちろん神社で買った屋台の料理たち。ほんとは、屋台で呑みたいところですが車だし、まだ仕事があるし我慢。

 クリスマスの装飾の片づけ、病院の絵をクリスマスから冬の絵に交換し、この後はたまりにたまった雑用仕事。ちょうどこの頃テレビで格闘技やボクシング中継が始まるため、PCの小さな画面を横眼で観ながら頑張る力をもらいます。バックには、家族が観ている紅白歌合戦が聴こえて。年越しそばを夕食に、ここからスパートです。

 元旦を迎えて、一陽来福をお供えして、一旦仕事はお休みして家族と初詣へ。帰宅すると大好きなさだまさしさんのテレビが始まり、この後は孤独な戦いに。録画した格闘技番組を観ながら今です。まだ終わらない仕事たち・・・。

 でも、これが僕にとっての一年の締めくくりの儀式であり、新年の迎え方でもあり。さて、今年も頑張ります!<「RIZIN」をながしながら>

2016年12月16日午前2時 とことん
 「そこまでやらなくても・・・」、いつも僕らがぶつかる壁です。この言葉は、飼い主さんから、第三者から、そして獣医師からも発せられます。たしかに、不必要なあるいは負担のかかりすぎる検査や治療を行う獣医師がいます。検査をする病院は良くないと評されることも少なくありません。でも、これは正しくもあり、そして誤りでもあります。正しい手順を踏んで行う検査と、何だか分からないからとりあえず行う検査、あってはいけないけど収入のために行う検査、決まっているルーティンとしてただ単に作業として行う検査、これは全く異なります。

 本来は、詳しく問診をすれば、動物の生活環境や性格、体質を理解できれば、正しく身体検査を行えば、その結果をしっかりと考察し検討すれば、もっと早く、もっと正しく、診断や治療方針を立てることができるはずです。そうすることで、検査はあくまでそれらを確定するために行うものとなり、必要最小限の項目や負担に重点を絞ることができます。

 もちろん場合によっては、全般的な体調を評価するために、治療の副作用は有害事象を起こさないようにするために、あるいは今見つかっていない予測できていない疾患を見つけるために、または隠れた基礎疾患や合併症を感知するために、ある程度を網羅した検査を徹底して行う時もあります。

 検査は、以前にも書きましたが、的確な検査項目を決めること、正しく検査を行うこと、結果を詳細に考察すること、その考察を診療に役立てること、これができて初めて検査と言えるのです。身体に負担をかけて、時には傷つけて、時間や体力を使って、費用をかけて行う検査ですから、1つでも結果から分かることを増やし、ちょっとでも役立てることが必須なんです。

 注射や投薬、手術だけが治療ではありません。環境の改善や食事管理、正しいしつけ、より良い共生、体調や病気の予測と予防、老後の備え・・・、これらのことをしっかり考え指導することこそ、治療と言えます。

 例えば、よくある常套句で「様子を診ましょう、経過を診ましょう」というものがあります。これは実は誤りで、優しい医療でもありません。ただ単に、耳ざわりの良いその場しのぎの言葉です。本来はこのような場合、どのように様子を診るのか、何に注意をするのか、どうなったら危険なのか、どのくらいの期間で定期的な通院が必要なのか、様子を診ていい期間はどのくらいなのか、経過を診て悪いことはないのか、最低でもこのくらいは予測もできますし、指導しなければいけません。

 実際には、これらのことがしっかり行われていないから揶揄されてしまうことが多い獣医療は、明らかに間違っており、それは僕ら獣医師自身の問題です。また、獣医師の中には、「自分はそんな検査をしなくても診断できる」「そこまでやる必要はない」など軽々しく批判する者もいます。こう発言する獣医師は、物事を一方的にしか診られない、視野の狭い、深い考えの至らない獣医師だから簡単に言い切れるんです。体調や病気を一方からしか、狭い視野からしか診なかったらどんな結果が待っていることでしょう。

 とことんやった経験のない獣医師だから、逆にやらない怖さを知らないで、自分の犯した誤りに気付かないで、自信満々でいられるんです。自分の経験や勘だけで診療を行うのが名医と勘違いしているから、経験のない事態には立ち向かえず、それは自信ではなく過信となり、不安もなく心配もなく、診療を行えるのです。

 僕らは診療するとき、ただ楽になれば良いとは思っていません。最高の状態に治すことで、未来につながる結果が得られ、楽に楽しく生活ができ、そして長生きができるのです。僕らは治療するとき、99%の子が助かれば良いとは思っていません。100%助かることを考えています。

 例えば、とことんやらずに診療を行った結果、本来もっと良い状態に治せるのにそこまでできなかったら、それは僕らの責任です。もし、とことんやらずに診療を行った結果、本来助かるべき生命が失われてしまったら、それは僕らの責任です。とことん診療を行わずに招いた結果は、そしてとことん行ったら本当は得られた結果と異なるならば、それは明らかに誤りで、それは獣医師の技術や知識、考えの至らない結果です。

 だから僕は、どんな状況でもとことん診療を突き詰めることをまず考えます。そこまでやらなくてもだいたいはうまくいくよ、そううそぶく奴はいます。いやいや違うでしょ、だいたいじゃダメなんだよ、もしかしたらなんていらないんだよ。やるべきことを正しくやらなければ、全力を尽くさなければ、結果は絶対に違うことを僕は知っているから。

 この程度まで良くなればいいじゃん、99/100だからいいじゃん、ではなく、もっと良くすることを考えろよ、その1/100を救えよ、そう考えるのが本当の獣医師です。こんなもんで良くなるだろう、その1/100に今が当てはまるのか、その時には分かりません。それは、あくまで結果論です。でも、結果が出てからでは遅いんです、取り返しはつかないんです。だから、今できることはしっかりやっておきたい。

 とことんやるというのは、なんでもかんでも盛沢山ということではなく、いいこと悪いことをしっかりと取捨選択もとことんするから得られる結果です。それは、広大な砂漠で小さな石を探して拾うようなことかもしれない。石があることを知らなければ、石なんて見つける必要なんてないと考えれば、そしてちゃんと探さなければ、石が落ちていることすら気付かないから、楽だと思う。でも石があるかもしれないと思わなければ探すこともしないし、探さなければ石が見つかる可能性もない。

