動物病院 豊島区 東京都 久山獣医科病院

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2019年05月25日午前00時 犬の混合ワクチン抗体価検査について 改訂版
 混合ワクチン接種は年に1度と定められ(製薬会社および獣医師会の公式アナウンスメント)、毎年接種を行っております。アメリカでは、ワクチンの効果を判定する抗体価検査が行われ、3年間は感染症予防に有効な抗体価を保つ事例が多くあったことから、3年に1度の接種が推奨されております。ただし、有効な抗体価が保持できているか診断するために、必ず毎年の抗体価検査が必要とされています。この検査の結果、有効な抗体価が認められなければ従来通り1年に1度のワクチン接種が必要となります。

 日本では、検査の必要性が理解されておらず、抗体価検査を行わずに3年に1度のワクチン接種のみを推奨してしまっていることがあります。

 検査の結果からワクチン接種の回数を減らすことができれば、感染のリスクを抑えながら、ワクチンアレルギーやワクチン接種に起因する体調不良や疾患の発症の可能性が抑えられます。また、幼齢時の最終ワクチン接種(生後4か月)後や感染症が疑われる際には、抗体価を測定することで免疫獲得(抗体価上昇)ができない例(遺伝的ノンレスポンダー)を検出できます。
 
 日本では、@研究が行われていないA犬種が多様なため、判断が難しいBアメリカでの研究結果をそのまま日本に外挿することは誤りC抗体価測定は可能であるが、高額な費用と時間が必要となるDワクチン接種率が少ない、ことなどから1年に1度の接種が推奨されています。また、高抗体価を保つには毎年の接種によるブーストが効果的であるため、高い予防効果が得られるとも考えられていました。
 
 ところが、感染症予防には抗体価の高さは関係なく、基準値の抗体価で十分であるという近年の報告もあり、さらに2017年よりワクチン抗体価を院内で検査できるキットが発売され、検査に要する時間(1日間・翌日にはお知らせが可能)や費用を抑えることも可能となりました。

 ただし、新製品や新薬には大きな欠陥があることも少なくないため、当院では危急の対処が必要な@現在ワクチンアレルギーを有する犬Aワクチン接種が悪化させる可能性のある疾患を有する犬(悪性腫瘍、免疫介在性疾患、アトピー・アレルギー疾患など)にのみ採用しておりましたが、この間に国内でのこの製品使用について問題が生じていないため、当院でも抗体価検査結果に基づくワクチネーション・プログラムを実施することとしました。

 抗体価検査を行うことのメリット・デメリットは、
 @ワクチン抗体価を測定することにより、今の感染症に対する抵抗性を知ることができる

 Aワクチン抗体価が維持できているのであれば、1年間はワクチン接種を免除できる

 Bワクチン接種の効果判定が可能(遺伝的ノンレスポンダーの診断)

 Cコアワクチンと呼ばれる3種のvirus(4種の感染症)の抗体価検査に限られるため、その他の疾患の
   ワクチン抗体価はこの結果から推測することとなる コアワクチン:ジステンパーv、パルボv、アデノv-T/U

 D抗体価が基準に満たない場合は、後日のワクチン接種が必要となる
 
 今後は、通常通りの毎年のワクチン接種を行うこと、あるいはより安全なワクチン接種を行うために抗体価検査を行うこと、この2通りのワクチネーションプログラムを実施いたします。

 また、幼齢時のワクチン接種について、今までは12週齢(3か月齢)以降のワクチン接種を最終とし、初年度のみ追加接種として36週齢(9か月齢)にパルボウイルスのみのワクチン接種を推奨しておりました。近年、生後16週齢(4か月齢)以降のワクチン接種がより抗体価の上昇を得られるという報告があり、当院でも幼齢時の最終のワクチン接種を16週齢(4か月齢)とし、その後のパルボウイルスのワクチン接種を廃止いたしました。昨年より採用しておりますが、今後も新しく良い知見があれば、改善していこうと思います。

2019年05月24日午前04時 旅の楽しさ つづき
 今年のGWは、例年通りキャンプの予定で、27日の深夜から29日まで、30、1日と診療して、1日の深夜から6日までキャンプ、この間の4日はキャンプ場から新富士駅へ、始発の新幹線で帰京し日帰りで診療、というスケジュールでした。深夜到着のキャンプは、テント設営など周りにご迷惑をおかけしますので、お付き合いの長い管理人さんにお預けしているテントを設営していただくというわがままを。申し訳ないのですが、15年来のお付き合いでこれは我が家の定番です。27日からのキャンプは容態の悪い患者さんがいらしたのでキャンセルとなりましたが、その後体調は落ち着いてくれまして1日の深夜からはキャンプに。診療が遅くまでかかり、準備などで出発が遅れ、到着は2時半になり朝の4時半までお酒に付き合わせてという更なるわがままぶり。これも我が家の定番で(笑)。

 3月にお休みを頂いた際には、好きな鳥羽や伊勢を訪ねる、有馬の友人を訪ねる、この2つのテーマがありました。いつもなら、夜出発で名古屋まで新幹線、名古屋から近鉄特急というルートですが、今回は早朝出発、名古屋からレンタカーで鳥羽に南下することにしました。いつもならレンタカーなら会員のトヨタレンタカーですが、乗りたい車種はほぼ乗ったことがあるため、タイムズレンタカーでレンジローバーを借りることにしました。名古屋から鳥羽、そして鳥羽から有馬と久々の長距離ドライブ、初日から予定ルートで僕らが通る直前に大事故があり(事故に合われた方、お悔やみ申し上げます)、アクシデントとなりましたが何とか乗り越え、無事鳥羽へ。

 以前お参りした横山石神神社にお礼に。ここは、伊勢志摩ドライブ中に見つけた所で、願いを叶える石がある神社。2年ずつお礼に参ると良いと聞いていて、ちょうどこの2年で長女が就職、長男次男が大学入学と、ご利益があったかも?なのでちょうどよい時期でした。

 伊勢神宮は、お参りが散策のようで楽しく、なにより参拝後のおはらい町とおかげ横丁の呑み歩きとお買い物。特に今年は松阪にお住いの大学病院時代の先輩と待ち合わせをし、遊び倒したと思っていた参拝後のお楽しみに新発見が相次ぎ、昔と変わらぬ先輩との会話も楽しく、さらに松阪の街並みや松阪城も初めて体験、濃密な一日となりました。

 有馬では、友人である鉄板焼きのシェフの腕前に喜び、一緒に甲子園球場で春の高校選抜大会観戦、年一回は必ず訪問する三ノ宮の和食の割烹、唐櫃台の居酒屋さん、有馬のお好み焼き屋さん、仲良しのそしてウィスキーの師匠であるバーテンダーさんのいるホテルのバーと連日呑み歩きました。帰路では、芦屋に足を延ばし(駄洒落じゃない)、西宮神社でえべっさんにお参りし、と盛りだくさん。

 あれ、こう書くとすごく信心深いと思われそうですが、基本神頼みは嫌いな方で宗教やお坊さんは一部を除いて信頼できない質。だけど、神社は凛としていて襟を正す雰囲気が好きで、いつもおちゃらけている僕でも真面目になれるところで。とすれば、お祭りや縁日好きのぼくとしてはある意味お世話になりっぱなしですし、もし見守っていただいているならばやっぱり日頃のお礼はしておきたいと機会があれば立ち寄るようにしています。もちろん、一番のお気に入りは氏神様である大塚の天祖神社さんであることは、間違いありませんが。

 こう思うようになったのは、奈良の五條を訪れた際に八咫烏で有名な橿原神宮に立ち寄ってから、でしょうか。日本に神様が上陸した際に烏に導かれた場所だとか、その凛とした佇まいと静謐な雰囲気に圧倒され鳥肌が立ちました。これが神社に惹かれた始まりで、2日続けて参拝してしまったくらいです。そうそう、前回書いた吉野川の氾濫に参拝後に遭遇するわけで、無事だったのは参拝のおかげかも。

 そもそも神社の参拝は、いろいろ行っても意味がなく氏神様が大事なんだとか、伊勢参りはそもそも娯楽だったとか、参拝の作法とか、1つの神社には沢山の神様が祭られているとか、願うのではなくお礼や報告、今後の意欲を語るとか書きたいことがまだまだありますが、それはまた別のお話。

 と思いましたが、書いちゃいます。ここからのお話は、神主さんや宮司さんからの耳学問。参拝の時には、氏名、住所、誕生日をお伝えし、お願いするのではなく、自分の報告や見守っていただいているお礼、そしてこれからの抱負を述べると良い。神様によっては、2礼、2拍手、1礼ではない。鳥居を通る際は、あるいは神社の前を通る際は1礼する。いつも見守っていただく氏神様こそ大切で、いろいろな神様に参拝しても大きな意味はない。神社を参拝するときは、小さな社も含み、必ず全ての神様に参拝すると良い。

 伊勢神宮の人気の源は、宮司さんたちの集客とプレゼン、プロデユース力によるもので、さらに旅行を禁じられた江戸時代の関所制度の唯一の例外が伊勢参りということで、時代と宮司さんによる日本初のツアコンがそれに拍車をかけたといわれています。また、伊勢神宮の玉砂利は足裏を刺激するあため結果的に長距離を歩く参拝は健康促進効果があった(雪駄で参拝した際、雪駄と足の間に小石が入ってかなり難儀しました)。まめ知識でした。

2019年05月07日午前01時半 旅の楽しさ
 以前にも書きましたが、旅行が好きで時間が取れればどこかに行きたい!という欲求が押さえきれなくなり、むしろ時間を作って、あるいは合間を縫って旅行に行きます。診療が終わった土曜日の夜に出て、日曜日の夜あるいは月曜日の早朝に帰京、こんなことは日常茶飯事です。都内のホテルを泊まり歩いたり、好きな舞台を観るために地方の劇場に行ったり、地方の学会に出席したり、地方で講演をしたり、というのも僕の中では旅行です。

 日常を離れて自分をリセットする!と言えば格好良いのでしょうが、職住一体の仕事はプライベートと仕事を切り離すことが難しく、夜でも休日でも気が付くと仕事をしている、なんてことが多々ありますので、ほんの一瞬でも非日常に身を置きたくなるのだと思います。これは、30代前半に過労死目前になって倒れた経験から得た感覚かもしれません。

 旅行の何が好きか、準備から終わった後まで旅行には沢山の楽しみがあることです。どこに行く?交通手段は?宿泊施設は?何をする?何を食べる?どこで呑む?何を持っていく?・・・、計画の段階から旅行後まで楽しさは尽きません。そしてその想い出は、すべてが楽しいもので、仮に失敗があったとしても後からは笑い話になります。

 準備の段階で特に重視するのは交通手段と宿泊施設、これは旅行の印象を決定づけるかなりな要素だと思います。車、電車、飛行機、船などの大まかな選択から、個々の選択まで。車は自分の車かレンタカーか、レンタカーならどこから借りるか、何をレンタルするか。電車の種類、席の場所や種類、駅弁はどうするか、車内で何をするか、駅の利用は乗り換えだけか、駅も楽しむのか、通過駅で行きたいところは・・・、考えだしたら限がなら、同じところに旅行をするとしても、全く同じなんてことはありません。

 宿泊施設で大事なのは、人だと思っています。もちろん部屋の大きさや種類、景色、温泉、設備(大浴場やジム、プールがあるとうれしい)、飲食施設(雰囲気の良いバーとバーテンダーさんが最高ですが)、立地、費用などいろいろありますが、一番関わることが多いのはやはりスタッフさんですから、彼らの態度や物腰、言葉、心遣いは大きなウェイトを占めるわけです。しかも、施設も含めて出会ってみないと分からないワクワク感、これは堪りません。もちろん、何度も行っている所を訪れた際のおもてなしもまた、別の意味で至福なんですけど。

 スケジュールはしっかり決める方ですが、ガチガチに決めるのではなく、旅行の目的と必ず行きたい、会いたい、体験したいなどの抑え処をいくつか決めて、あとはフレキシブルに動きます。その時の気分や得た情報、見つけた興味、あるいは何もしない、いろいろ選択肢は広がります。

 駅弁、空弁は必須です。定番の駅弁もありですが、各地方の駅弁が手に入る店が好きです。デパ地下の名店のお弁当も捨てがたいけどやっぱり駅弁かなあ。最近の流行は、駅弁を複数購入して、宿で駅弁を肴に酒を呑むこと。食事を摂らずにそのまま夜出発が多いため、行った先で食事がとれないことも多々あり、なら車内で駅弁を肴にお酒を呑み、宿に着いたら一服して、風呂に入って、残りの駅弁で再度ゆっくり呑みます。これ、いいですよお。

 もちろん本来なら好みの店やいい店を探すのも旅行の醍醐味ですから、仮に気に入るお店が見つかったとしても、地方では閉店時間が早いためなかなかはしご酒ができず呑み足りないことも多いため、残りの駅弁は宿に帰った後にもう一回楽しいことが待っているという嬉しさが。

 駅弁に何を選ぶか、肴なのか食事なのか、小腹がすいた時のつまみか、これ大きな問題です。ま、何を選んでも結局楽しんじゃいますし、そこまで高邁なことでもないのですが、旅の初日の印象を大きく変える一大事だと思っています。おつまみ用の駅弁や幕の内弁当は酒の肴には最高だと思うのですが、僕の好みではないんです。カツサンドや玉子サンド、押し寿司なんかはつぶしが効くと気に入ってます。最近は、甲州そば屋のカツサンドや天むすがお薦めです。

 駅弁や空弁は、お土産にも最適だと思いますし、旅が終わった寂しさにプラス帰宅後のおまけの楽しみ、としても良いと思います。そうそう、準備から楽しんだ分、終わった時の喪失感が半端なくて。だから必ず、旅の後にももう1つ楽しみを作るようにしています。ほんの小さな喜びでいいんです、行きつけのお店に行くとか、クアハウスに寄るとか、好きな映画を観るとか。

 さて、旅先について必ずするのは、その土地と宿の中を歩きまわること。知らない場所にいることが何か不安で、何かあった時に役立つ気がしています。これは土地勘を得るだけではなく、興味深い史蹟や博物館などを見つけることができ、地元の人と交流が生まれます。地元の方から土地の歴史や名所、名店などを聴くのも役立ち、何よりその後お付き合いの長く続く友人を見つける機会にもなります。

 旅先で仲良くなった方から「帰らないで」とか「次はいつみえるの」とか、究極は「引っ越してきなさい」なんて言われた日にゃあ、何よりの褒め言葉、ほんの少し間に受けて、ちょっとだけ本気に考えちゃいます。

 土地勘があると、その後の旅行の効率もグンと上がります。なにより、そんな中で必ず気に入る小物や陶器、絵画などに出会うのも楽しく、そのうえその土地に暮らす方の息吹を少しだけ感じることができ、ちょっとだけ地元感が自分に生まれることが楽しいです。

 この習慣が身についたのは、高校時代に読んだアメリカのハードボイルド小説の主人公、フィリップ・マーロウ(うちの愛犬の名前は彼から頂きました)から学んだこと。事件を追う私立探偵の彼は必ず知らないホテルや土地では、到着したらまず初めに歩き回りながらその場の情報を集め、理解します。その後、地元のバーに行き、バーテンダーや客との会話から事件に関する捜査を始めるわけです。

 そうそう、たった一度だけ、危機を乗り越えるのに役立った経験があります。奈良の五條を訪れた時、台風で吉野川が氾濫、川沿いの一棟貸しの古民家に泊まっていた僕らには情報がありませんでしたが、川の様子とテレビの災害情報を徹夜で観続け、避難指示が出た時には準備万端、無事脱出することができました。これ役に立った事例ですよね。

 この話をするとなかなか理解されなかったり、笑われることもあるけど、分かってくれる友人や一緒に楽しんでくれる家内に感謝ですね。

2019年04月24日午前01時半 高校野球2
 つづけて高校野球のお話。それは「サイン盗み」の問題。つい最近、元プロ野球選手の桑田さんも発言して注目されていますが、春の選抜大会で星稜高校の監督が対戦相手の「サイン盗み」を指摘し試合中に抗議、審判団は事実なしとして一旦納めましたが、星稜高校の監督は納得できずに試合後に相手高校の監督室に怒鳴り込み、一度は謝罪したもののその後週刊誌のインタビューに答えて再度問題に、ということで大きな物議を醸しました。

 野球のサイン盗み、単純なものでは2塁ランナーが相手捕手の構える場所を打者に伝える程度のものから投手のボールの握りやサインを解読するなど。コーチャーやベンチからのサイン盗みや明らかに違反で巧妙なものでは、センターの観客席から望遠鏡で投手や捕手、ベンチを偵察してチームに伝達するなど。

 たしかに、僕らの時代は違反行為を別にしても、投手や捕手のクセを盗む技術の延長くらいに考えて、2塁への出塁時は打者に情報を送るのが当たり前と思っていました。これ、僕の野球のバイブルである「キャプテン」と「プレイボール」という野球漫画にも情報戦という正しい戦い方として描かれていますし、相手もそれを逆に利用してプレイをしたり。

 高校時代は、強豪校ではない天真爛漫さか、あるいは校風や指導者の方針なのか、そこまで技術がなかったからなのか、このような作戦など一切皆無で、チームのサインも単純なものでしたし。でも、楽しかったなあ、ただひたすらプレイに集中する野球が、そして正々堂々と戦っているという意識が。そのうえで、強豪校を倒していった過程は、本当に誇らしく感じました。