 根拠もなく経過を診てしまうこと、検査や治療、手術は可哀そうだから行わないという情にだけ訴えること。これこそ耳ざわりのよいうわべだけ優しい医療であり、未来を考えない医療です。経過を診ることで手遅れになってしまったら?様子を診ることで悪化してしまったら?行わないことで苦しんだり痛がったりしたら?騙されないでください、獣医師の逃げに、怠慢に。今がどうあれ、今の判断でその動物の予後がどうなるか考えて、根拠を示して、責任を持って正しく判断して、行う行わないを決断する、そういう獣医療を目指してほしい、受けてほしい。

 とことんやる診療とは、いろいろな検査をすることではなく、治療を徹底することではなく、外科手術を強行するのではなく、正しく突き詰めることなんです。

2016年12月5日午前1時半 福岡
 学会で福岡に行ってきました。学会では、会議も含めしっかり頑張ってきました。でも、やっぱり楽しかったのは博多は中洲の夜です。同じ意識を持って切磋琢磨していく師や先輩、友人、後輩と、腹を割って話せる機会となりますから、学会の夜は大好きです。

 特に今回は、美味しい肴と豊富なお酒に恵まれた福岡というだけでも楽しいですが、熊本出身の母と大分出身の父から生まれた僕は、東京生まれというよりもむしろ九州男児足りたいと思っており、夏の鹿児島もそうでしたが九州はとっても肌に合います。

 そして今回も、楽しく温かい出逢いがありました。正直一軒目は、かなりがっかりでした。博多では老舗のお店、いろいろな場所に支店も出していて烏賊と鯖が評判のお店。確かにお店は綺麗で接客も丁寧、でもお店全体の雰囲気が硬いというか優しくないというか、杓子定規というか。楽しみだった料理も?先輩とのせっかくのさし呑み、かなりの落胆でした。

 遅れてみえる師匠との待ち合わせの二軒目に期待しようと、早々とこのお店を後にしました。でもまだ待ち合わせまで時間があり、屋台に行くか他の店にするか中州を探索です。まずはお寿司屋さんの場所を確認、先生を待たせてはいけないという先輩の配慮、僕は楽しければ少しくらいというずさんさ、さすが先輩です(笑)。ということで、そのそばで探すことにしました。

 僕の好みは屋台、先輩は屋台は不安と何度も行ったり来たり。黒服のお兄さんたちに声をかけられること数十回、後ろ髪を引かれつつお寿司屋さんのお隣のいい雰囲気のバーに。もちろん先輩の推奨。

 ところがこのお店、焼酎も豊富でバーテンのねえさんも良いキャラで。お隣の大将とも仲良しということで、お寿司屋さんの評判(老舗で絶品のお鮨をにぎられるとのこと、大将は強面ながら優しい)から中州のことまで話は盛り上がりました。また、仲良しの常連さんたちが出入りしていて、これも好感の持てる方たちで◎。

 と、ほろ酔いの親父さんが来店。どうもディープな常連さんのよう、約束の品を差し入れにみえたご様子。これがめずらしいなかむらの黒という焼酎。皆さん試飲をしてその味にご満悦、いいなあと思っていると僕らにもご馳走が。このおじさんと焼酎話で盛り上がると、東京に送っていただく約束までしちゃいました。外に出てらした大将とも挨拶を済ませていざ出陣です。

 師匠と合流して期待のお鮨です。刺身も肴も絶品、特に煮つけの味と言ったら、これ今までの最高かも。大将と弟子の女性の板前さんも気風が良く、お鮨も期待にたがわず美味、皆で大満足のお味でした。お隣のバーにもお鮨の差し入れを、だって食べたことがないって言ってたし、なら何で美味しいって自信満々なのかという疑問は伏せつつ、喜んでいただきました。

 と、本日僕に宅配便が。約束の焼酎が届きました!中洲は、味もさることながら人の情が素晴らしい街でした。

2016年11月17日午前4時 鳥羽と伊勢
 鳥羽と伊勢に旅行に行きました。前にも書きましたが、旅に出ると必ずやるのが宿泊施設の探検、庭や周辺の散策、そしてその街を歩き回ることです。旅館やホテルの館内を歩き回るのは単なる興味からなんですが、1つ所に長逗留するのが好きで、近道や裏道を見つけると楽しくなります。高校時代にはまったハードボイルド小説、フィリッピ・マーロウやサム・スペード、彼らは必ずホテルの構造を熟知して非常事態に備え、街の雰囲気を感じ、事件の核心に迫っていきます。周辺の店、特に地元のバーやバーテンダーには必ず情報があると必ず訪れます。

 この影響かどうかは分かりませんが、この癖はでもよく考えると小学生からの習慣なので、後付けの格好付けかな。でもそのおかげで、必ずと言っていいほど良いお店に出会い、良い人に出会い、何度も訪れたくなってしまいます。また、ガイドブックは国内の旅行ではあまり読まず、でも興味のある史跡や施設にはこれまた必ず出会います。特に城址や博物館、記念館、古民家には目がありませんが、今回も九鬼水軍の九鬼義隆の城址公園やたまたま九鬼家の鎧の展示が始まった市営の施設、庄屋さんの古民家、大好きな江戸川乱歩の記念館など十二分に街を楽しみました。

 旅館の食事何処のソムリエの方やお寿司屋さんの大将とも仲良くなれました。また、訪ねなければいけない土地が増えてしまいました。学生時代に訪れた時は貧乏旅行、視野も狭いし気持ちに余裕もない、もっと見るべきことや体験すべきことがあったことを、昔の自分に教えてあげたい。

 伊勢神宮には、早朝に外宮を参拝し、そのまま内宮へ、参道がにぎやかになるころに参拝を終わり、お待ちかねおはらい町やおかげ横丁でのお店めぐりや呑んで食べて、そぞろ歩きの開始です。伊勢神宮は、これが楽しいです。そして必ず旅行で出会うのが、自分の好みにバシッとはまる家具や調度品、装飾品との出会い。今回は、可愛い猫たちの置物と出逢いました。

 ただ残念に思ったのは、以前参拝した時に感じた神社の荘厳さがあまり感じられなかったこと。奈良の橿原神宮で感じた凛とした雰囲気や静謐さの中にある力強さ、これが伊勢神宮には感じられませんでした。目につくのは、ただひたすら写真を撮り続ける人たち、木々にベタベタ触りまくる人たち、パワースポットブームのためか遷宮からの観光ブームのためか、所作が雑で雰囲気が良くない。