 野球での「サイン盗み」は、少年野球からずっとずっと普通に行われています、禁止された今でも。それは事実です。特に関西ではよりえげつないとも言われますが、事の真偽は分かりません。さらに、その伝達方法はより巧妙になっています。であれば、これはすでに「サイン盗み」が慣習化されているということですし、そもそもその技術を大人が指導しているわけですし、大人が許しているわけです。それは、指導者だけでなく、家族や周囲の保護者にも責任があるはずです。

 悪いことをしているということを意識する前に、慣例としてその知識を得て、勝つために必要という論理にすり替えられ、あるいは勝つための手段として自分で身に着け、それは悪しき流れだと思います。

 この事実を知りながら、上辺だけの禁止徹底をしているからそのような疑いはないと断じる高野連、いかがなものでしょうか。巧妙で確証の取りにくい「サイン盗み」を証明することは、実際自供がない限り不可能で、どのように指導し対処しているのでしょうか。性善説、嫌いではありませんが、勝利至上主義の高校野球の世界で、そんなこと叶うはずがありません。

 抗議を受けた審判団も、疑惑がないという裁定の根拠を示さないから、抗議した側も納得することなどできない訳ですし、そもそも審判団にも基準や技術はないでしょう。抗議を受けた相手校の監督が、「あなたもやっているでしょう」という何とも間抜けな返答をしたとかしないとか、世も末というか、語るに落ちたというべきか。でも最近多いですよね、立場のある者が誤りを犯したときに、これ全く反省していないし、そもそも罪の意識もなければやめるつもりもないよなっていう発言。

 「みんなもやっている」とか「自分だけじゃない」とか、ついつい言ってしまうこと。逆ギレなのか、素養の問題なのか、教育なのか、育ちなのか、お里が知れるものです。知識や教養の欠如だけでなく、精神的に未熟な、道徳や倫理を持ち合わせない馬鹿者が上に立ちすぎ、多すぎます。やらなければいけないこと、やってはいけないこと、これはどんな時でもどんな場所でもどんな事情でも、ダメなものはダメなんです。
 
 会津藩の教育「ならぬものはならぬ」、これ真理だと思うんです。この教育が徹底されたのは何より上の者が意識と行動で手本になったからです。今、手本になる上の者って、大人って、どのくらいいるのでしょうか。

 何か失敗した時に、やらなきゃいけないことをやっていない、やってはいけないことをやっている、すごく多く感じます。しかもそれを指摘すると、「だって・・・」とか「いや・・・」とか「今回は・・・」とか必ず言い訳をする。失敗した原因を語ることは重要だと思いますが、責任逃れや自己肯定、自己保身の言い訳は無用なだけでなく、百害あって一利なし、その時間もムダ。また、その言い訳の内容も稚拙で誤りだらけ、またそれを指摘しなければならなくなり・・・。

 まず初めに「すいません」という言葉がでない、反省した態度が見られない、ということは、普段からそれが徹底できていない証拠ですし、徹底する気もない、あるいはその技術もない、ということだと思います。とすれば、今回に限らず正しいことが普段からできていないということだと思いますし、とすればその人間は信頼に値しません。

 話がそれました、この「サイン盗み」の話題で言い訳のように出た高野連の「ノーサイド」発言。申し合いが終わったから、しこりを残さず終わりましょうという意。それって、何も解決しないし、解決する気もないし、とりあえずなあなあで終わりましょうってこと。馬鹿もたいがいにしろよ、っていう発言。

 そもそも「ノーサイド」とは、試合が終わったら敵味方関係なく讃え合おうというラグビーでの習慣。実際に海外ではラグビーは試合終了が終わりじゃないという考えが普通、試合が終わったら観客席で語らい、競技場のそばのバーに場所を移しのみ語らうまでがひとつの試合というもの。しかもこの語らいには、選手も審判も参加します。敵と味方、選手とファン、審判と選手、垣根をなくして交流するのです。しかもこの「ノーサイド」、ただ讃えようとか褒め合おうということではなく、何があってもチャンチャンで手打ちだよということではなく、時には熱く真摯に、時には楽しく議論をするのです。

 ですから、この高野連の発言、ノーサイドという言葉すら理解していない無知さとスポーツに関わる者としての勉強不足、そして事なかれの怠慢と、一気に露呈させたものなんです。こんな奴らのために、野球してるわけじゃないんだけどなあ、みんな。

2019年04月16日午前01時半 高校野球
 生まれて初めて、高校野球を甲子園球場で観戦する機会を得ました。阪神戦は何度か甲子園球場で観戦した経験があり、その独特の盛り上がりや観客の楽しみ方、関西特有の人懐っこさ、東京にはない客席から見える山の風景、アルプススタンド、全てが新鮮でかつ格別な体験で好きな球場No.1になっていました。

 春の選抜甲子園第1日目、念願の日、阪神戦とはまさに異なる球場の雰囲気に、阪神電鉄の甲子園球場の駅を出た途端に興奮してしまいました。球場周りで準備する選手たち、応援団や出場校の関係者、緊張感と期待感の同居、球場に入る前からすでに楽しんでいました。軟式野球とはいえ元高校球児、血が騒ぐのも事実。20歳くらいまでは甲子園での全試合観戦はもちろん、地方予選の試合の全結果もチェックしていましたが、その後はそんな余裕すらなく今では高校野球素人、事前のリサーチ不足を悔やみました。

 試合前の練習を観ていると、違和感を感じました。それはあたり前のことですが、やはり技術が未熟であることが一目瞭然なんです。スローイング、キャッチング、ポジショニング・・・、全てがきめ細やかさに欠け、正確性に欠けます。それは、キャッチボールだけでも分かりますし、シートノックを見ればさらに感じます。この時、高校の時の監督が言っていたことが今さら思い出されました。「そのレベルで満足するな、上には上がいる!」。

 もちろんその未熟さとは、甲子園球場の大きさと独特な雰囲気、観衆の多さなど、持てる力を存分に出せないことが大きいと思います。もっとできる子たちなんだと思うと、親のような気持ちになってしまいます。さらに、日頃観る機会の多いプロ野球選手との違いはもうそれは大人と子ども(当たり前か)、そもそも体格も違うわけですからしょうがないのだけれど、今までのテレビ観戦では感じられないまさに「生」なんだと合点しました。

 僕の高校も軟式野球とはいえ東京都で3位になるレベルでしたが、なんせ都立高校のハンデ〜歴史も設備も体格も面子も劣る〜を気持ちと勢いで跳ね返したチーム、強豪校の練習を見るだけで「すげえなあ」と感嘆することばかり。挑んでいく側でしたので、高校生のレベルって凄い、そういう刷り込みもあったのだと思います。

 試合前の練習で勝敗の予想は全て当たる、自分の眼が衰えてないことを自慢しつつ、「えー!そんなプレイができるの?」というような試合前練習とは全く異なる素晴らしいパフォーマンスを見せる選手も少なくなく、追い詰められた時の反骨心か火事場のくそ力か、むしろ委縮していた力が解放されたのか、それこそ血沸き肉躍る野球を魅せていただきました。負けているチームを応援し、応援団が近い高校を応援し、結局両方とも応援しているという稀代の体験で頭はシッチャカメッチャカでしたし、試合後も勝ったチームを褒め、負けたチームを賞賛し、その態度に涙し、忙しい野球観戦でした。

 そんな高校野球を観戦して思い出したのは、高知商業だったかな、高野連に処分をされそうになった事例です。いつもの応援のお礼にと、野球部の選手たちがチアリーディング部の大会に友情出場したそうです(もしかしたら異なる部かも)。その大会は入賞賞金が設定されていたそうで、営利目的に活動してはいけないという高野連の規則に抵触する、というものでした。これ、どう思います?たしかにお金目当てに出場したのなら罰則も当然ですが、そもそも野球部員は賞金のことなど眼中になく、まさか規則違反だとは思っていなかったとのこと、杓子定規に罰する必要があるでしょうか。

 結局、対外試合禁止と野球部部長や監督の懲戒処分が示唆されていましたが、この報道に世論が皆反発、高野連はそれに流される形で処分なしをやっと決定しました。だけど、秋の四国大会で好成績を残し、選抜甲子園に出場の権利を有していたであろう(選抜の基準は不明瞭なので、違う理由もあるかもしれませんが)高知商の姿は、どういうことか今回の大会には見ることができませんでした。これ、隠れた罰則じゃねえ?そう思ってしまいます。

 営利目的はダメと言いつつ、入場料を徴収し、グッズや書籍を販売し、儲けてるじゃねえかという矛盾(もちろん大会運営に必要なお金だと思いますが)、スター選手や有名校を作り上げて盛り上げようとする体質、高校野球は教育の一環と言いつつ、誤りを是正する指導や再生する機会を与えずただただ厳しく処断することしか行わない教育とは程遠い対応、過密日程や体調管理を試合が面白くなくなるという理由で取り入れない残酷さ、高校生のひたむきさや情熱に集る大人たち、全てが気に入らない。そもそも、理念があって厳しくするならば、なぜ断固として処分しない、なぜ世論に左右されるのか。

 もちろん、球数制限やタイブレーク制にはいろいろな意見があると思います。細かい駆け引きが生まれ、野球本来の楽しさや醍醐味は必ず失われるでしょう。だけど、若い選手たちを守ることができるのも確かです。僕は本人たちが良いならやりたいことをやる権利があると思います。が反面、まだまだ子供である選手たちが正しい判断をしているかという不安もあります。危険性は理解していてもどれだけ無理しても甲子園に行きたい活躍したいと願う選手や家族、理解していない選手や家族。あるいはそれを支えようとする大人、悪用する大人。それぞれの意見があり、それぞれの想いがあると思います。どんな方法を取っても問題があるなら、選手たちを守る決断が正しいのでしょう。
 
 結局大人たちの胸先三寸、しっかりしろよ偉そうにふんぞり返るなら。大きな権力を持つなら、その分大きな義務と責任も負う、大きな仕事をする、大きな労苦を全うする、なぜそんな原理原則が実践できないのか不思議に思う。

2019年03月28日午前01時半 キャンプ2
 僕が借りたキャンカーはキャブコンバージョン(キャブコン)という種類で、元々ある車にシェルと呼ばれる居住空間を架装しているタイプで、たぶん多くの方がキャンピングカーと言うと思い浮かべることが多い形だと思います。レンタルしたのはアメリカのフォードという会社の4WD車が土台となっているためかなり大きめのキャンカーで、5人乗車・5人就寝できるものでした。ちなみに、キャンカーの中には乗車人数と就寝人数が異なるものも多いため、注意が必要です。また、テントと同じで定員数で利用するとなると手狭になることも多く、快適性が失われるとキャンカーのメリットが少なくなってしまいますから、注意が必要です。この時は、家族5人のキャンプでしたが3人の子供は小さく、余裕のある空間でした。

 自分の車にキャンプ用品を満載し、ショップの駐車場で荷物を積みかえ、この時車中泊やキャンカーの記事を書いているプロの方に「荷物の積み方が素晴らしい」と褒められ、ドヤ顔に。さて、車を預けキャンプに出発です。と、ここまでは順調でしたが、人生初の外車=左ハンドル、そして北海道での牧場実習で運転したトラック以来の大型車、しかもレンタル会社は道路よりも高く盛り土のされた駐車場で、かつ隣接する道路は川崎の渋滞激しい国道。まずエンジンをかけて少しずつ動き出したときに「やべ、後ろが見えない。というよりも車がでかすぎ」とプチパニックに。

 出口から出ようとすると、坂路を左折しながらの出発、車は大きく傾き前には渋滞の隙間に侵入しなければいけない国道。大パニックに。なんとか合流して一路目的地の千葉に向かうわけですが、車線変更も道路の右左折も、そして高速道路への合流も、こんなに運転って難しいかなあと思うくらいのドキドキで、かつ周りに迷惑をかけながらのきっちり制限時速でしか走れない自分の姿は、教習所以来でしょう。「これから一生、運転するときは優しくあろう」そう決心しました。無事高速道路に入っても、アクアラインの入り口を見過ごしてUターン、やっとの思いでアクアラインに入ったものの、狭く感じる長いトンネルで四苦八苦。いつもはすぐに到着する海ほたるにやっとたどりついたときはもう昼で。なんとか大型車の駐車場に停めて、昼食です。

 昼食は、美味しい魚をいただきましたが味わっている余裕すらなく・・・、しかもこのままここの駐車場で泊まろうかという弱気の発言まで。自分らしくない、何やってんねん!と勇気を振り絞り木更津へ。と、ここからは景色の綺麗な道となり、運転席の高いキャンカーの見晴らしが素晴らしく、あっという間に心地よい運転に変わっていきました。となると、出発時の優しい所信表明は忘れ去り、いつもの通り突っ走り始めました。あっという間に到着した木更津では、ホテル三日月のスパを家族みんなで遊びまわりました。

 遊び過ぎた後は、真っ暗な夜道をひたすら富津岬の突端へ向かいます。途中コンビニで食料を買い込み(夕飯は車内で、と決めていました)、無事海の見える駐車場に到着。ここで大誤算が!千葉と言っても3月の千葉は昼は暖かくても夜は寒い、ましてや風の強い岬の突端、暖房をつけても、厚着をしても、毛布にくるまっても肌寒い夜でした。学生時代の夏、1BOXカーを借りて男5人で5日間の北海道1週旅行をしました。この時にも、必ず岬の突端に車中泊というルールを決めて周りましたが、真夏でも、服を3枚重ね着しても、寒くて眠れない夜があったことをこの時思い出しました。経験を生かせていない反省と懐かしい想い出に複雑な心境でした。

 翌朝は快晴、いつの間にか車内も暖かくなり快適な目覚めでした。この日は、外房目指して山道ドライブ、そして以前から行きつけの道の駅で魚介を堪能、またもや違う場所のホテル三日月をはしごし、たっぷり遊びました。と、またもや日は暮れ始め、遅まきながらキャンカーを停められるような駐車場探しを始めるのですが、これが全く見つからない。と、思いついたのはたまたま先ほど通った道にあったオートキャンプ場。さっそく電話してみます。

 キャンプは自然の中という思いこみのまま、キャンプ場とは無縁のキャンパーだった僕はキャンプ場のknow-howを全く知らず。ホテルとキャンプ場を同じように考えていたのが失敗で、今では常識なこと〜門限がある、チェックイン時間に制限がある、夜間の出入り禁止、消灯時間あり、シーズンオフの平日は休業が多い・・・、そりゃあそうですよね、利用者の迷惑にもなり、危険な行為であり、安全性を損なうわけですから。そんな僕らを遅い時間に快く受け入れてくれたキャンプ場の方、おかげさまでその後のキャンプにはまるきっかけを作っていただいた大恩人です。

 100台以上が停められる広いサイトにこの日は僕らを入れて2組のお客さん、好きな所を使ってというご厚意にあっちをうろうろ、こっちをうろうろ。キャンプ場で水洗トイレ、お湯が出る、風呂がある・・・などいろいろな驚きの連続。持参した天体望遠鏡で星を観察し、楽しい夜を過ごしました。

 翌日は、すでに慣れたキャンカーの運転で外房から南房をひた走り、ホテル三日月に捕まることもなく、無事川崎のショップに時間制限内に返却ができました。さて、これでキャンカーとキャンプ場に傾倒するわけです。

 次の機会は、海の日の連休。まずは、西伊豆にどうしても行きたいキャンプ場を発見。街に近いお世話になったキャンプ場も良かったのですが、できれば電線の見えないような自然の中のキャンプ場に行きたい!ということで西伊豆こうオートキャンプ場に予約。そして、もっと大きなキャンカーに乗りたい!ということで10輪の7人乗車のキャンカーを予約。ただ1つの懸念材料は、このキャンプ場、山の頂上にありここまでの道のりがかなりなダートコースの難所だそうで、しかもキャンプサイトは全て山の斜面、どでかいキャンカーでたどり着けるのだろうかという不安。

 管理人さんにメールで質問すると、そんなに難しくはないですよという返事、ただ気になるならおやめになった方がというアドバイス、僕のファイトに火がついていざ出発です。これは後日談ですが、「やんわり断ってたんですけどねえ」と笑われました。しかしこのアドバイス、正しかったことを痛感することになるわけですが、これはまた別の話。つづく。

2019年03月04日午前00時半 犬の混合ワクチン抗体価検査について
 混合ワクチン接種は年に一度と定められ(製薬会社だけではなく、獣医師会の公式アナウンスメントでもそのように告知しております)、毎年接種を行っております。アメリカでは、3年に一度の接種が推奨されており、ワクチンの持続効果(抗体価)測定の研究が行われ、3年間は感染症予防に有効な抗体価を保つ事例が多くあったことを根拠としています。ただし、全ての犬が保てるわけではありませんので、有効な抗体価が保持できているか必ず毎年の抗体価検査が推奨されています。この検査の結果、有効な抗体価が認められなければ従来通り1年に一度のワクチン接種が必要となります。

 日本では、検査の必要性が周知されておらず、獣医師の中にも誤った判断により現時点で3年に一度のワクチン接種を推奨してしまっていることがあります。

 検査の結果からワクチン接種の回数を減らすことができれば、感染のリスクを抑えながら、稀に発症するワクチンアレルギーやワクチン接種に起因する体調不良や疾患の発症を予防できます。また、幼齢時の最終ワクチン接種(生後4か月)後に抗体価を測定することで、免疫獲得(抗体価上昇)ができない例(遺伝的ノンレスポンダー)を検出できるようになりました。

 日本では、@研究が行われていないAアメリカに比べ犬種が多様なため、研究を行ったとしても判断が難しい(犬種によって異なる反応)B日本での研究や検証をせずにアメリカでの研究結果をそのまま日本に外挿することは誤りC抗体価測定は可能であるが、高額な費用と時間が必要となる、ことなどから今もなお1年に一度の接種が推奨されています。

 ところが、2017年よりワクチン抗体価を院内で検査できるキットが発売され、検査に要する時間(1日間・翌日にはお知らせが可能)や費用を抑えることが可能となりました。

 ただし、新製品や新薬には大きな欠陥があることも少なくないため、当院では危急の対処が必要な@現在ワクチンアレルギーを有する犬Aワクチン接種が悪化させる可能性のある疾患を有する犬(悪性腫瘍、免疫介在性疾患、アトピー・アレルギー疾患など)にのみ採用しておりましたが、この間に国内でのこの製品使用について問題が生じていないため、当院でも全面的に採用することとしました。検査を実施することのメリット・デメリットは、
 
 @ワクチン抗体価を測定することにより、今の感染症に対する抵抗性を知ることができる
 
 Aワクチン抗体価が維持できているのであれば、1年間はワクチン接種を免除できる
 
 Bワクチン接種の効果判定が可能(遺伝的ノンレスポンダーの診断)
 
 Cこの検査で測定できる抗体価は、コアワクチンと呼ばれる3種のvirus(4種の感染症)に限られるため、
   その他の疾患のワクチン抗体価はこの結果から推測することとなる
 
   コアワクチン:ジステンパーウイスル、パルボウイルス、アデノウイルス(伝染性肝炎/伝染性喉頭気管炎)
   6種混合ワクチン:上記3種にパラインフルエンザウイルス、コロナウイルスを加えたもの
   8種混合ワクチン:上記6種にレプトスピラ(細菌2種)を加えたもの
 
 D抗体価が基準値に満たない場合は、後日のワクチン接種が必要となる
 
 この検査により不必要なワクチン接種を減らすこと、さらにワクチン接種の効果判定が可能となるため、より動物の負担を軽減しつつ健康を保つことに役立ちます。さらに検査費用がワクチン接種よりもやや安価となるため、動物にかかる負担が小さくなるだけでなく、飼い主さんのご負担も減ります。ただし、検査結果によってはワクチン接種のために後日再来院が必要となり、ワクチン接種の費用がかかることになりますので、飼い主さんのご負担が増えることもあります。

 より安全なワクチン接種を行うために、できましたら毎年のワクチン接種前の抗体価検査および幼齢時のワクチン接種効果判定をご検討いただきたいと思います。

2019年02月16日午前05時 思い出しながら
 実は、悲しい出来事が。と言っても、たぶん僕だけがショックなことなのですけど。長年キャンプに行っているので、キャンプについて少しずつ書いていたのですが、そのファイルが見つかりません。今、次の後援の準備をしているので、その際に整理した資料に混ざって自分で捨ててしまったようで。はい、自分が悪いんですけどね…。

 皆さんがそうかは存じ上げませんが、僕は文章を書くのが好きな反面、一度書いた文章をもう一度書いていくことが好きではなくて。というよりも、一度書くと頭から全て出て行ってしまって(笑)、残っていないのです。以前書いた文章を読むと、いつももう同じことが書けないよなあ、そう思ってしまいます。

 だけど未練たらたらなのですが、書き連ねた記憶があるのでとても悔しい。なので、今回はチャレンジしてみようと思います。と宣言するような大した内容ではありません。長くなるので、何度かに分けようと思います。この文章を機会に、以前のように週一回の更新を目指そうかと。

 長い休みを頂いたときは、たいていキャンプに行っています。今は、仲良しのオーナーさんが経営するキャンプ場のみリピートしています。一時期は、GWから始まって、海の日、お盆、敬老の日、秋分の日、体育の日、文化の日、勤労感謝の日・・・なんて年もあって、休みの全てをキャンプ場で過ごす、なんてこともありました。GWの谷間は、家族はキャンプ場に残し、長女と自分だけ学校と診療に戻るなんて時もありました。連休中に新幹線を使って病院に戻り、一日だけ診療してまたキャンプ場へ、これは今でもルーティンとしてやってます。

 急患の方や重症の患者さんがいらっしゃれば、これは連休という訳には行きませんから、ドタキャンも多くあります。子供たちはもう慣れたもので諦めが早く、意外と再会を待っていただいているオーナーさんの落胆が大きかったり。僕はすでに気持ちは診療に集中してアドレナリンが出ていますので、がっかりなんてしません。ただそんな時は、病院を離れないと休めない家内と子供たちにはやっぱり申し訳ないとは思っています。

 昨年は、飼い主さんたちと動物たちの頑張りのおかげと、そして留守番をしてくれるスタッフのおかげでドタキャンもなく、楽しませていただきました。なんでそんなにキャンプが好きか、一番の理由はオーナーさんとそのご家族との再会と、皆さんと日がな一日仕事の邪魔をしながらずっといろいろな話をしていることかもしれません。そして、もう一つの楽しみは自然の中で何もしないという贅沢を味わうことでしょうか。テントやタープを建てて自分の好きなようにレイアウトすることも好きだし、そのテントでただ生活をするのも好きだし、外の椅子に座って空をずっと眺めていたり、好きな本を読んでいたり。暗いうちから起き出してコーヒーを飲んで、散歩して。一日中焚火をしながら富士山を観続けていた日もありますし、入れ代わり立ち代わりサイトに寄ってくれる顔見知りの常連さんとの話だけで夜になってしまう、なんてこともあります。時間の流れがゆっくりとしていて、そして一日がとても長くていろいろなことができてしまう。

 料理や買い出し、サイクリングや川遊び、子供たちと枝を集めて何かを作ったり、おもちゃを持参して遊んだり、キャッチボールやフリスビー、花火や肝試し、星や月。遊びや楽しいことは自分で見つける、自分で作り出す、これが一番の醍醐味です。雨がテントに落ちる音やせせらぎ、鳥や虫の声、風の音や匂い、空の青さや月の明るさ、熱さや寒さ、普段感じなくなっていることがすごく伝わってくる、ゆっくりしているのに神経が研ぎ澄まされる瞬間があります。キャンプ場とは言っても山の中の大自然、何が起こるか分からない危険もありますから、本能的に感じるものもあるのかと思います。

 そして、仕事もはかどります。昔は、何百枚というレントゲン写真を持ち出してランタンの灯で朝まで読影したり、カルテをまとめたり、着いた日は徹夜で仕事、これが絶対でした。さすがに最近はそんな無理はなかなかできなくなりましたが、朝早く仕事を片付けることは多々あります。ま、夏休みの宿題と同じで早く終わって早く遊びたい、それだけです。原稿を書くのも凄くはかどります。なんでしょう、集中できるからでしょうか。もちろん、日に何度かかかってくる病院からの電話はお休みでも365日ありますし、何かと中断されてしまうことも少なくありませんが、そんなことは気になりませんし、むしろ申し訳なさそうにかけてくるスタッフに申し訳なくて、いや俺が休んでるんだからって思ってしまうし・・・。

 でも、これだけキャンプに行きだしたのは15年くらい前からです。それまでは、病院を離れるということができませんでしたし、お休みすらないことの方が多かったのですが、18年前に過労で倒れて死にかかって、そこから休みを取るようになったことがきっかけかもしれません。自分が助けなきゃ、誰が助けるの?と本気で思っていたその時期に、自分がいなくなってはいけないと気付かされ、でも家にいれば仕事から離れられない、じゃあ申し訳ないけど家から離れる時間を作ろうという半ば強制的な隔離指導から、徐々に自分の気持ちにも余裕ができたのだと思います。

 学生時代には、もちろん貧乏旅行ですから遠出の時はたいてい旅程の何日かは車中泊、あるいは友人たちと河原でキャンプ、これが常識でした。当時は、今のようにキャンプ場は多くなかったですし、そもそもキャンプ場でやるキャンプはキャンプじゃない!という若気の至りと無知のなせる結果です。それから十数年、テントの建て方も忘れてしまっているような僕では、キャンプ初心者の家内と小さな子供を3人連れてのキャンプはハードルが高くて、そんな時に見つけたのがキャンピングカーの製作会社がサービスで行っていたキャンカーレンタルでした。今でこそキャンカーのレンタルは一般的になりましたが、当時はレアで。車中泊が好きな僕の憧れは、いつかキャンカーを持つ!そこに火が着いたのでした。それが東名高速川崎ICそばのロッキーというアメ車を多く扱うショップでした。さあ、第二のキャンプブームの始まりです。

 しかしこのキャンカー旅、いろいろ苦労もありつつ、でもその苦労を楽しみつつ始まるわけですが、それはまた別のお話。つづく。

2019年01月01日午後07時50分 新年
 12月は、毎年書いていますがお別れの多い季節で。今年も、誕生日を、クリスマスを、お正月を目指して頑張っていた子たちが、ある子は達成して、ある子は実現できずに、お別れをしてきました。皆、長生きしてくれた子たちが多いけど、だからと言ってそれでいいとは思えなくて、もっともっと生きていてほしかったというのは変わらないけど、立派な生涯で、誇れる飼い主さんで、最期までお互いに向き合って生きていただいて、本当にありがとうございました。

 11月からのバタバタは、27、28日の連夜の緊急手術でひとまず終わったような感があり、2人とも術後経過も順調で良いお正月を過ごしてもらえてるかと思います。今年は、他のことはいつもと違う年末で。29日から何となくまったりとして感じが続いて、夜の忘年会も時間通り始まり、その後は急患もなく。31日は、いつも午後から落ち着くのですが、今年は診療が終わってもいろいろと患者さんが続き、対応できなかった患者さんもあり、これは例年と異なることでした。

 いつもなら、午後には挨拶に伺える先生へのご挨拶は夜となってしまいました。その後は、格闘技や紅白を観ながらの雑用仕事の総決算が朝まで続くわけですが、今年は足りないものの買い出しや銀行への入金なども20時前には終わり、ゆっくりな大晦日でした。

 ゆっくりな大晦日であれば、年賀状書きが定番ですが、実は今年は年賀状の注文が大晦日で・・・。そして、よくよく考えたらクリスマスの装飾を片付けていない、ということを思い出し、結局朝までかかりました。が、すっきりした元旦の朝でした。

 家内が診療に本格復帰をした今年は、おせち料理作りは難しくて、これも今年が初めて。じゃあ代わりに豪快にいこうと、子供も皆帰省するから贅沢に、皆さんにいただいたご贈答品やクレジットカードのポイント、結婚式の引き出物など総決算で美味しい牛肉を手に入れ、大晦日はすき焼きに。元旦は、プロシュート(日本人で唯一のパルマハム職人さんの逸品で後輩の先生からのプレゼント)やロースロビーフ、高知の鰹のたたきと刺身、のれぞれにどろめ、名店の焼売そしてお雑煮にという和洋折衷支離滅裂(笑)で楽しく美味しく過ごしました。

 大晦日の夕飯は年越しそばが定番でしたが、これはスタッフみんなとの昼食に。と言いながら、僕はかつ丼にしてしまい、すき焼きの最後にうどんを入れることも行きつかず、久々に年越しそばは無しでした。

 初詣は、定番の江戸六地蔵の真性寺ととげぬき地蔵の高岩寺に。いつもであれば、屋台で買い物して帰宅して「生さだ」や「朝まで生テレ」を観ながらつまむのですが、お腹いっぱいでそれもできず。いつもお祭りで再会するじゃがバター(味噌が絶品)屋さんの親父さんにも挨拶せず、いつもの美味しいチジミとキムチにも目もくれず。

 そう言えば、HPの更新もいつもは大晦日と元旦と続けて書くのに、昨晩は書けませんでした。これも珍しい。うーん、年末年始はいつも通りが好きなんだけど、今年は全然違う(あれ?皆さんには小さいことかも)年末年始で、だから不安というわけではなく、今年はもっと良い年にできるのかなあと思ってみたりしています。

2018年12月28日午前6時 不整脈
 今日は緊急手術で徹夜です。実は、明日も緊急手術、年末に飼い主さんも動物たちも大変ですが、順調であればぎりぎり大晦日までは退院できる予定、楽しいお正月を元気にすっきり過ごすためにも頑張りましょう。

 先週の金曜日は、体調を崩しご迷惑をおかけしました。月曜日から心臓に違和感を感じていて、でも痛みや息苦しさはないので気にせず仕事もお酒もいつも通りでした(笑)。木曜日の午後から明らかに期外収縮という不整脈が増え、救急病院に行くことも考えましたが、その日は早く寝るようにしました。久々に早寝をしたら翌日は調子が良くなっており、一安心かと思いましたが、午後から急に期外収縮が頻発・連発し始めて、頭がぼーっとなる感覚があり、それで夕方から一時不在となりました。今まで、血圧も心臓も検査で悪いという指摘を受けたことがなく、手術や入院となるならお正月休みを利用したいと少々焦りました。

 病院では期外収縮が頻発しているという僕の発言で、受付の方が慌てふためく場面もありましたが、心電図検査を受けてきました。結果は安静時には異常なし、原因不明だが大きな心配はなし、ということでひとまずほっとしましたが、後日ホルター心電図検査を受けることとなりました。木金土と睡眠時間を増やすことで期外収縮は減りましたが、日曜日までは何か息苦しさを感じることもありました。日曜日は1日仕事をしましたが、24、25はスタッフが頑張ってくれてほぼ全休、月曜から期外収縮は止まり、もう絶好調です。ご迷惑をおかけしました。

 ホルター心電図検査では、平常時と同じようにということで、ウェイトトレ-ニングや飲酒もコンスタントにこなし(笑)、年明けの結果を待つこととなりました。ストレスとは無縁の僕ですから、それが原因とは考えにくいような気がしますが、お酒、睡眠不足、過労・・・、心疾患ではないことを今は願ってます。もちろん、皆さんにご迷惑をおかけしないよう気をつけます。早速、以前は服用していたルンブルクスルベルスとコエンザイムを再開しました!

 心臓は、やっぱり怖いですね。それも急に起こった今回のこと、獣医師としては心臓病を理解していますが、自分の身になると・・・医者の不養生の典型である僕は、ちゃんとしないといけません。

 患者様だけでなく、知人や友人、家族にご心配をおかけして、ご負担をおかけして、ほんとに申し訳ありませんでした。明日も、いえ今日も頑張ります。というところで、そろそろ仮眠を取れるかな。久々の更新がこんな報告で、すみません。

2018年10月25日午前4時 復活、かな
 ずるずると更新が途絶えた状況が続いてしまいました。8月のお盆休み明けから3週間、重症の患者さんや緊急手術が相次ぎ、外来患者さんも多く、皆様には大変ご不便とご迷惑をおかけしたことと思います。我々も不眠不休に近い状況の中、不撓不屈の精神で頑張っておりましたが力が及ばず、でした。いやあ、今考えてもきつかったです、体力的にも精神的にも。ですが、病気の方の辛さに比べたら僕らなんて、そしてみんなが元気になってくれることが月並みですが力になりました。

 そんな中、1月と8月に開催するアトピー・アレルギー・免疫学会があり、準備と運営に従事しましたが、こちらは例年通り活気あふれる熱い会となり、無事終えることができました。これもひとえにバックアップしていただいた事務局の方たち、ご講演いただいた先生方、そして熱意ある獣医師さんたちのおかげです。終わった後は必ず抜け殻状態になりますが、今年は軽傷で済みました(笑)。

 思い付きで書いているような、あ、実際そういうことも少なからずあります「独り言」ですが、実は書くのに時間とパワーと思索にあてる頭の余裕が必要で、なかなか骨の折れる作業でして。お読みになった方がどのように感じられるかとか、文体をどう整えるかとか、じつはいろいろ考えておりまして。夜間の治療や看護の間に更新することが常でしたが、どうも最近それができないことができないことが多く、起きているのがやっとで、これは体力?気力?年齢?、なんのせいでしょうか?週2回のウェートトレーニングもできないことが多く、まあこれは学会や会合で夜の外出が多いからなのですが。

 あ、それじゃあ外出が多いからかなと思うと、たぶんそれは外出すると必ずお酒を呑んでしまうからで、ここを我慢すればまた変わってくるのかなあと思いつつ、たしかに帰宅してから深夜にトレーニングも出来なくなったなあと後悔しつつ、また呑んでしまいます。うーん、お酒がストレス発散というのは決して良いことではありませんが、料理人さんやスタッフさんとの会話や仕草から学ぶことも少なくなく、さらに気の合う人たちとの会話が癒しになっています。なら、お酒なしにしたら?となると思いますがそうはいきません、です。

 そういえば、毎日読んでいた小説も最近は読まなくなり、あれだけ好きな映画も観る機会が激減しています。こういうのもダメなんだろうなあ。

 そんな中で一番不安に思うのは、自分の感性やセンスが衰えてしまっているのではないかということ。そして、想うこと、書くこと、伝えることの意欲が衰えているのではないかということ。これは、人としての魅力も無くなり、職業人としての資質を失うことになります。自分はバイタリティとパワーの塊だと信じる僕にとって、こういうことは無縁であると信じていますし、生きていく糧を失くしてしまうことにもなります。

 そんな余計な事を考えているけれど、あ、こう考えられるならまだまだいけるのかなあと自分を慰めつつ、今日も会議の後に呑んで帰って久々の更新です。

2018年8月4日午前3時 終わったあ
 何とか原稿が終わりました。6月30日の締め切りがとうとう7月25日に・・・。ほんとごめんなさい、です。

 自分のやる気switchはどこにあるんでしょう(笑)、今でも分かりません。原稿依頼を頂いた時、必ず思うのは「自分で書けるのかなあ」という不安。でもいつもそんな気持ちは、「せっかく依頼を頂いたのだからむしろ光栄!」というやる気に変わります。あ、じゃあやる気switch見つかったじゃないという感じですが、どうもそうはいきません。

 頭にさっと原稿の構想が浮かんだときは、それこそすぐにでも書き始められます。ところが、全く思い浮かばない時は一文字も書けません。どんな形式にすれば?何から始めれば?何を書けば?全く思い浮かびません。こういう時は、完全アウト!!もう放ったらかしにしてしまえ、ということになります。で、ここからが問題で、時間が経っても何も解決できません。じゃあどうなるかというと、「もうやらなきゃまずい」という切迫感と「このままでは叱られる」という強迫観念、これが原動力になります。そう、追い込まれないとだめ、そしてその時の火事場のくそ力で乗り切るわけです。となると、僕のやる気switchは「窮鼠猫を噛む」あるいは「背水の陣」という心持にあるようです。

 ところが、書き始められた時にも落とし穴があって、いきなり文章が書けるわけではないんです。あくまで思い浮かぶのは断片的なイメージでしかなくて、それを具体的に書き起こさないといけなくて、しかもそれは手書きじゃないとだめなんです。まずは全体的な構想と部分々々のメモを作り、そして思いつくアイデアを盛り込み、各項目の要点を作っていきます。これは文章も箇条書きで羅列していくような感じ。これが波に乗るまでが辛いのですが、決して嫌いな作業ではなく、調子が出るとこの作業は苦にならずに何十時間でも没頭できます。これさえでき上がれば、あとは文章に書き起こして、体裁を整えるだけ!