 神木に触れることの意味、結界の意味、そういうことを知らないまでも感じる気の張り方は持ってほしいと思うのは余計なお世話でしょうか。パワースポットは、弱ったから行くところではなく、力をただもらいに行くところではありません。負の想いをためてみえる人が多いということは、それらも引き付けてしまうところであり、ただすがったりすれば、むしろ悪い結果にもなります。パワースポットは、決して他力本願な場所ではなく、自分の想いや気を充溢させて、力を感じて帰ってくるところなはずです。そして、尤もな大事なことは、唯一自分を守ってくれる神様は、遠くの有名な神様ではなく幼少時から見守ってくれる氏神様です。

 伊勢の参拝は、元々江戸時代の旅行を許されない中で、唯一旅行をするための口実であり、日本で最初の団体旅行や観光地化の部分もあります。だから今回の物足りなさにつながったのかと思いましたが、たぶんそうではなく訪れる人の気持ちや想いのせいだと気づきました。こういうことを書くと、すごく信仰があるように思われるかもしれませんが、僕はむしろ神様や宗教は信じない方です。他力本願や何かにすがるということは、大っ嫌いです。ただ、やっぱり大切にしなければいけない心なんだと、今は思っています。
 
 遷宮の前日に伊勢神宮を訪れた親友は、とても荘厳さを感じたということです。ならば、やはり人の想いは神社の雰囲気すら変えてしまう、そして僕の心構えも悪かったんだと、ちょっと反省しています。

 今回は珍しく、女性の願いを叶える神社や海女の方の神社、猿田彦神社など巡ってみました。自分らしくないことかもしれませんが、そうしたいと思うということは何かを僕が感じていたのかもしれませんし、それも良い経験でした。

2016年10月29日午前4時 つづき
 また、人医療でも患者さんが喜んで医療を受けていることは決して多くはなく、たとえご自身で了承したうえでの医療でも、嫌々受けているのは同じで、それを口に出したり、態度に表したりするかどうかの差でしかありません。態度に出すから嫌、出さないから嫌じゃない、こんな短絡的なことはありません。この点を理解されていないから先のお話になるのかはわかりませんが、僕から見れば浅慮であると言わざるを得ません。

 第二に、患者さん(動物)の理解や了承が取れずに行うことが基本の獣医療と、一部を除いてほとんどの方が患者さん本人の意思で決定ができる人医療では、医療への考え方が根本的に異なります。さらに言えば、ほとんどが嫌がる子に対して施す医療である獣医療は、老齢に関わらず幼齢の子にも負担を強いる医療です。ただ、その負担はその子が感じている痛みや苦しさを越えるわけではありませんし、むしろそれを鎮めることができることが基本です。ただ、苦しめているわけではありません。

 これらのことを理解せずに医療に携わることはないと信じたいですが、例えば小児科の医師も同じ悩みを持っているのではないでしょうか。好きで辛い想いをさせているわけではない、好きで入院させるわけではない、好きで手術をするわけではない、本当だったら「やらないでいいよ」と云えれば、その時の患者さんやご家族は楽になれますし、言った自分はもっと楽になれます。優しい先生だと慕ってももらえます。でもその言葉が、これからの生命に影響し、これからの痛みや苦しさを増やしてしまうなら、今は心を鬼にして言わなければいけないことややらなければいけないことがあります。

 嫌だと言うことをやらないで良い医療であれば、どんなに僕らは楽だろうと思います。なぜ嫌な想いをするのか、どうすればその負担を少しでも楽にできるか、どうすれば楽しく楽に過ごせるのか、病気や治療と向き合う術は?そういうことを日常的に考えなければいけないはずなのに、それを行わない医療は、それは人医療の傲慢だと思います。

 僕らは、生きるということに純粋な動物を医療の対象としています。そして、彼らのその想いは人に比べてとても強く、真摯なものでもあります。彼らは我慢強く、痛みも苦しさもなかなか表に表しません。その彼らの頑張って生きることの目標は、飼い主さんと一緒に、幸福に、生活することです。苦しむことよりも飼い主さんと離れることが彼らにとっては不幸です。飼い主さんの不安や不満が不幸です。

 そんな彼らに対して僕らのできることは、苦しんでいることに気が付いてあげること、何が苦しめているのか見つけてあげること、その結果人知れず苦しむ動物を楽にしてあげること、そして飼い主さんと1日でも長くお互いに楽しく暮らしてもらうこと、これだけです。

 もちろん、この医師を責めているのではなく、いろいろな事情を広い視野で、多方面から考え検討し先を見通すことで、納得できる獣医療を、後悔のない診療や看護ができるということを強く推したいのです。獣医師がしっかりお話ししていれば飼い主さんは後悔しなかったであろうこと、医師がもっと物事を深く考えてくれていればこのような発言はなかったであろうこと、ここに尽きます。

 僕らは、最善の獣医療を行うにあたり、動物の想いや意思を無視して診療を行うことはありません。飼い主さんの気持ちや主張を全て鵜呑みにするわけではありません。動物の望むこと、飼い主さんが欲すること、翻って嫌がること、嫌うこと、どちらにも迎合することはなく、逆に、たとえ正しくなくともそれらの想いを踏みにじったり、無視するものではありません。何が動物たちにとって一番良いかを考え、説明し、話し合った末に、あくまで正しい医療を施すことを考えます。その中で、飼い主さんにとっても良い方法を探し出し、それが最善の選択となる場合もあれば、妥協の産物でしかない場合もあることを熟知しつつ、獣医療を行っています。

 この原則は、医療にも同じであると思いますが、どうなんでしょうか。論じるべきはこの点ではないのでしょうか。

2016年10月21日午前4時 想う
 またもや、緊急の手術が続いています。本日もおかげさまで無事手術は済みました。すやすや眠っています。

 ある医師の書いたネットでの記事について、「先生ならどう考えますか」そう問われました。たぶんその方は、僕の答えを予想したうえでの問いかけのような気がしますが(笑)。

 生活を共にしている老猫さんが腎不全を患い、その血液検査のため動物病院でお手伝いした時に猫に咬まれた高齢の飼い主さんのお話です。その医師は、嫌がる猫と少しでも長生きしてほしいという飼い主さんの想いの間で、獣医師は大変だなあと思われたようです。猫の意思をもっと尊重しては?と。その後、猫と死別しどこまで医療を行うべきだったかと悩みペットロスに陥る飼い主さんにその想いがその原因であると指摘しています。

 反して、高齢の患者様に検査をお勧めしたところ、「今は痛い膝さえ良くしてくれればいい。他の病気はもういい。」という返答をもらい、これがその答えでは?という問題提議で終わっておりました。