 しかし、そこには次の大きな落とし穴が待っています。ここまで出来上がるとすでに気分は原稿完成!気が付くと締切り間近、いつもの追い込まれswitchが入って徹夜の日々が始まるわけです。

 もう1つの困難は、依頼を受けた内容が好みではない分野の場合。病気に好き嫌いがあるわけではないですが、やはり得意不得意や得手不得手はあるものですし、普段の診療ではそこを補うように努力と研鑽をするわけですが、原稿となるとやっぱり選り好みしたくて(笑)。っこれ、実は気持ちにはすごく影響するわけで、「気が乗らないー」となるわけです。

 突然switchが入るとき、追い込まれていなくてもそういう時があります。入るというよりはむしろ自分で入れる瞬間、ないしはシチュエーション。まずは、大好きな映画やドラマをシリーズで一気に観続けながら書くとき。もちろん、画面を観ることはできず音だけになるのですが、気持ちが入ります。踊る大捜査線、救命病棟、きらきらひかる、ヴォイス、コードブルー、輝く季節の中で、医龍、仕事人・・・、熱くて気合が入る大好きな作品たち。これは書かせません。

 そしてもう一つ、それは仕事から完全に離れて独りで集中できる環境、そしてある程度時間が取れるという算段ができる時。できれば、中断されない状況。例えば、診療と仕事が早く終わった深夜、新幹線や飛行機内で、深夜とか出先とか飛行機の中とか。

 一番集中できるのは、実はキャンプの時。もうかれこれ20年近く前、家族でレンタルキャンピングカーでの学生時代以来のキャンプをしたとき。アメ車の10輪のでっかいキャンピングカーだったのですが、部屋の方のエアコンが故障していて、しかも記録的な暑さの海の日。昼間のキャンピングカーはサウナのようで、タープテントを張って外で仕事をしていました。山の斜面のキャンプ場、眼の前には富士山と沼津湾、夜には夜景と漁火にホタル、それはもう煽情的なシチュエーション。もしやと思い、まったく書けていなかった原稿を書き始めるためにラップトップを開く。鳥と蜩の声しかない木立の中で、あれよあれよというままに3日間で原稿が書きあがりました。

 ここから味を占めた僕は、たまった仕事を持ち込むのはもちろんのこと、原稿が書けないと「キャンプ場に行けば書ける」という言い訳が得意に。大抵は、キャンプ場の管理人さんのご厚意で夜に到着、深夜から徹夜でたまった仕事を片付ける、翌日からは現行書き、これが定番となりました。暑い日差しの中で原稿を書くと、腕は真っ赤に焼けますが、これが頑張った証です!

 キャンプに行けない時、どうしようもなくなった時は都内のホテルに引きこもり。夜からホテルに行って、徹夜で書いて早朝に帰宅。かなりなハードワークですが、でもこれ、かなり書けるんです。ただし、僕らの原稿料なんて微々たるもの、完全な大赤字です。家内からも、「そんなに大変なら、これで最後にしてこれからは断れば?」と忠告されますが、僕らの本を書くのは教育や啓蒙のためであり、後進の指導のためであり、社会貢献ですから、やっぱり断れません。

 でもほんとは、追い詰められて書き上げた時の解放感とその後に呑む酒の旨さ、このためかもしれません。今回も、海の日はずっと原稿を書いていました。久々にキャンピングカーを借り出して。おかげで腕と顔は真っ赤ですが、これが男の勲章です(笑)。そして、その後の酒の旨い事・・・。

2018年6月28日午後10時 やめられない
 ワールドカップ、今年は特に好試合が多くて楽しくて楽しくて。しかも、開き直った日本の大活躍、いつもはこの盛り上がりからは蚊帳の外の日本が、今年は頑張ってくれています。

 実は、30日は依頼を受けていた原稿の締め切り日、まずいっす。依頼があったのは2月!まだまだ先じゃん→もうもうちょっとしたら始めよう→そろそろやろうかなあ→やべえ!!というお決まりのパターン。先週から、夜を徹して書いておりまして、土日は20時間くらい!でも、間に合わない、ワールドカップが始まったからだ!!と言う訳ではなく、自分が全部悪いんです。

 今朝も4時まで頑張って、寝ればいいのに観ちゃいまして・・・。で、今夜はどうするのか、我慢するのかどうなのか(笑)。

 どんな形でも勝て!これが今までの日本でした。特に今回は、窮地に追い込まれた状況で。でも、失うことがない今、開き直れるはずと信じていました。だけど、今大会の日本は僕が期待した以上に素晴らしくて。

 日本は今、その試合内容で評価されています。サッカーで世界に認められるには、強いのはもちろんそのプレースタイルが重視されます。今回日本が世界を魅了しているのは、強豪を圧倒したことだけではなく、その戦術とチームのスタイル、そして選手の技術とスキルです。その根源となるのは、敵に臆することなく挑戦し、全員で守り全員で攻撃する、献身と貢献の積み重ね、己の力に真摯に向き合い良いところも悪いところも糧とする、その意識と姿勢です。

 日本が今まで世界で認められたのは、2010年の南アフリカ、どん底のチームを岡田監督の開き直りで戦術と選手起用を転換、全員で守って全員で攻撃する走るサッカーでした。そして、2012年のロンドンオリンピック、これもチーム状態が最悪の中、スピード重視に転換して魅力を開花させました。

 だけどこの経験はあくまでまぐれでしかなくて、でも今回は日本らしい戦い方を初めて実践できて、らしさを評価されています。だから、だからこそ勝負として勝つだけでなく、試合内容でも相手を凌駕してほしい。って言うのは、欲張りかなあ。始まるまでは、ただただ心配したただけだったけど、欲が出ちゃいますよね。

 さて、どうしよう。

2018年6月8日午前1時 型破り
 「一度型を作って、そして型破りになれる」これは、僕の大好きな故中村勘三郎さんの言葉です。型破りとは、型を極めた者にしかできないこと、ひいては型を極めていない者が型破りを名乗っても、それは本当の型破りではなく、ただの出来損ないである、僕はそう解釈しています。
 
 僕も型にはまることは好きではなく、人と違うことをしたがる天邪鬼で、型破りでいたいと常々思ってきました。僕の言う型破りとは、自分の常識や知識、経験だけで考えるのではなく、慣習や世間体、しがらみに囚われるのではなく、現状に満足することなく努力と進歩や改善を続け、物事を貪欲に吸収し、自分の糧とし、他人の風評や評判に左右されず、周囲や体制に迎合せず、自分が正しいと想う道を邁進することです。
 
 今のところ、仕事もプライベートも、僕は好きなように生きていくことが許されており、この年まで貫いていると周囲も許してくれるようになり、以前は批判されたであろう頑固さはぶれない信念として評価されてしまったりもします。これはもう周りの人たちの理解と援助の賜物なんですが、窮屈な想いも堅苦しい生活もなく、もちろん苦労や我慢は沢山あるけれど、自分が許容できる範囲の中で咀嚼できています。自分なりの型破り、出来ている気がします。
 
 もう1つ好きな言葉は「愚直」です。正しいことを、自分が信じた道を、自分の位置で、できることやるべきことを、ただひたすらに続けていくことと理解しています。一見型破りとは真逆なことに聞こえるかもしれませんが、僕は愚直の先に型破りがあると信じています。屁理屈を言えば、愚直に型破りを続ける!でもいいかもしれません。
 
 必ず仕事で話すのは、まずは自分の考えや概念は置いておいて、教わること、学ぶこと、経験することを全て理解したうえで吸収すること。「でも」とか「だって」ではなく、「はい」と答えられること、そのうえで自分の考えや知識を上乗せして昇華させること、そこから自分の意見を加えてそれが変革の第一歩になるということです。
 
 必ず決まりごとやルーティンを実践する、例え忙しくても、さぼりたくても、面倒くさくても、飽きていても、これは絶対に曲げてはいけません。決まり事やルーティンは、基礎であり基本です。この土台ができていないと、その上に何かを作り上げても、全て崩れてしまいます。決して決まったことだけをやれば良いということではなく、決まったことを行ったうえでそこに新しいものを組み合わせるということです。これこそ型破りでしょう。
 
 僕らの仕事であれば、これは問診であり(基本的な質問にそこから気付いた点について問診を突き詰める)、身体検査(問診で得られた情報をもとに、視診、聴診、触診を行い、さらに異常を見つける)、臨床検査(問診や身体検査から考えられる疾患を列挙し、スクリーニング検査と追加の検査で鑑別をする)、治療法(これらの結果からルーティンの治療法と先進医療を組み合わせる)、診療の評価や検討、考察(全ての結果を統合して1つの答えを出し、さらに他の答えも見つけ出す)であり・・・、全てに当てはまるのです。
 
 ルーティンを守っていれば、たとえ予期せぬことが起きたとしてもそこに誤りはないことが自然と分かり、なぜそれが起こったのか問題を推測することも容易になります。ルーティンが守られていないのであれば、どこに問題があるか突きとめることも難しくなり、たとえ誤りがなくともそこから派生する事象は信頼に足るものではなくなります。ルーティンを守れないということは、行う仕事は全て信頼できなくなり、そのような過ちを犯す者を信頼することはできなくなります。ルーティンは僕らにとってはエビデンス(根拠)でもあるわけです。
 
 僕らの仕事は、全てが信頼の上に成り立っているわけですから、ルーティンを守ることは最低限のことです。でも、どんな時でもどんな場所でもどんな状況でも、これをやり続けることは大きな労苦を伴います。何十回、何百回、何千回と同じことを繰り返すことは、時には大きな負担にもなります。実際、僕の中にも手を抜きたくなることはあり、「今だけ」「今回だけ」「これはしょうがない」「忙しいから」「急患だから」・・・、いろいろな悪魔の囁きが心に生まれることがあります。でもそんな時は、僕が同じことをしたら人には信じてもらえない、そう自分に言い聞かせて戒めます。なぜなら僕は、同じことを繰り返すことができない者、ルーティンを守れない者は信じないからです。
 
 愚直に生きることは、損をすることも傷つくことも多いかもしれません。ただ、自分を貫くことは、簡単に手に入ることではありませんし、それこそ多くを失っても得る価値のある生き方だと思います。愚直の後の型破り、楽しいです。

2018年4月25日午前5時 想う
 治療で徹夜が続いて、飼い主さんも動物も、そして僕らも頑張ったけど亡くなってしまうということが続きました。27年間獣医師をやっていれば、心に折り合いをつけることはできるようになりましたし、僕らの辛さなんか動物たちや飼い主さんの心情や想いと比べれば大したことではないかもしれません。でもやっぱり、慣れませんし慣れちゃいけないと思います。何か重いものが心に澱のように溜まっていくような気がします。

 こういう時、自分が年取ったなあと思う時があります。昔は徹夜くらい1週間続いても全然大丈夫でしたが、今は4日目くらいで集中力が続かないように思うようになりました。徹夜の時は、貯まった雑用やHPの更新をまめにしていましたが、なんとなくできないことが増えました。体力と精神力の低下?なのか、でも心に溜め込まずに、その経験を力に変えることを学びました。

 力に変えるには?もちろん、安易なやり甲斐や自己満足を僕らがすればということではありません。その時その場で、飼い主さんの想いや動物の頑張りを全て受け止めること、そしてその上で全身全霊全力を尽くすことだと思っています。自分ができる最高の獣医療を、自分が持てるすべての想いを、患者さんに自信をもってお渡しする、その結果、自分にも飼い主さんにも満足のいく後悔のない動物たちとの生活を送っていただけるはずです。それは大げさかもしれませんが、お互いに生命を削りながらのことなのかもしれません。

 患者さんとお別れをするとき、そのお付き合いが長ければ長いほど、動物の病状が重ければ重いほど、動物が長生きであればあるほど、患者さんへの想いに差はないと思っても、僕らの想いはやっぱり強くなります。そしてもうひとつある想いも生まれます。それは、またもう1度自分が同じような経験をしたとき、同じように頑張れるのか、尽くせるのか、不安になります。

 自分の技量と心のこともありますが、それ以上に動物と飼い主さんと同じような関係が築けるのか、この不安が大きいと思っています。僕らの獣医療は、動物と飼い主さんと三位一体でなければ成り立ちません。獣医療は、僕らが一方的に提供するものではなく、患者さんと一緒に作っていくものだと思います。結果的にそれがその患者さんに合った獣医療となり、オーダーメイドの獣医療になるのです。

 患者さんから頂く経験や力、学びは計り知れないくらい僕らの大きな糧となり、血となり肉となります。不甲斐ない話ですが、僕らは患者さんに育てていただいている部分が大きいと思っています。そしてそのような糧は、代々のスタッフに、他の患者さんに、僕の家族に、ずっと大きな力となります。

 私事ですが、長男がこの春から酪農学園大学の獣医学科に進学しました。獣医師を目指して新たな一歩を踏み出しましたが、僕は元々後を継いでほしいと思ったことも言ったこともありません。僕は子供たちに、自分が好きで打ち込める仕事を見つけてほしい、それだけを願っていました。彼も今のところは大動物の医療に関心があるようで、もちろん今後どうなるか分かりませんが、動物病院の跡継ぎにはなってくれないようです(笑)。次男も獣医師を目指し受験勉強中ですが、彼は研究や留学に興味があるらしく、これも跡継ぎにはなりそうもありません。どうも僕が好きなことをして、自由に生きているので、悪い見本になっているのかもしれません。

 彼らには、動物に関わるという職業が、動物たちが、飼い主さんたちが素晴らしいということは、ずっと伝えてきましたし、自分で感じていたはずです。そしてそのような環境に生きられることが、自分も家内もスタッフも、大好きでいるということも知っています。それは、言葉だけでなく、患者さんたちとのお付き合いから、スタッフの意識や姿勢から、そして僕や家内の背中から。そういう経験から獣医師を目指したいと思ってくれたことは、僕はとても嬉しく、そして誇らしく感じています。

 そして、彼らの中にも動物たちの姿や飼い主さんたちの想いが生き続けています。そのおかげで自分があることを忘れずに、そして心に恥じない人に、なってもらいたいと思います。

2018年3月9日午前4時 憤懣
 すみません、1月末から学会が続きなかなか時間が取れませんでした。診療以外にゆっくり時間をかけてものを考える時間も取れず、ちょっと頭が飽和状態でした。今週の日曜日に実行委員を務める獣医麻酔外科学会の東京地区講習会が盛況のうちに幕を下ろし、ちょっと肩の荷が下りました。毎年開催する講習会ですが、いつもいつも熱く濃密な講演を聴講できることが一番の役得ですが、何よりその後の懇親会が楽しくて。獣医外科界の重鎮からお手伝いの学生さんまで、無礼講でざっくばらん、老若男女区別なくとても楽しい。そしてその余韻も冷めやらぬままの二次会、もう言うことなしです。

 そんな講演や懇親会でやっぱり心地いいのは、参加する獣医師の意識と姿勢が皆同じであること。ただ正しいことをただ行うのではなく、既存の概念をただ踏襲するのではなく、より正しいことを突き詰めること、より良い診療を行うこと、そしてそれをいついかなる時も徹底すること、このプロ意識です。

 だから、どんな話題でも、まあ懇親会ではほぼ学術的な話題仕事以外の話題も、丁々発止で会話が弾みます。すべてを話さなくても理解され、全てを聞かずとも共感でき、これが良い感じです。そして、そういう時こそ日常の診療で遭遇することの多い診療への不備に思い当たると、いつの異常に頭にくるんですよねえ。特に最近の転院の患者さんでは、その不備が患者さんを不幸にしていることが続いていて、正直憤懣やるかたない状況でしたので、尚更です。

 今までも皆さんにお話しして、HPに書いて、相手に忠告して、そんな毎日ですがより良くなる気配は微塵もなくて。例えば、かかりつけ医について。かかりつけ医の一番の役目は、病気の早期発見や適切な治療だけでなく、病気にならないようにする予防医学です。健康な時から動物の体質や先天的な異常、性格を把握し、生活環境や食生活、しつけ、品種特性などについて的確なアドバイスを行い、飼主さんの生活や得手不得手を熟知することによって、予見できる病気の芽を早く摘み取ることができます。その繰り返しや積み重ねが、さらなる病気の早期発見につながり、動物や飼主さんにかかる負担を軽減できます。

 予防接種についても正しく説明することなく、接種前の問診や身体検査がずさんとなり、接種後の注意喚起と容態の把握を怠り、体調不良への対応が不足する、そんな事例がたくさんあります。逆に言えば、これらのことを正しく行わないのであればそんな獣医師に予防接種を行う資格はありません。

 この後に述べる事項も含め何でもそうですが、大切なのはなぜそうしなければいけないのかという理由、それをしなければどのような危険性があるのかという予見、どのように行っていくかという指導を徹底しなければいけません。
 
 食事指導も、置き餌によるだらだら食べの弊害〜肥満や胃腸障害、尿石症など〜やなぜ人の食物やおやつなどの副食物を与えてはいけないか、正しいフードを選ぶことの大切さ、調理食の難しさと危険性、飼主さんの責任、肥満や食事が糖尿病や肝リピドーシス、膵炎、肝胆疾患、心疾患、泌尿器系疾患、運動器疾患、皮膚疾患など多くの疾病の原因となることへの警鐘など、多くのことをお伝えしなければいけません。

 避妊手術や精巣停留についてもそのメリット・デメリットを幼齢時にしっかりと説明しておくべきです。子宮蓄膿症や乳腺腫瘍、精巣癌、会陰ヘルニアなど手術によって防ぐことができたはずの病気が発症した際に、よくそのような説明を聞いたことがない、とおっしゃる方が多いです。逆に、そのデメリットもお聞きになってないという方も多々みられます。これも獣医師の怠慢と言わざるを得ません。

 ハミガキの励行についても、その指導を丁寧に行うだけでなく、歯周病や歯周病から起因する心疾患や腎疾患などのリスクもお知らせしなければいけません。また、全身麻酔処置を行っての口腔内処置は、リスクを伴う処置ですから、1度治療をしたならば2度と処置が必要にならないようにただ漫然と処置を行うのではなく、処置後の家庭でのケアを十分周知しなければいけません。

 様子を診ましょう、病気と付き合っていきましょう、これも安易に使われる表現、あるいは何もわからなくてごまかす時に多用される言葉です。医師や獣医師の一番の難しさは、何もしないで経過を診ること、そう教えられます。なぜなら、経過を診て良いという判断には、経過を診ても大丈夫であるというはっきりとした根拠が必要だからです。病気が分からないから、どうしていいか分からないから、何もできないから様子を診るなんて藪医者でしかありません。様子を診るなら何を見て、何を気にして、どうなったら相談や受診が必要なのか、その指導をしなければいけません。そしてその指導をするには、病気を理解し、動物のことを熟知し、病状を把握していなければできないはずです。様子を診て手遅れになる、多いのですそんなことが。

 病気と付き合うって、治すより難しいかもしれません。付き合うということは、辛さも痛みも具合の悪さも続くということです。これは医師にとっては敗北宣言に等しい、あるいは力の及ばない言い訳でしかないことが多いです。付き合わなければいけない理由を、上手に付き合うための注意点や方法を告知しなければいけません。

 逆に、どうしても心配や不安で余計な診療や検査、治療を行ってしまうことがあり、もちろん結果的に功を奏するときもありますが、ただの自己満足や不安の解消でしかないこともありますし、それは過剰医療でもあります。これも何もしないで経過を診るということの難しさの1つだと思います。
 
 定期的な健康診断や発病時の臨床検査も定着してきておりますが、検査項目の選択もずさんなら結果の考察や、評価、判断も未熟であることが多く、こんなに見落としの多い検査なら受けなくても同じ、そのような結果を診ることも少なくありません。そもそも健康診断は、スクリーニング検査ですから結果の考察はより厳しく行わなければいけませんし、その解釈は発病時よりも難しいことも多いです。なぜなら、小さな変化や異常を見つけるのが健康診断ですから、そこで結果の評価を甘くしてしまったら、目の粗い篩にかけてしまったら、未来永劫異常は見つかりません。

 発病時の臨床検査では、より諸検査の統合が大事です。いろいろな検査の結果をまとめて1つの答えを導き出す、そしてたった1つの結果も無駄にはしない、これはパズルや推理小説を解くことと同じような難しさがあります。検査項目が足りなければ情報が不足し、それはパズルのピースが足りないことと同じ、パズルは完成せず、診断は誤ります。ただ、検査結果は得てして矛盾した結果を呈したり、エビデンス通りにはならないことも多々あります。場合によっては、取捨選択こそ重要となります。

 何より、検査は動物に大なり小なり負担を掛けますし、飼主さんにも時間的および経済的負担をかけ、不安も呼び起こします。ならば、そこから得られる検査結果は、たったの1つも無駄にしてはいけません。例えば、胸部X線検査で心臓や肺を診断するときも、一緒に撮影されている気管や脊椎、前肢なども評価できるものです。

 今回は思いつくまま、獣医師の愚行や怠慢による大きな弊害について書きました。でもこれは氷山の一角、これからも書き続けます。もし、僕がこれらを行っていなかったら、ダメ獣医師と見限ってください。あ、明日の10日は51回目の僕の誕生日です。この年になるともうあんまり関係ないですが。<「アンタッチャブル」をながしながら>

2018年1月27日午前6時 財産
 受験シーズン突入、うちの長男と次男も揃ってセンター試験に挑みました。今までの努力を全力で発揮してほしいものです。僕は、一発勝負で片を付ける、高校受験から国家試験までそんな勉強の仕方でしたが、息子たちは僕に似ずコツコツ真面目に一歩ずつ。何か真面目過ぎるんじゃないかと心配です。

 親が子供に残せるのは教育だけ、妻の口癖です。この教育とは、学歴のことを言っているのではなく、親が伝えられることを伝えそして見せ、いろいろな経験をする機会を与える、そういうことだと思っています。僕は、うちで働いてくれた獣医師や看護師がその後も仕事を全うしてくれることがとても嬉しく、そんな彼らと彼女たちが僕の財産であり、生きた証だと感じています。

 僕は、みんなを教育したつもりはありません。ただ、自分の獣医師としての在り方や意識、考え方、そして人としての根幹、そんなものを示してきただけです。獣医師としての知識や技術を具体的に示すことも重要だと思いますが、それはあくまで1つの事例でしかなく、A,B,Cを伝えてもA,B,Cしか伝わりません。そんな教えは、そのA,B,Cだけに当てはまることしか世の中にないのであればそれでいいと思いますが、世の中にはDもEもZまであるわけで、それを全て具体的に知っておくことは不可能ですし、知らないことには対応できない人を作ってしまいかねません。

 特に最近、総論を極めずとにかく各論に進みたがる傾向があるように感じます。しかし、各論は総論という土台の上に成り立つわけです。総論がなければ各論を進めることはできません。逆に総論さえ極められれば、各論は知らなくとも考えだすことができるようになります。だから僕は、目標に手を携えて一緒に進むのではなく、自分で考え行動して目標に到達する人になってもらいた。そういう人を助けたい。

 僕が人に教え伝えられることは、正しく物事を見ることができ、それを広い視野で見ることができる目を持ってほしいこと。雰囲気や機微を感じ、物事を嗅ぎ分ける鼻を持ってほしいこと。いろいろな事柄や想いを集め、聞き分け、感じられる耳を持ってほしいこと。周囲に左右されずに自分で触れたものや事をしっかりと感じ、そして優しく触れられる手を持ってほしいこと。自分の想いを正しく優しく伝えられる口を持ってほしいこと。自分のいるべき場所に自分の力で何があっても力強くたち続けられる脚を持ってほしいこと。これらの感覚を時に強く、時に優しく理解し、時に想像し、何かに執着することなく、何かに惑わされることなく、正しく自分自身で判断する頭を持ってほしいこと。そしてそれを支える強い信念とぶれない気持ち、そして何より思いやりや気遣いができる心を持ってほしいこと。

 古いかもしれないけど、背中を見ていてほしい。僕が伝えたことに対して僕が責任を取れる唯一の方法は、いつまでも大きく、力強く、時に立ちはだかり、時に守り、乗り越えられない、何歩も前を行く背中であり続けること、これしかありません。

 そしてできることならば、みんなの背中を僕の息子たちにも見せてほしい。いつまでも乗り越えられない壁であってほしい。それこそが、僕が与えられる財産になると思います。人に恵まれること、何度も言う通りこれが僕の持っている財産、その財産はとても貴重で崇高です。

2018年1月21日午前6時 刺さる
 今日は、検査の方や重篤な患者さんが多く朝から混み合ってしまいました。結局、昼食が夜になってしまい、仕事が終わったのは23時。お待たせしてしまった患者さん、申し訳ありませんでした。そしてスタッフのみんな、ご苦労様でした。そして、急患で入院した子を診て、僕は徹夜です(笑)。病状は重い中で容体は安定しているのですが、子犬なので心配で。

 と言いながら、合間に筋トレしています。患者さんが安定しているからできるこの隙間の余裕、張り詰めた1日を過ごした今はとても助かります。忙しい日は、身体が疲れるのは当然ですが、より頭を使うことが多くて身体の疲れと頭の疲れがアンバランスになるんです。そんな時は、真夜中のトレーニングが身も心も鍛え直してくれます。

 重症の子がいつもより増して多かった11〜12月、身体よりも心が疲れた2ヶ月でしたが、この時も今日と同じようにふと強くなった想いがあります。どう文章にしていいのか迷っていたので書けませんでしたが、動物病院に生まれて人生をずっと獣医師に囲まれ歩んできた一獣医師の想いとして読んでください。

 前にも書きましたが、僕が獣医師には絶対なりたくなかった子供時代、その理由は友達を家に呼べない(騒ぐので患者さんに迷惑)、そして両親と外出や旅行ができない、あるいはぎりぎりでドタキャンされてしまうから、でした。昨年も学会で地方に行く機会やキャンプ、直前のキャンセルが4回ありました。もちろん、病気の患者さんがいるのですから当然のこと、決して辛いとは思いません。

 獣医師になって気付いたこと、それは逆のことなんです。何かの予定が入っていて、でも行けないことを覚悟していたのに突然行けることになる、患者さんが快癒して気持ちよく堂々と行ける時ばかりではないのです。それはどんな時?そう、患者さんが亡くなってしまった時なんです。死への悔恨や辛さ、素直に喜べず、行っていいものかと悩み、行っても心にもやもやが残り、他人の不幸で自分が幸福に?そんな気持ちが強くなるんです。

 12月にも元スタッフの結婚式、重篤な動物を診ていましたので前夜まで欠席と伝えていました。その元スタッフもそのご家族も、新郎も皆さん快く欠席を受けていただきました。本当はご迷惑ですし、残念な気持ちもあったかと思いますが、患者さんのため頑張ってください、そう言っていただきました。結果的にその患者さんは前夜に亡くなられてしまいました。

 結婚式には出席することができましたし、僕は主賓の席、スピーチもありましたので、本当にご迷惑をおかけしないで出席できてよかったです。出席出来た僕にも申し訳ありませんとお話ししてくださる皆さん、飼主さんにも式に関わる方たちにも何か申し訳ない気持ちがぬぐい切れず、本当に出席してよかったのか、ずっと引きずっていました。

 むしろ僕が慰められるような、そんな心温まるパーティで、人を祝うというよりも何か自分が救われる想いがしました。

 人の悲しみの上に自分が立っていること、改めて強く心に思いました。僕らには、それだけの果たすべき責任が、背負うべき想いがあること、そしてできるだけそのようなことが起きないよう、努めなければいけない。生命に関わる仕事には、いろいろな使命や信念があるけど、こういうこともあるのだと、スタッフみんなに、そして獣医師を目指す息子たちにも伝えました。

2017年12月31日午後11時 大晦日
 年末恒例のトイレ掃除を終え、今はこれまた恒例の締めくくりの雑用をこなしながら、RIZINを観ています。12月のハードさが嘘のように、26日は怒涛の13時間ぶっ続けの診療でみんなグロッキーでしたが、翌日からは突然雰囲気が変わり、26日の急患の方も安定し、その後の3日間は急患や重症の患者さんもなく、年の瀬気分のゆったりとした診療でした。おかげさまで、会議にもその後の忘年会にも参加でき、行きつけの居酒屋さんやお寿司屋さんにご挨拶もできました。

 昨日は恒例の穴八幡の参拝、恒例じゃないのはいつも息子と一緒ですが今年は友人と、境内の屋台で、そして居酒屋で昼からはしご酒、行きつけの居酒屋にも顔が出せて、贅沢しちゃいました。その後は、夜から恩師と先輩との忘年会、これまた行きつけの焼鳥屋さんへ。いい加減呑みすぎやろと自分で突っ込みしつつ、お世話になったお店のほとんどに年末のご挨拶できたのは初めてかもしれません。

 大晦日は楽しい話、あるいは希望の持てるお話がいいですよねえ。と思いながら、今年は難しいのかなあと思っていました。でも、この年末、親しい方とお逢いできて、大好きなお店に行けて、それだけで憑きものが落ちたかのように沈んだ気持ちが回復しました。

 でも、この数日の間にもっと嬉しいことがあったんです。たぶん、皆さんにはとってもちっちゃいことだと思うのですが、僕にとってはとても大きなことでした。

 元スタッフの看護師さんがご結婚され、今月初めに披露宴がありました。その新婚さんご夫婦とお食事をする機会がありました。ご主人の人柄と仕事へのひたむきさは、披露宴でも十分伝わっていましたが、職人である彼の意識や姿勢がとても好感の持てるものでした。仕事についての悩みや考え方をじっくりお話しすることができ、「ああ、ここにも同志がいた。」これが嬉しかったひとつ。そしてご夫婦のやり取りをみていると、公私ともにお互いを想い尊敬していることがひしひしと伝わってきて、趣味や生活など家庭のことだけでなく、仕事に対しての情熱も共有できていることが、幸福な結婚をしたんだなあととても嬉しく、そして誇らしく思えました。これが2つめ。

 12月に星美学園中学校の生徒さんが実習にみえていました。皆様には、大変お世話になりました。こちらの学園の実習は続けて受けているのですが、おみえになる生徒さんたちは、いつも真摯であり、そしてただいい子と言うことではなく、人としてしっかりされているなあと感心させられます。学園や先生方の対応も同じで、正直「こんな人が先生なの?」ということも少なくない中で、良い学校なんだろうなあと思っています。そして、いつも彼女たちからお礼のクリスマスカードをいただくのですが、今年は特に印象的でした。丁寧な字と可愛いイラスト、そして頂いたメッセージは実習の楽しかった思い出だけでなく、自分の至らない部分の反省であったり、実習を通しての気付きや感じことであったり。正直、通り一遍の礼状が多い中、個性があって心温まるメッセージから、特に実習中に急患の患者さんもあり、彼女たちには辛い経験も多く、かなり実践的な実習になってしまい心配していたのですが、実習が役に立って良かったという安心感以上に、むしろ僕らが「もっと頑張るぞ、負けないぞ」そういう力をもらいました。これが3つめ。

 そして以前からお手伝いしている医療器具の会社さんが、年末のご挨拶におみえになられて。始まりは「こんな器械が使えませんか」たしか2年前のそんなご相談でした。耳道の中がみえるカメラ、これは昔からあるものですがさらに使いやすくなっているもので。そこから根気強く地道に研鑽を重ね、技術問題の改善と信用の無いところから始まった営業努力、その積み重ねでさらに器械は素晴らしいものになり、そこから新しい商品が派生し、また今は新しいチャレンジに臨まれている。元は異業種からの挑戦、まさに陸王と同じ!僕が貢献した部分はほんのわずかですが、そこに携われたことの嬉しさは大きいものです。そして彼らのその姿勢や気概は、また僕に気合を入れてくれました。これが4つ目。

 そして今日、亡き父の親友で僕が幼少期から家族ぐるみをさせていただいている大先輩の先生にご挨拶に伺いました。奇しくも、今年奥様を亡くされ、たぶん母たちは今頃話に花を咲かせていることと思いますが、僕らはお互いに寂しいお正月を迎えられる尊敬する先生。動物愛護や猫の分野でも高名な方で、コラムなども書かれる先生。その先生に「文章が上手ですね。もっといろいろと積極的に書きなさい」そう褒めていただきました。母の最期の様子をお知らせした文章からそのようにお言葉をいただきました。あー、原稿の締め切り守れなかったんだよなあと1週間前の出来事を思い出しつつ、気を引き締まました。これが5つ目。