 このお話は、いわゆる手厚い医療と過剰医療の狭間で考えること、そしてターミナルケアをどのように行うか、その葛藤を書かれているのだと思います。ただ、僕はこの話が美談になってしまうこと、この医師が良医であると思われてしまうこと、これに対して大きな違和感をおぼえました。ああよくある話だなあと、世間の考える良い医師とはこういう医師を言うのだろうなあと、医療に真摯に向き合い困難に立ち向かっている医師は、がっかりだろうなあと。

 まず第一に、そもそも老猫さんの腎不全がどのように発見されたのかが、全く無視されています。腎不全に多い体調不良や嘔吐などの症状があって苦しんでいたのであれば、老齢に多い腎不全や甲状腺疾患なのか、特発性胃腸炎なのか、猫に多い急性膵炎や胆管肝炎なのか、問診や身体検査で仮診断はできても、やはり検査は必要になります。なぜなら、病気が分からなければその苦しさを取り除くことができないからです。もし、ここでの検査を可哀そうと考えるならば、病気で苦しむことは可哀そうではないと考えなければいけないことになります。

 もちろん、検査を最小限にするのは老齢に限らず獣医療の基本ですし、その検査の負担がどの程度であるか、実施前に検討しなければいけません。検査の負担が大きすぎるのであれば、実施せずにある程度経験と予測に基づいた試験的治療も選択肢に入ります。もちろん、この治療には効果の不足や見当違いなどのリスクが必ず付きまといます。検査を決めても、全てが可能かどうかは分からず、途中で中止することも考えます。これらのデメリットを覚悟して行う必要があります。

 これらを総合的に考えたうえで、その老猫さんには効果的であると考えられれば、勇気を持って検査や治療を行うわけですが、これは行うリスクと行わないリスクを天秤にかけるわけです。もちろんこの判断には、飼い主さんの心情や想い、病気への理解、ターミナルケアに対する考え方、予後や方針、ご事情や経済的事由なども考慮に入れ、念入りにインフォームドコンセントを行わなければいけません。重篤な老齢動物の場合は、検査時の興奮などで病気によっては急変する可能性も考えなければいけません。

 あるいは、症状などはなくて比較的元気、定期健診で発見された腎不全であれば、元々定期検査をする意義について〜もしかしたら苦しめているかもしれない病気を見つけてあげる、病気の早期発見をして早めに対応してあげる、何か苦しめるようなことが起こっていないかどうか知ってあげる〜これらのどこに目標を持った検査であったのかが、その後に診療に大きく影響しますし、元々定期検査をする際にこれらの方針は決めておかなければいけません。

 例えば、膝が痛いとお話があったおばあちゃん。この膝の痛みは、高齢の方に多い変形性骨関節症なんでしょうか。もしかしたら、他の疾患や合併症ではないでしょうか。あるいは、痛みを楽にする消炎鎮痛剤は、胃腸や腎臓、血液凝固不全、肝臓などに害がありますが、それらの副作用はチェックされているのでしょうか。痛みを呈する疾患が、内臓などに隠れていないでしょうか。これらを検査で見つけてあげることは、寿命を伸ばすことではなく、余生を楽に楽しく生きていただくことにはとても有意義なものです。

 であれば、検査の目的や意義をご説明して、そのうえで実施するかどうかを決定するべきではないでしょうか。今ある膝の痛みや老化は、実は100ある苦しさの中のうち70くらいで、隠れた30があるなら、70は治せなくても30を治すことでもっと健康的に過ごせるのではないでしょうか。そのうえでご希望になられないのであれば、サプリメントや理学療法で少しでも膝の負担を減らし、検査をせずに予測できる病状を考え、負担のない程度のケアをしてあげるべきだと思います。

 年だからもう必要ない、表面的には優しい医療に見えるかもしれませんが、苦しさや痛みの放置になる可能性もある医療でもあるのです。患者さんが嫌がるから、そうしたがるから素直に従う、これはとても優しい医療に感じますが、実は責任放棄の人任せの医療ともなりかねず、時には心を鬼にして厳しく説得したり、対処することが優しさになるのも事実です。医療従事者であれば、これらのことを適切に判断しなければならず、このような覚悟を持っていなければいけません。

 このような経験は、どなたにも日常にあることだと思います。嫌でもやらなければいけないことはたくさんあるのです。体調不良があれば遊びに出かけたくても休まなければいけない、病気で食欲がなくても我慢して食べなければいけない、美味しいものを食べたいけど健康のために節制する、糖尿病や痛憤には食事制限、発熱には好きでもない解熱剤を服用する、外傷には痛みを我慢して傷の手当、歯痛には行きたくない歯医者さんへ・・・、思い当たることはたくさんあるはずです。今の痛みや苦しさを取り除くには、全て楽に取り除ければ幸福ですが、そうはいかないものなんです。

 検査を否定しておばあさんは、その検査は病気かどうかを診断して、さらに検査が行われて、それは決して楽なものばかりでなくて、その結果投薬や苦痛を伴う治療が始まる。いわゆる、検査→悪い結果→また検査→そして治療という図式ができ上がっていて、自分の意思に反して流れで進んでしまうという恐怖があるのではないでしょうか。

 本来検査は、病気を見つけるためや病気の原因を知るため、何が苦しいかを判断するために行われますが、実際にはその結果から患者さんが病気の苦しさから解放され、痛みが治まり、楽しく楽に生活するために行われるものです。であれば、上記のような図式はあり得ないもので、1つずつしっかりと相談し、1つずつ答えや予測を出して、納得の上で、極力望む形に近いもので、進まなければいけません。

 そもそもなぜ検査を行うのか、嫌がることを行う必要性はどうしてあるのか、それでも難しいならどう説得するのか、どのように理解してもらうのか、納得の上です進べきものです。

 詳しい問診を行い、病気や治療内容をご理解いただき、どれだけ動物が苦しいのか、あるいはこれから苦しむ可能性がどれだけあるのか告知し、その費用や負担などをご検討いただき、その結果やっと診療が始まる獣医療と、頭ごなしに有無を言わさず進めることが多い人医療と、そこには大きな隔たりがあります。日本の医療レベルは世界に誇れるものですが、これらの点については明らかに獣医療に分があると思っています。

 これらのことを考えずに、もしこの医師が浅慮でペットロスにまで言及されたのであれば、自身の意見の押し付けであり、それはむしろその方をさらに苦しめる結果になり、何ためのアドバイスなのか、本末転倒です。またこれらの不用意な言葉が、動物を亡くした方たちを苦しめている事実を、本当に考えていらっしゃるのでしょうか。

 自分の仕事に誇りを持ち、それを極めようとしているプロは、自分の力量も限界も困難さも、そして影響力も重々承知していますから、雑談ではなく自身のフィールドでの他分野への考察や意見は、普通行いません。なぜなら、自分の私見が専門家の発する知識と捉えられてしまうことが多いからです。今回の場合、もちろんお話の対象は人の医療であり、その例として動物の医療を挙げたに過ぎないことと思いますが、動物の医療への治験が乏しい一個人の意見を言うならば、それはむしろ患者さんに混乱の種をまくことになります。それは、より患者様を苦しめ、負担を強いることになるかもしれません。

 長くなりそうです、続きはまた後日。

2016年10月4日午前5時 外科手術
 緊急の手術が続いています。金曜日の夜は、後肢の断脚手術でした。大腿から腰までの筋肉に及ぶ癌(肉腫)のため、痛みを感じないように、もっと元気にいてくれるように、楽しく長生きしてもらうために、後肢を諦めざるを得ませんでした。

 動物は、3本肢でも元気に、不自由なく生きられます。姿は変わっても、可愛いのは変わりません。痛みを感じながらいるよりは、よほど楽です。でもね、本当はやっぱり違和感や不自然さを感じていると思います。肢も4本あった方がいいに決まっています。でも、それよりも飼い主さんとずっと一緒にいることを、楽しく過ごせることを望んでいます。

 大学病院にいた頃、両後肢を断脚手術した猫ちゃんがいました。術後2時間、前肢だけで鉄砲玉のように走り回る彼の姿は、不安だった僕らを勇気づけてくれて、そして笑顔にしてくれて、安心させてくれて、でもなぜか涙が出てきたのを覚えています。

 断脚手術を行う時、やはり一番のハードルは、その事実を受け入れられない飼い主さんの動物を想う気持ちです。ほぼ100%、告知時には拒否されます。愛情と不安、そして憐憫と恐怖、いろいろな感情が入り乱れます。だけど、皆さんその後しっかりと相談されたり、考えられたり、すると頑張ってあげようと受け入れられる方がほとんどです。そんな時、僕は感謝の気持ちでいっぱいです。よくぞ決断していただけた、これに尽きます。

 となれば、これだけ過酷な決断を強いて、動物にも決して楽ではない手術に耐えてもらって、僕が頑張んないと申し訳ないし、失礼に当たると思います。このような困難かつ精神的な負担になる外科手術や治療に臨むとき、敬意を表することは必須だと思います。

 手術は予想以上に難しく、そしてそれだけ遣り甲斐のある手術でした。今回の断脚手術は、骨の疾患を目標に行う標準的なものではなく、筋肉のすべてを切除する大掛かりなもの、しかもその筋肉内には肉腫があるわけですから、サージカルマージンの判断も難しく。さらに、肉腫に繋がる栄養血管が多く、神経を損傷しないように回避して、結局麻酔時間10時間、手術時間7時間半、久しぶりの長時間の手術でした。手術が終わったのは、深夜の1時半、全身麻酔から目覚めたのは3時近く、仕事がひと段落したのは4時過ぎでした。

 その後の術後管理があるため、僕が休んだのは結局7時半、土曜日の診療はハードでしたが、外科手術をやり切った充実感で変に元気で、術後のワンチャンの経過が良好、それさえあれば頑張れます。土曜の夜は、すでに安定している術後の子を奥さんにお願いし、フットサル大会と打ち上げで3軒はしごして朝まで。こういう時のお酒は、とっても美味しくて、でもこういう気晴らしもできずに頑張っている子には何となく後ろめたく。

 日曜日の朝から診療、昼から舞台「真田十勇士」を観て、夕方から診療、でその後はご近所の焼鳥屋さんで一杯、福岡のお土産を届けにみえた友人とまた一杯、頂いた明太子で家呑みが3時まで。もうすでに行き過ぎの感は否めませんが、それだけ今回は特別だったということで。え?いつもだろ、という外野の声はさておき、自分は凄いのか、おかしいのか、タフなのか、迷惑なのか、そこはノーコメントですが、さすがに今は瞼が重くなってきています!が、これができなければ若いもんに負けてしまいます。と、つまらない負けん気だけで生きてます。

 今日は、脾臓の腫瘍のための脾臓摘出手術でした。こちらも難しい外科手術でしたが、無事終了しました。当院での脾臓摘出手術は、その難しさとは裏腹に、出血もほとんどなくたいてい1時間くらいの速さで行え、長くても1時間半くらいで終わります。だいたい平均的な病院では、2〜4時間かかることが多いのですが、これはちょっと自信過剰ですけど鍛錬と経験、師匠と奥さんのおかげかと。ところが思わぬ苦戦で今回は2時間かかってしまいました。でもやっぱり、外科手術が成功して、術後の回復も良好な子で、これまたやっぱり僕も負けていられません。 さて、今日も頑張ります!!

2016年9月18日午前4時 連休
 連休ですが、あいにくの雨。そして、キャンプに行く予定でしたが、入院の子がいてこれもキャンセル。もちろんこのキャンセルは致し方ないことで、実際には入院が必要となった時点でアドレナリンが出てきて「さあ、闘うぞ!」と戦闘モードになるわけで。不謹慎とは思いつつ、難しい病状や困難な手術に向かうと、へんなテンションに上がってしまう習性が。すいません、こればっかりは治らないようで、そのおかげで頑張れると思って許してください。

 しかも病状は快方に向かっていますから、そこはむしろうれしい限りなのですが。今年最後のキャンプの予定でしたので、ちょっとばかり残念です。もちろん、天候があれる予報の連休ですが、雨は雨で良さがあるのがキャンプであり、雨音とか風の音とか雲の流れとか、そういうものに触れるのも楽しいもんです。もちろん、夏の朝は蜩や鳥の声で目覚め、朝の涼しめの風の中からカーッと日が照りだし、「あちい、あぢい」と言いながら大汗をかきながら、散歩したり、仕事したり(笑)、トレーニングしたり(大笑)、挙句には焚火したり、それはそれで大好きなんですけど。そう考えると、雨も良いよはやせ我慢かもしれません。

 キャンプの楽しみのもう一つは、前にも書きましたが今では家族同然のお付き合いの管理人さん親子との毎日。思いつくまま話したり、遊んだり、酒を呑んだりこれがとっても楽しい。仕事に対しての意識や姿勢、日常の趣味などいろいろ気が合うお友達です。今回残念なのは、キャンプに行けないことよりも、また来年までお会いできないからが大きいかなあ。