 こう書き連ねてみると、全てが人の縁の上に成り立っていることが分かります。やはり、人と出逢うこと、そして交流を続けていくこと、これが僕の一番の財産です。僕に力がなくとも、そんな出逢いが僕を支えてくれているわけですから、僕は人に恵まれているんでしょうねえ。

 1年間、動物たちや闘病と、逃げずに向き合っていただいた皆さん、ありがとうございました。そして、良いお年をお迎えください。

2017年12月27日午後7時 言っていいのかなあ
 11月末から怒涛の1ヶ月が過ぎました。急患や緊急手術、重篤な患者さんが続き、救えた子、救えなかった子、身体的にも精神的にもきつい1ヶ月でした。例年12月は、重症な患者さんが多く、お別れの機会が増えてしまうのですが、今年は特に・・・、でした。もちろん、僕らの負担なんか、病気と闘う患者さんの労苦に比べれば微々たるものです。

 ここまで更新できなかったことって、なかったのではないでしょうか。徹夜が続くと独りでいるときが増え、いろいろゆっくりと考える時間が増えます。そんな中で、今までずっと沈黙を守ってきた加計問題、無茶苦茶な展開でごり押しで進んだ大学創設も推薦公募も終え、ひと段落したのでもうすべてぶっちゃけて書きます。もちろん、僕の伝聞そして私見ですので、その点あしからず。

 野党の加計学園問題への批判は、ただ単に反対のための反対でしかなく、論理的でもなく、指摘するべきことでもありません。相変わらず勉強不足な的外れの野党さんに対して、相変わらず保身や権力争い以外には無能な与党さん、がっかりです。特に、獣医学部に応募する学生がいないだろうという根拠のない論点を弄する野党、推薦公募の倍率をみてそれ見たことかという与党、それぞれ子供じみたもので、本質を語っていません。全獣医学部で初めて偏差値ランクがFに分類される獣医学部、受験で苦労している方ならだれもが目指したくなります。たとえどんな学校でも。僕はこの倍率でも少ないくらいだと思いました。
 
 教育レベル、特に大学創立時の教育レベルは、その認可を通した国の責任です。今後努力をしてレベルアップすることで良しとするなら、今入学する学生の教育レベルは仕方がないと考えることになります。獣医学部はあくまで獣医師を養成しなければならず、6年後には国家試験があります。国家試験に合格できるレベルになるのか、試験に合格しても教育レベルの低い獣医師に生命を預けられるのか、その議論がなされていません。

 発表された教官の陣容を見ても、設備を見ても、真っ当な教育ができるレベルにはありません。そして専門委員会の指導も教育レベルに大きく問題ありとされていました。

 加計学園は、大学創設の目的として、他大学よりもより充実した教育と獣医師の育成、質の高い研究、社会および地域への貢献を謳い、特に小動物臨床以外への職域の獣医師、今社会が一番必要としており、さらに不足している分野での特化でした。しかし、実際に学生の公募にみられた教育方針は、他大学と同じものになっていました。加計学園が獣医学部創設に掲げた大義名分は、すでに実際に公募が始まり掲げられた理念には全く反映されていません。加計学園のうち、岡山理科大以外の大学は経営と教育レベル双方に問題があり、文科省から指導が入っている状況です。あくまで、教育や社会を考えての大学設立ではなく、経営とステータスのための大学創設です。そして開校を急いだのは、他の教育施設の赤字補てんと思われます。

 愛媛への大学誘致は昔からの地元の悲願で、教育への情熱と地域振興の双方で20年以上前から話は動いていました。また、四国には獣医科大学がなく、これは四国全体の悲願でもあり、四国の獣医師の悲願でもありました。あくまで、必要性は後付けの理由、本当の理由は「想い」だけです。大学誘致の際は、土地の無償提供などは普通のことですが、ただし、出費が多すぎるのはおかしいし、工事には愛媛や今治の業者がほとんど関与できていないそうで、本来地域振興はここから始まるので、この点も現地には全くメリットが出ていません。また、地域振興を掲げるなら、学生数が問題となり、かなりの数の学生を集めなければ地域振興には至りません。私立の獣医学部は、1学年150名が平均ですから、これが6学年あると900名、さらに他の学科がそれぞれ1学年に100名前後で4学年となると400名前後、これだけの数が集まって初めて経済効果が波及するので、かなり先の話です。そこまで、大学も地域も我慢が必要ですが、そこまでの体力があるのか不安です。

 特区を使わないと新しいことはできず、いろいろな意向を利用しないと実現できない。これは、正論ですしそこを打破するには政治家の力や忖度は必要悪だと思います。ただし、愛媛への大学誘致と加計学園ありきの考え方はあくまで別物です。獣医師養成を大学創設の理由にするには、京産大の方がすでに研究レベルは世界レベルですし、教育レベルも水準以上でした。四国に大学を作りたいという純粋な想いが、いつの間にか加計学園ありきになり、そして彼らの獣医学部を作りたいという欲に利用されたわけです。今治の人たちも犠牲者でしょう。

 獣医師養成についてですが、今の大学の教育が問題となっており、今大学改革が行われているところです。特に全国的に大学教官の不足と教育内容の低下が著しく、新しい大学に優秀な人材が確保できるわけなどなく、実際に採用された教官は教育経験のない大学院生や退官後の老獣医師ばかりでした。最初の2年間の給与が破格であること、他の大学での出世が難しい獣医師に的を絞ったわけです。

 ただし、日本での獣医療レベルは、決して低いものではなくむしろ世界に誇れるレベルに達しています。たしかに日本の獣医療には専門医制度がなく、特化した分野での弱さが指摘されますが、力のある専門医も育っており、二次診療や高度医療の充実に貢献しています。また、総合診療を行う一般臨床医および動物病院の診療技術や知識、設備は世界に誇れる成果を出しています。日本の強みは、総合診療であり、その強さが海外のような職能分離の専門医制度の普及を必要としない理由でもありますが、お互いに補完する日本らしい獣医療体系が出来上がりつつあります。

 では、なぜこのような発展が大学教育に頼ることなくできたか、それはただ単に社会にでてからの若手獣医師の努力と研鑽、そして現場で教育を行うマンパワー、その成長を見守る飼主さん、今まではこのような関係が良い塩梅で形成されていたのです。しかし、これからは社会や意識の変化もありこのような教育は難しく、大学に期待すること大なのです。

 また大切なことは、獣医師が国家資格ということは国や社会に貢献する職責を担うという意味です。優先されるべき獣医師の職域は、牧畜業や食肉関係、公衆衛生、防疫、人獣共通感染症、大動物臨床などが主であり、実は僕の仕事でもある小動物臨床は一番最後なんです。もちろん、僕らも小動物の生命を守ることや動物福祉を充実させること、動物と関わる人たちへ貢献することで、社会に貢献しているわけなんですが、もっと皆さんの生命に直結して貢献しているのは僕ら以外の獣医師なんです。そして、今獣医学部の卒業生の大半が小動物臨床に就職してしまい、必要な職域の獣医師が不足している現状があります。

 なので、大学を創設しても同じような状況が起こるわけで、余剰の獣医師がいる中で必要な分野の獣医師が不足している現状は変わらず、全く社会貢献にはならないのです。そこで、小動物臨床分野以外の教育を充実させることを条件にできる大学であればこれは立派な社会貢献になりますが、それは成されていませんし、学生さんの進路を縛るわけにはいきません。

 四国での人材確保という点では、実はこんな問題があります。元々四国では畜産業はほとんど行われておらず、獣医師の採用も公務員も含め、求人がごくわずかです。獣医師が必要とされていない地域なんです。さらに、通った大学のそばに就職するということは獣医学部では少なく、他大学でも少ないため、雇用の創出には大学誘致は全く役立ちません。

 また、四国の研究拠点にするという部分でも、これは本来は国の機関が担えば良いのであって、大学に求めることではなく、もし大学に求めるのであればそれこそ高レベルな研究者を擁さなければ無理な話です。今の大学には、一部を除いてこれらを担う余力も人材もなければ、教育レベルにも達していません。

 獣医師会および僕ら獣医師が大学創設に反対したのは、単純に獣医師を増やす必要性がないこと、学生を教育できる教官が現状でも不足していること、今必要なのは特定の職域の獣医師をいかにして増やすか、そして大学改革を進める、これに尽きます。また、報道されているような獣医師会の政治力ですが、これは医師会と比べてとてつもなく脆弱で、政治的な力なんかありません。

 また、獣医師が少ないから診療費が高騰するという政治家の指摘も失笑ものです。元々、この30年で動物病院は過当競争になっており、獣医療の料金が高騰するのは、ライバルがいないからではなく、その医療レベルの向上や設備・器具の高度化、人件費などが理由です。人と同じレベルの医療を実施すれば、まず必要経費も上昇し、保険制度のない動物病院では結果的により高額化してしまいます。単純に人の3倍になるわけですね。また、税制で優遇されている医師と違い、獣医師はサービス業に分類されるため、税制に優遇はありませんから、良質な診療を続けようとすると、収入を安定させなければいけなくなり、それが診療費に反映してしまうわけです。

 また、この議論はそもそも小動物臨床医を養成するだけはなく、社会に広く貢献する獣医師の輩出を標榜する大学という建前で始まったこのお話、窮余の策としても議論をこういう形にすり替えるのは、政治家としての無能だと思います。

 考えなければいけないのは、教育への熱意ではなく、私利私欲でルールも守られずに行われた大学創設は、今後しっかりと意識を改めて、真っ当な道を進められるのでしょうか。スタートにつまづいているわけですから、その汚名を挽回するにはより力が必要です。理念のあるしっかりとした教育、入学した学生さんの負担の軽減、そして教官や学生が恥じることのない大学づくりを約束してほしい。これに尽きます。

 こんな事書くと、また叱られるのかなあ。

2017年11月30日午前5時 楽しく
 今日は、重篤な病状の子がいるため、今も治療を行っています。明日、緊急手術で頑張ってもらうため、今はガマンの治療です。こんな時は楽しいことを考えましょう。

 旅行は、たくさんある趣味や好きなことの中で、一番といっていいほど大好きなことで、そして気分転換やリフレッシュだけでなくいろいろな経験や勉強をする場でもあります。特に国内旅行が好きですが、日本で行ったことがない、あるいは通ったことがない県は長崎県と沖縄県だけです。

 昔はどこでも車で行きました。真夜中に出て、行けるところまで行って、近くのサービスエリアやパーキングエリアで車中泊、そして朝早くから動き回る、こういう旅でした。今では年のせいか、旅先まで飛行機や新幹線、寝台車やフェリーで移動して、行く先でレンタカーを借りるというちょっと贅沢な旅が増えました。車の運転が好きなので、長距離の運転泊でもありませんが、やっぱりつかれるかなあ。

 旅行は、観光ではなく滞在と体験だと思っています。決まったコースや名所をただ周るのではなく、写真ばかり撮って記録することではなく、景色を眺めるだけでなく、その道程を楽しみ、その土地や人を感じることだと思います。ただ街を歩くだけで、その土地の風情や雰囲気に気付き、住まう人たちの息吹を感じ、心に触れることができます。思わぬ名所に行きついたり、自分の趣味に合う史跡や博物館、お店に出会ったり。

 宿泊施設にこもる、お気に入りの店を見つけて入り浸る、ゆっくりその土地その時の日差しや空、風や音を感じる、仲良くなった方と語り合う、それが大好きです。旅行が大好きで、どんなに辛くても旅行の予定があれば頑張れる、僕の趣味と言えます。呑み歩きとどっちが好きか、うーんこれは難しい。なぜなら、呑み歩きと旅行って同じ楽しさなような気がします。
 
 なかなか休みが取れなかった頃は、都内のホテルやディズニーホテルを泊まり歩きました。朝早くや夜遅くに病院に戻ったり、急患で中途帰宅なんてことがざらにありましたが(今もですが・・・)、それでも非日常の時間を過ごすことは、気持ちの切り替えになり、そのホスピタリティやスタッフの方たちとの出逢いでは、学び教わることも多く、心が共鳴する部分も少なくありませんでした。
   
 子供の頃からこういう旅行が大好きで、それは自分の子供たちにも遺伝してしまっています。まあ、それはしょうがないですよね、ずっと付き合わせているんですから。旅行のもう1つの楽しさは移動手段です。車、電車、飛行機、船・・・、どれも楽しみです。移動手段は、移動のためではなく、移動を楽しむためのものだと思っています。移動から楽しむと、旅行の楽しい時間も長くなる気がします。

 母の郷里の熊本へ、知人を訪ねて秋田や北海道へ、小さな時から家族で寝台車に乗ることが多かったのも、そのきっかけかもしれません。代々の勤務されていた先生方が出身地で開業されて、そのお祝いや結婚式への出席など、楽しい機会に恵まれました。夜更かしと駅弁、そして停車駅のホームに降りて体操したり、ウォーターサーバーで水を飲む、そんな他愛のないことが大好きでした。

 最近、ブルートレインや寝台車が廃止され、とうとう一路線になってしまいました。そして代わりに豪華な寝台車が就航し始めました。移動も滞在として楽しもうとするコンセプトは悪くないと思いますが、ただ贅沢に、ただ華美に、そしてお仕着せのコースを楽しむだけという風潮は、本当の寝台車の旅ではないし、僕は絶対に気に入りません。海外の寝台車は、もちろん豪華列車もありますが、いろいろな等級が混在した寝台車の方が多く走っています。そして、思い思いの目的地を目指して、あるいは途中下車を繰り返しながら旅を楽しむ姿は、一日の長があると感心します。

 船旅もブームになっています。大島や北海道、高知などわざわざ遠回りしたり、時間をかけたりのフェリーでの旅は、とても思い出深いものでした。一念発起で子供と一緒に行ったカリブ海クルーズ、今でも家族で話題にのぼる経験でした。

 そういえば瀬戸内海クルーズの豪華客船も就航しましたね、ガンツウ。限定10数組しか乗船できないまたもやプレミアムチケットだそうです。たしかに瀬戸内は絶景ですし、大型船は無理ですが、うーんこの豪華さ、いいなあと思うところとつまんねえなあという気持ちと。

 今、流行のグランピング、これも実は気に入りません。グランピングとは、そもそも不便であると決めつけられているキャンプをいかに自分たちで快適に楽しむかから始まったものであり、自分たちの工夫やお気に入りのアイテムで、楽しいキャンプを過ごそうというものです。用意された豪華な施設や食事で、手取り足取りの体験やスケジュールで、それはそれでもちろん楽しいとは思いますが、それはもはやキャンプテでもグランピングでもありません。

 僕はキャンプで、お風呂にも入りますし、お惣菜やお寿司を持ち込みますし、冬は電気カーペットに電気毛布、ストーブを使います。もちろん、PCで仕事もしますし、DVDプレイヤーで栄華も観ます、けど。

 あー、こういう文句を言うのは、おじさんになったんでしょうねえ。あ、そう言えば徹夜も堪えますねえ。以前は1週間くらい寝ないでいられたのに、ああ朝が怖い。

2017年11月21日午前1時 ワクチン接種について 改訂版
 染症の予防には、ワクチン接種が不可欠です。しかし、予防に必要かつ一定の免疫力を得るには、飼育環境や食事、生活、しつけ、健康管理などいろいろな要素が必要になります。

 加齢とともに自己保有の免疫も獲得していきますが、個体には個々の免疫力や免疫不全の存在、疾病の存在、老化など大きく差があり、それを全て正当に評価することは不可能です。また、これらの要素を乗り越えたとしても、自己の免疫力だけでは効果が足りない場合が多く、あおのためにワクチン接種が必要となります。

 ワクチン接種は、1年に1度の追加接種が必要と考えられていますが、これは人医の大半のワクチン接種とは異なります。人医で言えばインフルエンザウイルスのワクチン接種を考えいただければ分かりやすいかもしれませんが、追加接種はひとえに感染予防に必要な抗体価を得るために行われますが、生涯1度ないし2度の接種で効果が得られないのはなぜか考えなければいけません。

 その理由の詳細は以下に述べますが、感染症の予防には、保有する免疫力、特に自己の保有する抗体価を学術的な必要最小限の抗体価(有効抗体価)よりも高く保つ必要があり、そのためには1年1度の追加接種が必要となります。

 また、接種するワクチンは種類が多ければ良いという訳ではなく、生活環境や地域の疾病発生状況などから、適切な種類のワクチン接種を行うべきです。

 ワクチン接種に当たっては、副反応の発生には充分注意を払い、正しいインフォームドコンセントを行わなければなりません。また、接種前には詳しい問診とワクチン接種歴の確認、身体検査をしっかりと行い、副反応の予防措置の実施や接種後の経過観察、家庭での管理指導など、徹底するべきです。
 
 接種する動物の体調不良や疾患の可能性がある場合、回復期が示唆される場合、接種後の管理が不十分である場合、他のワクチン接種との干渉作用発現時期、前回接種後の体調不良などの状況によっては、ワクチン接種は延期ないしは中止するべきです。また、重度のアトピー・アレルギーや自己免疫疾患、腫瘍などワクチン接種にて病状の悪化や増悪、再発や再燃などが認められることがあり、このような場合もワクチン接種の是非をしっかりと考えなければいけません。もちろん、ワクチン接種延期や中止による感染の危険性も充分留意する必要があります。