 よく聞かれるのは、「キャンプって何やるの?」ってこと。釣りしたり(1度もありません)、サイクリングしたり(スタッフと行ったときだけ)、BBQ(同じくスタッフとの時だけ)、川遊びや滝遊び(ごく稀に)、観光(ほぼありません)、スポーツや遊戯(スタッフや子供となら)で、何やってるかっていうと、やることないことが、決まっていないことが楽しいんです。お腹減ったら食事を作る、行きたくなったら散歩する、気ままに本を読む、空や山をボーッと見上げる。時間がゆっくり過ぎ、1日がこんなに長いんだと実感し(5:00くらいに起きて、0:00くらいまで活動していいるから当たり前か)、月明かりの明るさに感動したり、飛び交う蛍を追いかけたり。

 あとは、普段やっていることと同じ、普段やり残した雑用や原稿を書くお仕事、診療のまとめ、お勉強、これキャンプ場だとめっちゃはかどるんです。その代わり、あまり気合が入りすぎると夜になってしまって、網戸無しで明かりをつけてるとPCが虫だらけになったりしますが。お気に入りのDVDを流しながらのお仕事は、至極の瞬間です。

 筋トレしたり、散歩したり、持っていった玩具や遊具で遊んだりも楽しいし、唯一の外出と言っても過言ではない買い出しに出かけたり。この買い出しが、ちょっとしたアミューズメント施設に行くような感覚で。普段行けないディスカウントショップやカインズホームは、お店を隅々見て周ります。以前は娘としまむらで良く服を買って、趣意が悪いと奥さんに叱られました(龍の刺繍が入ったデニムやシャツなんか)。地元の美味しい食材、特に野菜や卵は農家さんの無人販売所とか農協さん、はしごします。

 御殿場に墓地があるので、キャンプに行くときは必ず墓参するのも行事の一つです。富士山に近い霊園は、とても気持ちの良い場所です。行きつけのお肉屋さんも最近見つけ、絶品の馬刺しとコロッケははずせません。

 キャンプで困ることは1つ、実はキャンプ場で風邪をひくことがたまにあること。仕事を始めてから、連休には風邪をひく、正月にはインフルエンザ、旅行先で寝込む、これ定番行事になっています。病は気からを体現しているわけですが、はしゃぎ過ぎという声もあります。この夏初めて、キャンプ初日に扁桃腺が腫れました。スタッフといった恒例の夏BBQ、スタッフみんは夜に病院に戻って仕事(ごめんなさい)、僕はそこから長期キャンプに突入なんですが、どうも午後からテンション急降下だったようです。自分で気づいたのは、みんなを帰した夜からだったのですが、周りからは元気がない様子だったと指摘を受けました。深夜に発熱、翌朝よりテントから管理人さんの部屋に移って、1日寝込ませていただき、夜には回復したのですが、これきつかったです。

 なまじ体力があるから、初期には全く本人が気づかず、どうしようもなくなって発症するという見解を主治医から下されていますが、ほんと気付かないんですよね。このあいだのサマースクールも、一晩目の夜から何となく喉に違和感はあったものの、朝から夜まで元気に過ごし、帰京後の夜に発症。気管支炎でした。同行した方によると、すでに二番目には様子がおかしかったとのこと。本人、全く元気だったのですが。

 どうも昔から、周りの人に気遣われることが多くて、たぶんやんちゃな子供がずーっと続いているので目を離せないんだと思います。世話を焼いていただけることが多くて、よく言えば放っておけない人気者、悪く言えば厄介で面倒な人。でもその地位が心地よく、甘んじてその評価は受け入れております。昔から男友達には、おなじだめなタイプが少々、あとは繊細かつしっかり者が多いです。女友達は、逆に男勝りな方が多く、まあ自分ながらに理由が分かっているような。

 今年のキャンプでは、でも一つだけ悲しい出来事がありました。宿泊しているお客さんが突然呼吸停止したと。管理人さんに頼まれて、容体を診に駆けつけましたが、すでに心停止しておりました。取り乱す奥様と状況が分からないお子さんに声をかけつつ、救急車が来るまで妻と二人で人工呼吸と心マッサージを行いましたが、蘇生できず。救急隊員に引き継ぎましたが、翌朝に亡くなったとお聞きしました。


 小さなお子さん〜8歳、6歳、2歳〜が3人、35歳のお父さん。翌朝、キャンプ場に戻られた奥様は、憔悴しきっておられ、僕には声をかけることすらできませんでしたが、管理人さんが元気づけるように声をかけると泣き崩れておられました。この時の管理人さんの態度、とても尊敬できるもので、僕も元気を頂いたような。まだまだ、僕は未熟です。

 ちょうど15年前の33歳の時、過労による免疫不全で死にかかりました。そのとき、長女は5歳、長男は2歳、次男は生後5か月でした。獣医師になって10年、生命を救うには自分の生命を惜しんではできない、そう思い休みなく昼も夜も働いた結果でしたが、なぜか死ぬことに恐怖はなく、むしろやり切った満足感がありました。坂本龍馬の享年も33歳、亡くなった年がちょうど僕が生まれた100年前、同じだなあなんて感慨すらありました。
 
 今思えばとても無責任、だけど妻も獣医師ですし、保険金もあるし、大丈夫だろうなんて安易に思っていました(笑)。遺書を書いていたのを思い出します。

 でも、他人のこととなるとやっぱり生きていてほしいし、心マッサージをしながらこの子たちを残していくな!そう思いっている自分がいて、不謹慎だけど何だか今更ながら15年前の自分の間違いに気づいたみたいで。

 ご主人様のご冥福と奥様とお子さんの今後の幸福を祈ります。

2016年9月7日午後2時 鹿児島
 怒涛の7、8月が過ぎました。学会の認定試験に関わり、その後は熊本支援、そして毎夏恒例の学会開催とサマースクール。毎年サマースクール後は呆けて抜け殻になりますが、今年はそんな程度では済まず、先週は一週間気管支炎で寝込んでしまいました。

 8月末の金曜日から日曜日の3日間、鹿児島での充実したスクールでしたが実は何となく金曜日の夜から気管に違和感が。37℃を越える暑さと熱帯夜、エアコンをかけっぱなしの夜、汗かいて冷えての繰り返し、緊張と張り切りすぎ、そして夜毎の呑みすぎ、いっぺんに襲われ負けてしまいました。