特徴・要点
1、現存のワクチンの効能効果は、1年の保証しかされていません(厳密には、15ヶ月くらいまでの効果があると言われていますが、全例で保証は出来ません)。

2、アメリカでの方針
 アメリカではその効果が見直され、感染症予防に必要な効能効果(特に有効抗体価の保持)は、3年間(3年に1度のワクチン接種で感染症予防が可能)という見解を出しています(WSAVAのワクチネーションガイドライン委員会)。ただし、3年間の抗体価維持ができる割合は80%前後のため、残りの20%は予防ができていないことになります。
 
 3年に1度のワクチン接種という情報の表面だけが日本で流布される傾向にあり、現状では内容を詳細に検討していないと言わざるを得ません。実際には、ワクチン接種を行うかどうかは1年に1度の健康診断、そして抗体価検査が条件となり、この検査で適切な抗体価が保持されていなければ、その度にワクチン接種は行わなければいけないということが、3年に1度のワクチン接種の条件です。
 
 また、日本では品種の多様性や小型犬が多いこと、生活や飼育の環境、動物福祉や愛護の意識の差など、海外での統計が当てはまらないことが多く、さらに後に述べますがワクチン接種率が欧米に比べて低いことも影響しています。実際に3年間の有効抗体価が保持されている割合は、日本では50〜60%と欧米に比べ格段に低く、ワクチン接種が3年間有効であるということは現状では証明できません。

#日本でも、一部の獣医師が同様の意見を公表していますが、日本ではこのような調査は行われておらず、これも未だ私見の域は越えていないため、大々的に取り扱うには問題があり、獣医師会の公式アナウンスメントでもワクチン接種の有効期間は1年とされています。ただし、近年日本でもワクチン接種による抗体価の保持ができているかどうかの検査が、以前よりも簡易的に安価でできるようになり(犬のみ)、抗体価を測定しながら個々にワクチン接種間隔を決めることができるようになりました。本来であれば、これがワクチン接種の理想の形だと思われますが、より管理は難しくなってしまうことも確かです。

3、病原体との接触頻度が高い
 犬や猫の間では、感染症の保有率が高く、不顕性感染である事も多く、ワクチン接種率も低いため、より

 感染動物との接触が多くなっています。また、人、動物問わず不特定多数と濃厚に接触することが人に比べてはるかに動物は多く、さらに排泄場所や食事、散歩コース、好まれる場所(公園や植え込み、道の端等)も共有する事が多いのも特徴です。

4、しつけや健康管理に対する意識が低い。
 しつけや動物と接する際のマナー、飼い主さんの知識や情報の誤り、偏りや思い込み、獣医師の技術や知識、倫理の不足など、日本ではまだまだ問題が多く、大きな影響があると言われています。
 
 また、欧米に比べ、ワクチン接種率も極端に低く、欧米では、犬・猫とも80〜90%の接種率ですが、日本では犬27%、猫17%であり、驚くべきことに飼育頭数は増加しているにもかかわらず、接種率は年々減少の傾向にあります。実際に集団免疫を鑑みての有効免疫率は70%以上である必要があり、日本の接種率は不十分です。これは、狂犬病予防接種にも言えることで、接種率が50%以下になっている現状は非常に危険と言えます。結果的に日本はすでに狂犬病清浄国とは言えず、アウトブレイク(感染症の急激な発生と蔓延)がいつ起きてもおかしくない状況でと言えます。

 日本では、指導に当たる獣医師、実践する飼い主ともに適切に対処出来る者と出来ない者の極在化が顕著になっています。

5、手洗いやうがい、毎日の入浴など、単純な予防法が取れない

6、感染経路
 直接的な接触だけでなく、空気感染や飛沫感染、体液や排泄物などを介した感染が多く、さらに人が媒介してしまう事も多く、特殊な例として昆虫や寄生虫が原因になることもあります。

7、抗体価の低下と不足
 接種間隔を3年間あけた場合に、感染防御に適さないレベルまで抗体価が低下したという報告があります。また、幼齢期に適切なワクチネーションを行った場合、大部分が感染防御に充分な抗体価を示しましたが、一部個体では感染防御に必要なレベルの抗体価を維持していないという報告があり、そのため、生後12週のワクチン接種後に抗体価検査を行うか、生後16週での再度の追加接種が推奨され始めています。予防獣医学の観点から、現状ではワクチネーションプログラムを正しく行うことと1年の接種間隔を守ることが大切と考えています。

8、幼齢動物の処分
 ブリーダーやペット仲介業者、ショップなどでは、幼齢期に感染症を発症した場合はすでに淘汰されている事が多く、感染症発症率は一般の飼い主さん及び動物病院からの報告よりも、多く発症していることが分かっています。

9、野外感染
 アライグマやタヌキなどでの野外感染例が増えており、また、密輸や密入国にて飼育される動物にはすでに感染している動物も含まれ、元々衛生状態も悪いため、合わせて野外におけるアウトブレイクが起きる可能性があります。これは、狂犬病においても同様の危険が示唆されています。

〇ワクチンの副反応について
 しかしながら、ワクチン接種については、副反応の発症の可能性も無視はできません。もちろん、副反応の発現の可能性は低く、より効果の発現の方が高く、また、ワクチン接種を行わない危険性が高くなるわけですから、接種を辞める理由にはなりません。ただし、副反応によってはごく一部に限り生命の危険も引き起こすこともありますので、その事実を認識し、しっかりと説明や対処をすることが大切であり、ワクチン接種を行うリスクと行わないリスクを適切に判断しなければいけません。

 ワクチン接種に当たっては、副反応の発生には充分注意を払い、正しいインフォームドコンセントを行わなければなりません。また、接種前には詳しい問診とワクチン接種歴の確認、身体検査をしっかりと行い、副反応の予防措置の実施や接種後の経過観察、家庭での管理指導など、徹底するべきです。

 接種する動物の体調不良や疾患の可能性がある場合、回復期が示唆される場合、接種後の管理が不十分である場合、他のワクチン接種との干渉作用発現時期、前回接種後の体調不良などの状況によっては、ワクチン接種は延期ないしは中止するべきです。また、重度のアトピー・アレルギーや自己免疫疾患、腫瘍などワクチン接種にて病状の悪化や増悪、再発や再燃などが認められることがあり、このような場合もワクチン接種の是非をしっかりと考えなければいけません。もちろん、ワクチン接種延期や中止による感染の危険性も充分留意する必要があります。

 これらの努力により、副反応の発生はさらに低く出来るはずです。

1、副反応の発現
 アナフィラキシー:異種蛋白質を身体に接種することで起こる反応で、T型過敏症とアナフィラキシー様反応に分けられます。接種部位の発赤や疼痛、線維化、発熱や元気減退、食欲不振、嘔吐、軽度の皮膚発疹や蕁麻疹、アレルギー症状等が一般的ですが、循環器や呼吸器に障害を起し、生命に関わるほどの症状を呈することもあります。ある意味、この反応はワクチンが効果を発揮する免疫反応の一部であるので、これが起きなければ効果がないというようにも考えら、この反応が絶対に起こらないワクチンというものは存在しません。
 
 これらの原因には、ワクチンに含まれるアジュバント、培養細胞や血清の種類や精製度、ワクチンによる免疫反応(抗原抗体反応)の差が示唆されていますが、多価ワクチンや細菌ワクチン、アジュバントを含む不活化ワクチンで特にその発生が高くなっています。

 発癌性:一部のワクチンで、接種部位への発癌性が証明されています。不活化ワクチンに多い症状ですが、一部のワクチンだけではなくどのようなワクチンにも確率は異なりますが発癌性があります。その確率は1万〜10万分の1と言われており、学術的には問題にするような数字ではありませんが、飼い主さんにとっては、愛犬愛猫に起こればその確率は100%ですから、簡単に無視していい問題ではありません。しかし、現在では、発癌性が比較的高いとされている一部のワクチン(狂犬病(猫)、猫白血病(猫))についてのみ、指導時に注意を促しております。

2、副反応への対応
 一般的には、その発現は予測できません。しかし、体調や体質の把握、普段からの健康管理、接種前の問診や身体検査などを徹底することである程度の危険は回避できます。また、副反応が発症しても、しっかりとした指導や経過観察、適切な救急治療を行えば大事に至らない場合がほとんどでです。

#一部のメーカーは、その事実を隠したり、虚偽の報告を行うケースもあります。また、しっかりとした事情説明や事後処理を行わない場合もあり、品質が悪い場合も考えられます。これには、注意が必要であり、同様のことが、獣医師や飼い主さんにも言えます。例えば獣医師では、判断ミスや正確な対応を怠った場合(問診や身体検査を行わない、説明をしない、体調不良時の接種、副反応発症時の診断や治療のミス)、飼い主さんでは問診に正確に答えなかったり、体調不良時の無理な接種、注意事項を守らないなど。そのような、本来防がれるべき副反応が意外と多い事も忘れてはいけません。

 適切な判断・適切な治療・適切な指導・適切な飼育環境・適切な経過観察 などが効果的な対応と考えられます。

#近年、ワクチンの開発、特に有効性の拡大、予防可能な感染症の増加、副反応の軽減などの点で、進歩が著しい。しかし、過当競争になっている感もあり、十分な効果がありながらもさらに効果を増強させたり、不必要な疾患までワクチン接種を励行することによる副反応の増大などの危険も考えなければいけません。ワクチンに限らずどのような薬剤でも同じですが、あくまで利益にこだわった商品開発になりかねない面もあるので、その必要性、有効性、安全性をしっかりと考慮に入れて、特に新しい製品には慎重に対応する必要があると考えられます。高い抗体価、低い継代数、本当にそこまで必要なのか?むしろアナフィラキシーの原因になっていないか?このような疑問をしっかりと持つべきでしょう。

2017年11月10日午前2時 去勢手術と避妊手術 改訂版
 去勢手術や避妊手術は、子供を作らないことを第一の目的として行われていましたが、今はあくまでそれは目的のうちの1つでしかなく、発情や性ホルモンによる身体の負担を抑えることがその一番の目的となっています。

 現在では、性ホルモン剤の投与やインプラントで、その目的を達することも可能になりましたが、その効果の持続が短いこと、副作用が強いこと、施療後の糖尿病や子宮蓄膿症の多発などから、1)現時点での繁殖は行わず、近い将来に繁殖予定がある、2)皮膚疾患や内分泌疾患、子宮蓄膿症、前立腺肥大症、腫瘍等の治療の為〜などの特殊な例を除いて、危険が伴うため行わない方がよいと考えられています。また、止むを得ず実施する場合も、細心の注意が必要です。

 これらの外科手術は、決して1)発情を起こさない、2)発情行動・問題行動を阻止する〜ためだけに行われるわけではありません。他には、3)発情や性ホルモンの身体への負担、性ホルモンの悪影響から引き起こされる精神疾患の予防・治療、4)動物福祉を考えて、5)社会生活のマナーを考えて、6)性ホルモン由来の疾患の予防・治療のため等があります。一般的に、外科手術の実施は疾患であれば止むを得ないわけですが、去勢・避妊手術は健康体に外科手術を行うのですから、飼い主さんが不安に思う場合も少なくありません。逆に、安易に考えたり、「とりあえずやっておけば」という考え方であったり、体調を考えずに行われたり、不適切な実施により不幸な結果になるということもあります。

 発情が起こること、これは生きている動物では当たり前のことです。特に、動物は本能的に種族を繁栄させる為に、性衝動が強く出るように身体の機構が出来ています。よく、「動物は自然が一番」といって、「発情が起こるままにした方がよい」、人のエゴで手術をするのは、むしろ「動物がかわいそうだ」と議論されることがあります。確かに一理ありますが、これはあくまで野生動物、ないしは動物だけの世界で生きる動物たちにしか当てはまりません。これには重大な落とし穴、ないしは考え違いがあるのです。なぜなら、この考え方で言うと、まず動物を「人が飼うこと」、ましてや「都会で飼うこと」これ自体動物にとっては不自然だと言わなければなりません。

 しかし、犬や猫は人と共存する事を自然として受け入れた動物で、数千年人と共存した歴史があります。ですから、人と生きてこそ「犬や猫にとっての自然である」ということを忘れないで下さい。犬や猫に、人の作った「明らかに不自然な自然」を押し付けるのではなく、何が人と動物の関係で必要・重要なのか、これをよく考えなければいけません。あくまでこのような人と動物の共生は、お互いの約束を守って成り立つものです。人は、動物の暮らしやすい環境の整備や理解・啓蒙、しつけ、道徳・倫理の向上に努力をし(動物福祉)、動物は自分だけでなく人の社会で生きていくように順応します。その結果、お互いに純粋な愛情のやり取りが行え、癒しや家族を得ることができ、さらに動物は保護されることで生命を守ることが出来ます。皆さんが、人と動物のルールを守って、適切な環境で、愛情を持って、動物に対しての考え方やモラルを進歩させて、そして医療の進歩があり、年々犬や猫の寿命は延びているのです。

去勢手術・避妊手術の大きな目的あるいは考え方は、
1、発情の度に交配や妊娠、出産をするのが自然と考えるならば、これをさせずにいることは不自然です。発情は、それだけでも雄・雌共に精神的かつ肉体的に大きな負担をかけますが、発情行動に対してそれをしつけや我慢で乗り切ることは、さらに大きな苦痛であり負担になります。この負担を軽減する事が第一の目標になります。

2、人と動物の共生の中で、不用意に犬や猫を増やし続けることは、人にも動物にも害になります。子供を産まないようにする事は、やむを得ないことと考えられます。これは、あくまで人に責任があるわけですが、飼育放棄や遺棄、劣悪な環境での飼育など動物が不幸になる事例は後を絶ちません。

3、発情の度に、交配や妊娠、出産をしていればよいというわけでもありません。なぜなら、妊娠や出産は人と同様に命がけであり(例えば、犬の安産は日本のことわざで、皆さんが一緒に暮らしている子の大半は海外の犬ですね)、感染や疾患の発症、分娩という命懸けの行動が伴うわけです。また、妊娠や出産を繰り返していれば身体的負担がどんどん大きくなっていきます。そもそも動物の妊娠は、人の希望で行われているものであり、その希望に動物が応えているだけでもあります。

4、生殖器系の疾患が増えており、これらは長寿になったことだけでなく体質や生活様式の変化、環境ホルモンなども関与しています。乳腺腫瘍や子宮蓄膿症、卵巣・子宮の疾患や腫瘍、精巣腫瘍、前立腺疾患、会陰ヘルニア、肛門周囲腺腫などがこれに当たり、これらの疾患の最適な治療法は去勢・避妊手術よりも難易度やリスクが高い外科手術となるため、これらの予防となることも大きな利点となります。実際に、去勢・避妊手術を行わずにシニアを迎えこれらの疾患を発症することが多く、治療が不可能であったり、治療自体が身体に大きな負担をかけることが多く見受けられます。

5、ただし、病気の予防だけを考えての外科手術は、疑わしければ何でも切除してしまうという過剰医療ということにもなりますので、予防だけを考えての外科手術は正しいとは言えませんので、これらの予防効果はあくまで付録や特典と考えるべきでしょう。

6、去勢・避妊手術による性ホルモン失調性疾患(皮膚疾患や尿失禁等)が指摘されておりますが、これらはごく少数で治療も可能であることが多いもので、大きな問題とはなりません。しかし近年、尿石症や腫瘍の発生のリスクが増えることが分かってきました。そのため、去勢・避妊手術を行うかどうか、これらの疾患のリスクと行わないリスクをしっかりと考え、慎重に判断しなければいけません。

7、去勢・避妊手術は、人との共存を守る事とともに、動物の身体を守るため、現時点での道徳や倫理、動物愛護や福祉、獣医療の考え方の中で、最良の方法ひとつとされていますが、近年報告のある誘発疾患は、苦痛や生命の危険に関わるため、そのリスクも考慮に入れるべきと考えられます。

外科手術について
1、外科手術には、下記の方法があります。動物の体質や性格、年齢、既往症、基礎疾患、生活環境、容態によって、方法を選択します。
  去勢手術:精巣摘出術、精嚢摘出術(疾患時)、停留精巣(皮下織内・腹腔内)摘出術
  避妊手術:卵巣摘出術(健康な猫、一部の犬)、卵巣子宮全摘出術(健康な犬、発情中・疾患時の犬・猫)

2、全身麻酔は、当院ではイソフルレン吸入麻酔(別紙参照)にて実施します。この方法は、現在の獣医療では最善の麻酔方法として認知されています。一般的には、費用をおさえる目的と共に処置や管理が簡便なため注射麻酔で行われることが多いのですが、注射麻酔法は本来特別な管理が必要であり、一部の注射麻酔法を除き安全性に問題が生じる場合があるため、安全性を最大限に考慮して、上記の方法以外では行いません。