 サマースクールは、例年通り充実した内容となり、熱き講師陣のこれでもかというメッセージを全身で受け止め、そして真摯な態度と熱意を持って応えてくれた参加者たち。適度な緊張と程よいリラックスと、立場や年齢、経験を越えての議論や相談。夜は打って変わって、ざっくばらんな意見交換とただひたすら楽しい呑み会。

 教える側として、運営する側としての参加ながら、毎年々々気付かされたり教えられたり、十二分な刺激を受けて、反面疲弊して鹿児島より帰京しました。両親がともに九州出身で、幼少時は熊本で過ごすことも多かった僕は、九州特有のじりじりした暑さが大好きで、得意だと思っていたのに、今年は不甲斐なくやられてしまいました。

 それにしても、桜島の雄大さとその懐に抱かれるような錯覚を起こさせる立地は格別で、他にはない力強さと居心地の良さを感じる歴史の残る街並みは、とても魅力的でした。噴火を目の当たりにしてもそれを日常にしてしまう大胆さ、薩摩隼人の心意気を感じる瞬間でもありました。海越しに近くそびえる威厳のある山と九州屈指の市街地が共存している不思議さ、関東にはない切り立った山々、霧島や開聞岳という猛々しくも美しい山並み。

 合わせて、九州人特有の人懐っこさと心遣い、そして鹿児島特有の雄々しい人情。決して男尊女卑ではないけど、男性が元気で特に高齢の方の元気には正直負けそうでした。地方に行くといつも思うのは、東京にはない山に囲まれる心地よさ。そして、城下町特有の歴史と情緒、川の水面、城や史跡、やっぱり僕はこういう所の方が居心地良く、懐かしさを感じます。熊本にも阿蘇山があって、生活と山が密着していますが、鹿児島はまた独特であり、桜島を毎日見ながら生活をしたら、何かそれだけで変化が起こるような、そんな気がしてしまいます。鹿児島大学に入学してくれないかなあ、独断と偏見でそう思ってしまいました。

 今回は、サマースクールと合わせて、知覧の特攻隊の基地跡を訪ねる目的もありました。何を守るために自分の生命を投げだしたのか、何を想って飛び立ったのか、我々に何を託したのか、本や映画から知っているつもりでいましたが、遺品や展示物を見学して、お話を聞いて、手紙を拝見して、ここでしか分からない伝わらないものを感じることができました。

 また、日本獣医学の祖、ヨハネス・ルードヴィヒ・ヤンソン先生の墓参の機会を得ることができました。ドイツの先進的な獣医学を日本に広め、今でも東大には銅像が立ち、ヤンソン賞という表彰もあります。獣医学だけでなく、日本の文明開化にも寄与された先生は、日本の女性とご結婚され、奥様の故郷の鹿児島で没され、同地に葬られていらっしゃいます。

 さらに、薩摩藩の史跡である尚古集成館を訪ねることができました。幕末の歴史好きの僕には、さらに垂涎の場所で、ゆっくりと施設や庭園を周ることができ、また知覧とは異なる歴史と想いの懐に身を委ねることができました。できれば、ふるさと維新館や西郷顕彰館、その他街に残る史跡や銅像などをゆっくり観たかったなあとちょっと物足りなさも感じましたが、それは贅沢すぎますかね。次は、ゆっくり訪れたいものです。

 今回は、歴史を肌で感じることができる機会を得、また、この経験を志を同じくする師匠や仲間と共有することができ、とても代えがたい経験をすることができました。以前も、この面子で山口を訪ね、同じ想いを抱きましたが、次は自分ひとりで、あるいは妻や子供たちと体験することで、また違ったものが見え、想いを感じ、想いが生まれるような気がします。

 年末に役員をする福岡での学会に行くつもりですが、時間が作れたら鹿児島か、あるいは山口に立ち寄りたいと密かにに考えています。

2016年8月10日午前4時 ばたばた
 ばたばたしていて、更新できませんでした。書きたいことはたくさんあるのに・・・、少しずつアップしていきます。

 今回は、HPにある僕のモットー、少し変えてみようと思いました。

 私が目指しているのは、獣医療分野におけるジェネラリストのスペシャリストです。専門性を高めることは重要ですが、より大切なのは正しい一次診療=総合診療を行うことです。様々な悩みや症状を抱えた飼い主さんが訪れる地域の獣医療は、まずは診断を下すことが重要であり、一つの分野を極め、他の分野はその分野の専門医に任せるという専門医療よりも、総合的な診療ができなくてはなりません。専門医療は、ある程度の適切な診断を行われていることが前提となり、そのうえで力を発揮するものです。

 正しい総合診療とは、専門医と同等の知識を持ったうえで、適切な問診により問題の予測を立て、仮の診断を行い、身体検査や動物に負担をかけずに済む必要かつ最小限の検査で除外診断や鑑別診断を行い、診療・治療プランを確定します。この時点で確定診断が難しい病状では、より詳しい検査をどのように行うか、あるいは現状の容態改善のための治療を優先し、治療により診断を確定する(診断的治療)かの判断が必要です。
 
 これは、医療としてはごく当たり前のことですが、人医療でも獣医療でもこれをしっかり行っている医師・獣医師は少ないのが現状です。
 
 私は専門医とは、本来一部の専門性を高めることは、この総合診療を正しく行えることの上に成り立つものでなければいけないと考えます。多角的な診療ができれば、豊富な知識や技術により誤った診療や治療を行うことなく、高度医療の提案や検討、相談も可能となり、専門病院や大学病院と連携した高度医療の実施も可能となります。

 私の言うジェネラリストのスペシャリストとは、獣医分野における全体の総合的知識と技術、豊富な臨床をもとにした経験と実績、そして何より大切な心を伴った獣医師なのです。例えば、しっかりした臨床医であれば、専門医でなくとも、専門分野の知識は豊富であり、質の高い総合診療は行なえるわけです。その結果、自身で対処が可能か(出来るだけそのように努力します)、高度医療(専門医や設備の必要な診療)が必要か、正しく判断することが出来ます。逆に、総合診療のできない一般臨床医は、誤った診療を繰り返したうえに専門医にその後を押し付けてしまいます。総合診療のできない専門医は、「専門分野以外は考えないで良い」といういつの間にかできた都合の良い言い訳や逃げ口上で、正しい高度医療の実践を行わずにいます。    

 私は大学病院の外科出身のため、麻酔や外科が専門と思われることが多いのですが、 まだ、いろいろなことに興味がありすぎて様々な分野を勉強しています。腫瘍学、軟部 外科学、麻酔学、心臓病学、消化器病学、皮膚科学、免疫学、代替医療などです。 この多方面の知識と臨床経験が皆さまのお役にたてるよう、日々探求し、診療にあたっております。

2016年7月14日午前3時 ちょっと考えたた
 参院選挙と都知事選挙、いやでもうんざりでも政治のことを考えないといけない今日この頃、相変わらずの国民都民不在の政治家の中だけの密室謀議の数々。かと思えば、政策には無関心で選挙に参加していなかったにもかかわらず、文句ばかりは多い人たちも。

 舛添都知事の不正問題。明らかに都民を馬鹿にしている。参院選にかぶせたくないから、何とか選挙後までごまかそうとする自民党。ごまかせないとなったら、慌てて辞職勧告。初めからスパッと辞めさせていたら、参院選、もっと有利に戦えたでしょうに。視野も狭ければ、先を見通す力がなさすぎる。

 辞職したら責任を取ったみたいに説明責任を果たさない都知事、追及を武士の情けと控える都議会。いやいや税金の私的流用や都知事としての職務怠慢、これは我々都民が裁くことであって、政治家たちで決めていいことじゃない。

 ましてや、今まで知事の過ちを看過してきた都職員と都議会、同じ責任があるんじゃないか。オリンピック視察の取り止めだって、むしろ自分たちの痛い腹を探られたくないからじゃないのか。てか、都議会議員が視察して何の役に立つのか、その時期に議員でいられるのか、これも疑問。

 政治家の海外視察、今まで何か実績があるんですかね。レポートもなければ報告もなし、事前の通達もなければ役立てる政策も皆無ですよね。小学生だって社会科見学をしたら、レポートや発表会をするのに。

 そして参院選。良い人を選ぶのではなく、消去法でしか選べない選挙。しかも、都知事選の陰に隠れてる。小池さんは、心意気と信じたいけど、作戦としても良いスタート。だけど、策士策に溺れる感が目いっぱい。小泉総理の模倣の戦い方も新鮮味がない。でも、ここでも自民党が真っ先に推薦していれば、これまた参院選がうまくいっただろうに。策がなさすぎ。

 で、都連の意地のためだけの候補者選び。またもや、国民も都民も蔑ろで自分たちの事情だけの争い。そしてあからさまな後出しじゃんけん大会。石田さん?古館さん?東国原さん?橋下さん?結局人の事情。

 泣きついたのは、嵐人気の桜井さん、頭の良い桜井さんにはけんもほろろに固辞される。次に選んだのは、実務ができるであろう元県知事の増田さん。県外や海外視察が多く、ファーストクラス利用が問題になった方。県の負債は任期中に倍増、東京を批判し続けてきた人。何をして、何ができるのだろう。

 そして切り札の鳥越さん、大御所の登場です。以前のキレがないけど大丈夫でしょうか。むしろ、毎回真摯に臨む宇都宮さんが一番政冶を考えているようですが、いかがなもんでしょうか。

 でも、僕らが一番考えなければいけないのは、都議会議員も都知事も国会議員も、僕らが選んだっていうこと。僕らにも責任がある、騙された責任、不勉強な責任、他人事の責任。こんな状況を見て、若い人が選挙離れするのは分かる気がする。嫌気がさしているんだから、大人たちの無責任と無能と無自覚に。

 でも、選挙に参加しないと文句を言う権利はない。選挙に来る人のみにターゲットを絞った政治しかしない意識の低い、姿勢の悪い政治家たち。だったら、みんなが参加すればみんなが対象になる。

 外国では、選挙が法的に義務になっていて、投票に行かないと罰せられる。でも、投票所に行って投票を拒否する権利があるという。これも一つの主張であり、方法かと思う。

 いろいろ考える1週間でした。<「ヒューマン・ターゲット」を流しながら>

2016年7月5日午前2時 良かった
 長女は、看護師を志し、無事就職の内定が決まりました。自分で将来を考え、自分の力で大学に合格し、アルバイトをしながら勉強を続け、そしてより厳しい診療科を選んだことは、尊敬に値し、そして誇りでもあります。まだ実際は、国家試験があるのですが・・・。彼女が看護師を目指したのは、母の介護の経験や看護師である儀妹の仕事への情熱、そして動物病院の子供として育った環境、その全てが理由であるようです。

 僕は、人としてどうあるべきか、仕事の意義や意識などは、子供たちにも厳しく、そしてしつこく(笑)話をしていますし、僕の姿が手本になるように頑張っているつもりです。なので、勉強についてはあまり言ったことがありません。もちろん成績があまりにもひどければ「勉強しろ!」と叱咤激励はしますが、勉強がなぜ自分に必要なのか、自分から学ぶ姿勢になるか、学ぶことを楽しめるようにならなければ身につくものではないからと思うからです。まあ実のところは、自分が高校や大学で勉強を全くしていなかったので自分のことを棚に上げることができない、これが本音かもしれませんが。

 子供たちがどのような将来を目指すのか、それは自分たちで決めることで、僕には要望はありません。彼らが出した答えに、親としてできる限りの援助や助言をする、それが僕の役目だと思います。ただ、親の応援だけでは未来という道は切り開けませんし、自ら努力しない者を支援することは僕の本意ではなく、支援するつもりもありません。

 親は、子供に無償の愛情を捧げることができますが、無条件に助けることは決して子供のためにはならないと思っています。応援したくなるほど頑張れ、これが僕の掲げる条件です。長女は、この条件を大幅に上回る頑張りを見せてくれました。

 教育の格差が、家庭の収入の格差により起こっていると報道されています。有名な塾や学校が、高額な教育資金が、結果的に教育水準を高めるという事実はあるかと思いますが、この格差は絶対に努力や力で覆すことができるものと思っています。塾で勉強したからと学校の授業をまじめに聞かない、受験に関係ないからと学校行事に参加しない、有名な学校に合格することで勝ち誇ったような顔をする、僕の大っ嫌いな子供の姿です。彼らは気付くことができるでしょうか、学ばなければいけないことが勉強以外にもあることを、そして自分たちの失った貴重な経験や過ちを。

 僕は、親なら子供のためにいくらでも資金は惜しまない、必要ならコネや人脈を使う、そんな発言に違和感を、いや嫌悪感を感じます。そんな親の援助が、子供のためになるとは思えないし、そんなことで得るものなど無いような気がするからです。自分の力で掴んでほしい、そう思っています。自分にやりたいことがあるなら、死に物狂いでその権利を勝ち取るべきだと思います。これは僕のエゴなんでしょうか。

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