3、外科手術や全身麻酔の安全性を高めるため、健康で若齢、簡単な処置でも一定レベル以上の術前検査を実施することをお勧めします。これは、現在健康にみえても、症候や病状を表しにくく、病気の進行が早いという動物の特性を考えてのことです。隠れているあるいは微かな機能低下や機能障害、関知できていない基礎疾患を見つけ、その結果から病状の変化や術後合併症等を予測し、最適な手術法や麻酔法を決定し実施するためです。しかし一般的には、去勢・避妊手術の場合、費用をおさえる為に身体検査のみで済まされることが多く、術前検査は基礎疾患が存在する場合や疾患罹患時、高齢の場合などは絶対に行われるます。結果的に術前検査に異常がないことが多いのですが、中には術前検査により疾病が認められたり、術前検査を行っていなかったために合併症を呈した事例も少なくありません。より安全に外科手術や全身麻酔を行うため、また最善の獣医療を行うためには、当院ではもちろん強制ではありませんが、事前にご説明させていただき、ご相談いたします。
  当院ではその点をふまえて、体調が安定し、健康と思われる基礎疾患や既往症のない若齢の犬や猫の場合には、術前検査の是非を飼い主さんの意志にお任せすることも多くなりま。ただし、術前検査を実施しない場合、そのリスクを負っていただくことをご了承ください。

4、事前に混合ワクチンの接種が済んでいることが前提となります。

5、当院では最善の獣医療を提供するよう努力しています。そのため、上記事項〜生命に関与する事項について、省略することについては希望されても同意いたしません。一部病院では、安価に手術を行うため、ワクチン接種や術前検査の省略、手術法や麻酔法の省略、術後管理やインフォームドコンセントの不徹底などがなされることがあります。これは、止むを得ない場合があることも理解しておりますが、生命の大切さは全て同じという考え方から、獣医師として行うべきではない行為と考えております。
例えば、もっとも簡単なことでも、
・回復の遅れや自宅での術後管理が行えない等の状況での無理な退院:術後の体温低下や嘔吐、体調不良などを悪化させたり、それらに対処できないことになります。
・抜糸不用の吸収糸ないしは縫合法での手術:メリットもありますが、長期間の違和感や苦痛、術創の感染や癒合不全などの弊害が出る可能性が大きいです。
・事前のインフォームドコンセントや準備が不十分な状況での外科手術や全身麻酔は、特に危険です。

6、上記事項は、野良猫や外猫の場合も同様に考えます。

7、手術当日までの生活や体調の変化、術前検査結果の異常、自宅での準備(特に絶食や絶飲など)の不徹底などにより、外科手術や全身麻酔が不適当と診断された場合には、延期させていただきます。尚、飼い主さんの準備の不備による延期につきましては、外科手術のための前日からの準備にかかりました費用をご負担いただきます。

8、去勢・避妊手術により、性格が変化することはありません。ただし、性ホルモンにより影響を受けていた性格(過剰行動や攻撃性等)が、変化することがあります。

9、去勢・避妊手術により、肥満が起こることはありません。ただし、性行動や性周期の消失、興味の欠如、食欲への欲求の高まりから、あるいは内分泌の変化などによる体質の変化から肥満しやすくなることはあります。これは、食事や運動の管理、生活環境の整備、飼い主さんの意識で充分予防できます。

10、前に述べた去勢・避妊手術のリスクを回避するためには外科手術の断念となりますが、発情行動(特に猫)や外陰部からの出血(特に犬)、雌への関心の増長(犬および猫)、男性ホルモンによる過剰な攻撃性の発現(犬および猫)、そして老齢時の性ホルモン疾患の発症などのリスクもしっかりと考えなければならず、これらの対処として去勢・避妊手術を行う必要も考えなければいけません。

2017年10月28日午前4時 もう少しだけ母の話
 葬儀の最後の挨拶で、「最期の数年の母は、母らしくは生きられなかったけど、愛するそして愛される人に囲まれ、幸福でした」そう話しました。

 母の葬儀は直葬と言われる火葬式で執り行いました。親戚や近しい方、代々の勤務医の先生方にお声がけしただけでしたが、50名を超す方に、中には遠方からの方もいらっしゃり、ご参列いただきました。皆に惜しまれて、それはひとえに母の人柄と最期まで母らしく優しく楽しく生きた証であったと思います。

 施設の方には、生前から看取りをお願いしておりましたが、それは母がグループホームを自分の故郷にように感じ、部屋や職員や入居者の方々に愛着を抱いていたからです。逝去後も施設で眠らせていただき、葬儀の出棺まで最期の時を過ごさせていただきました。職員の方たち皆さんにお別れをしていただき、中には以前勤められていた職員さんにまでお別れをしていただきました。

 葬儀にも、そして葬儀後の弔問にもおみえになっていただき、本当に暖かく見送っていただきました。家内は生前からよく母の話を職員さんとしておりましたが、初めてお聞きする想い出話を今回お聞きしました。

 母は、仕事で悩み傷ついている職員さんを慰め、背中を撫でていたそうです。母の笑顔や言葉が、皆さんに安らぎになっていたそうです。こんなに愛された入居者さんはいないと、寂しくなるとお聞きしました。

 そして、僕が間違っていたことに気付きました。最期まで母らしく生きられたことを今になって理解しました。人に教わって感じました。家内が母の話をしていてくれたことをもっとしっかり聞いておけばよかった、もっと母に会いに行っておけばよかった。母は、いつまでも優しく、明るく、思いやる、母のままでした。

 認知症によって母が母でなくなっていく姿は、正直辛いものでした。けど、心配性で気を遣いすぎる母には、むしろ何もわからなくなることが幸福なのではと思うように、子供に帰っていくようだと感じていました。でも、やっぱり会うのは・・・、そう思ってしまう自分がいました。

 後悔と母への誇らしさ、今は半々かもしれませんが、でも親子ってそんなものなのじゃないかなと、それが母に教わっていたことだと、今は納得もしています。母は、高齢出産で僕を生んでくれました。昔から、親はずっとそばにいるわけではないんだよ、そう話をしていました。そして今、その時が来たんだと、そういうことなんでしょう。

2017年10月12日午前6時 逝去
 10月9日、14:09、母が逝去しました。先週から食欲がなくなり水曜日に多臓器不全の告知を受け、胃瘻チューブや透析、輸血などの高度医療の提案を受けました。これらの治療の必要性や有効性はもちろん承知しておりますが、父の時と同様、極力日常生活に近く、母らしく、そして人としての尊厳を保つことを重視し、全て行わないこととしました。

 そのうえで、早ければ数日、長くとも今月いっぱいとの宣告を受けました。僕は次にいつ会えるかわかりませんから、その水曜日にお別れをしました。決して辛そうな顔をしておらず、顔を撫でると気持ちよさそうに擦り寄ってくれました。穏やかな寝顔に、僕が救われました。

 驚くことに、翌日は寝たきりを覚悟していたのに車椅子で過ごせ、さらにはお見舞いにみえていただいた方のお土産の水羊羹を口にしたとのこと、またもや母の奇跡の復活か、無理とは分かっていましたがちょっと期待してしまいました。ただ、そのおかげで家族は明るくなりました。

 亡くなる当日も、朝と昼には少し水羊羹を口にして、そしてその昼食中にゆっくり目をつむり、そのまま逝ってしまいました。昨年の容体の悪化時は、大好きな柿を口にして元気になりましたので、妻が柿を探してくれましたが、間に合いませんでした。徐々に容体が悪くなること、夜間の急変、そういう事態を予想していましたので、僕にとってはあまりにもあっけない、だけど苦しまず食べながらの最期なんて、母らしくそして幸福な最期であったと思います。

 それにしても、今まで何度も死を覚悟しなければいけないことを繰り返し、皆が驚くほどの回復力を見せ、奇跡って何度起こるのだろうと思わせてくれた母でした。今回はその母の強さが彼女を苦しめないか心配していましたが、杞憂に終わりました。眠っているように見える穏やかな母の顔、皆救われました。そして彼女の生涯が素晴らしいものであったのだと、思える顔でした。
 
 母がくれたこの1週間は、僕らが準備をする時間に、いろいろな方たちとお別れをする機会に、そして覚悟をするタイミングをくれました。亡くなった後も弔問の方におみえいただき、以前にお世話になった職員の方たちにもお悔やみをいただき、本当に皆さんに愛され支えられた母であったのだと、再度実感しました。

 僕が研究生時代に自宅で母は心肺停止、僕が蘇生しました。以降、何度救急車に乗ったことか、入院して集中治療を受けたことか、その度に看護や介護を頑張ってくれた妻には感謝の言葉もありませんが、支えてくれたスタッフや知人の方たち、病院や施設の方たち、そして家庭を顧みなかった父の献身、全てに感謝しています。

 認知症の介護が始まって20年弱、認知症の発症は重度の脊椎疾患による行動制限と痛み、そして動物病院や家庭を守るために費やした心労のためでした。そして、僕が開業してからは、少しでも母を楽にしようとお手伝いしてもらうことを減らしたことも、それを助長したようです。母の口癖は、「夜に電話やインターフォンが鳴ると、急患と思いドキドキする」ということでしたので、少しでもそういう生活から解放してあげたかったのですが、むしろ仕事をしていた方が良かったのでしょう。実際、父は倒れる前日まで午前中は診療に付き合ってくれ、ずっと元気でしたからね。

 少しでも自力で歩くこと、これが母の命題でした。無理にでも外に連れ出すと、初めは文句を言っていても帰宅するときはにこやかな顔でした。時に厳しい家内には、時に悪口をご近所に言いふらし、母も昔は同じだったのになあと彼女の衰えに悲しく思った記憶があります。

 転倒から骨折、認知症の悪化という図式はよくある経過ですが、在宅での介護を続けたいという想いはあっけなく終わりを迎えました。施設探しは大変な苦労がありましたが、母の明るい性格が良い施設との出会いを作ってくれました。身体機能では施設の基準に満たなかったものの、母ならばと近隣のグループホームが手を挙げていただけました。

 学生時代に寄宿舎で集団生活をしていた母は、自由な雰囲気と自主性を重んじる施設の陰で、元気で若返ったようでした。認知症もありましたが、言葉も熊本弁にいつの間にか戻っていました。元気で快活なイメージの母ですが、本当は心配性で強がり、実は気遣いや気配りに縛られ、苦労していました。母にとっての認知症は、実はそういう苦労から解放される機会になったと思っています。

 5年くらい前からは会話もままならず、僕のこともおぼろげに分かる程度になりましたが、でも元気に力強く生きてくれた母は、僕らの支えでもありました。離れていても、介護の苦労があっても、やっぱり母は母、母が他界して楽になったなんて気持ちは全く生まれてこず、ただただ寂しい限りです。

 動物病院に生まれ、親の死に目に会えない仕事だということは肌で感じていましたし、その覚悟はできています。家族よりも患者さん、これは今でも僕の口癖です。ただ、2年前に父を、そして今は母を亡くして、亡くなるときには立ち会えたことは、とても幸福だと思っています。ただ、今日は火葬場への出棺でしたが、緊急の手術があり、15分間に合わず見送れませんでした。まあ、お袋はあるあるだと笑っていると思います。

 父と母のターミナルケアを通して、再度生命や看取りについて考えさせられました。2人のターミナルケアは極力日常生活に近く、そして人としての尊厳をを重視しました。結果、幸福そうに旅立つことができたと思っています。ただ、自分の決断で死期を早めたであろうことは、事実であり、自分独りで背負うべきものであり、でもやはり心中に今でも大きく澱のように残り、今も思う度に堪えます。

 獣医師になったことで、できたこと考えられたことがたくさんあり、父母の最期を通して日常の診療でのターミナルケアへの自分の意識や姿勢が間違っていなかったことを確信しました。基本、父や母にどうするか、それは日常の診療での犬や猫たちに対する考え方と同じでした。獣医師になった自分を認めてくれるなら、このような看取りも認めてくれていると感じています。

 13日は、母の葬儀のためご迷惑をおかけします。すみません、最期のお別れをさせてください。


2017年9月13日午前2時半 抗生物質について
 動物の身体は、細菌感染や可能に対して防御能が弱く、また細菌が感染巣に遺残しやすく、一度感染が起こると容易に身体から排除できません。併せて体調不良や疾患の際は、免疫力が低下しており、さらに感染防御能が弱くなります。そのため、抗生物質(抗菌薬)は人医に比べて長い投与期間が必要となるため、疾病毎の効果や長期投与の安全性、特に耐性菌の出現や菌交代現象や副作用の予防など徹底して考えて投薬することが原則となります。この原則を守って行われる抗生物質投与は、決して危険なものではなく、安全であると言えます。

 例えば、細菌感染による皮膚炎や膿皮症、膿痂疹は、軽症や浅在性の場合でも症状が治まってからさらに2週間の抗生物質投与が完治に必要であり、重症例や深在性の場合はさらに4週間の抗生物質治療が推奨されます。細菌性膀胱炎や胆管肝炎、胆嚢炎でも、軽症であっても最低3〜4週間の抗生物質投与、さらに前記のように症状が落ち着いた後にも長期の抗生物質治療が推奨されており、これらを怠ると大半の症例で疾患の再燃や再発、慢性化、難治性化が起こります。

<抗生物質の強さ>
 抗生物質はよく強弱で語られますが、厳密には抗生物質を単純に強弱で比較することはできません。しかし、下記のような考え方ができます。

@抗生物質によって細菌の増殖を抑制することのできる最小濃度をMIC(最小発育素子濃度)と言います。抗生物質の濃度が低ければ、当然最近の増殖を抑えることはできず、逆に抗生物質の濃度が高いほど最近の増殖抑制作用も強くなります。そのため、このMICが少ない薬剤ほど少量で細菌の増殖を抑えるということとなり、抗生物質の作用が強いといえます。ただし、このMICはそれぞれの細菌の種類によって異なり、全ての細菌に対してMICが低いという抗生物質は存在しません。
  また、このMICはあくまで生体外での反応であるため、抗生物質の薬物動態に左右される体内との反応とは異なります。そのため、このMICのみで単純に抗生物質の強弱は比較できません。

A抗生物質には、静菌作用(微生物の発育・増殖を阻止する作用)と殺菌作用(微生物を殺滅する作用)という作用機序があり、作用によって2種に大別されます。ただし、殺菌作用のある抗生物質が静菌作用のある抗生物質に比べて強いということはありません。

B抗生物質には抗菌スペクトルというものがあり、有効な細菌の種類と数が分かっています。いろいろな細菌に効果を有する場合、広域スペクトルと言われ、特定の細菌にのみ効果を表す抗生物質は、狭域スペクトルと言います。ただし、多くの細菌に効果を有することが抗生物質の強弱とはなりません。

C投薬回数は、その抗生物質がどの程度の時間、薬効濃度で体内に残り効果があるか、ということで決められます。そのため、回数が少ないから強力であるということはありません。

D抗生物質の血中濃度を考えるとき、ある一定の薬効濃度を長時間維持することで効果を発する抗生物質(時間依存性)と血中濃度が高いほど効果が高くなる抗生物質(濃度依存性)があります。濃度依存性抗生物質が強いという訳ではありませんが、1回の投薬量の最大化と投与回数の最小化によって、耐性菌の出現を抑えることができると考えられています。

<抗生物質の選択>
 感染症を引き起こす細菌は無数にあり、治療に使用する抗生物質にも多くの種類があり、膨大な数となります。前記のように、抗生物質が作用する細菌は異なり(感受性が異なる)、感染症ごと、原因菌ごとに適切な抗生物質を選択しなければ治療はできません。ただし、この原因菌をすぐに特定できないことが大半であり、そのため抗生物質を選択するには、いろいろな考え方が必要となります。

〇感染部位により原因菌が予測し、その原因菌に効果のある(抗生物質感受性のある)可能性の高い抗生物質を選択します。

〇抗生物質の体内分布と組織移行性などの薬物動態(吸収・分布・代謝・排泄)を考え、その感染部位へ効果を発揮しやすい抗生物質を選択します。

〇抗生物質での治療を行う場合、上記のように原因菌の予測と組織移行性を考え、その2つの要素を満たす抗生物質を選択します。この時、できれば上記Bの抗菌スペクトルを考え、できるだけ狭域スペクトルの抗生物質を使用することで、耐性菌の出現を抑えるようにします。

〇病変部より原因菌を採取し、細菌培養検査および抗生物質感受性試験を行うことで、適切な抗生物質を選択する条件のうち、感受性と抗菌スペクトルからの選択が可能となります。

〇耐性菌は、特に複数の薬剤に耐性を獲得した細菌やウイルスなどの病原微生物である多剤耐性菌が大きな問題となっています。この原因は、病原微生物の突然変異によるものですが、実際には薬剤の長期使用や濫用、誤用、コンプライアンスの不遵守によって起こることが知られており、しっかり考えなければいけません。医療の質が問われています。

〇この耐性菌は、動物個体の生命に関わることになり、その時病気が治っても後々に影響することとなりますので、ただ治すのではなくしっかり治すこと、そして最良の状態に治すことが大切です。また、これらの耐性菌は動物個体の問題ではなく、環境にも影響するため、他の動物および人にも大きな問題となります。

〇実際に感染症を治療する際、地域によって原因菌が異なることが分かっています。これは、風土や環境も関わっていますが、その地域の薬物治療の内容が大きく関与しています。例えば、抗生物質の選択を改善することで、肺炎球菌が撲滅された地域もあります。

<エンピリックセラピーとディ・エスカレーション>
 前記の考え方では適切な抗生物質の選択が難しいこともあり、また予想外の原因菌である疾患であることも少なくなく、結果的に適切な抗生物質が選択されていないために治療が正しく行われないこととなる場合もあります。特に重篤例や緊急時、容体が悪化している時、早急に治療が必要であるような時、動物の負担や苦痛を和らげられないばかりでなく、治癒も不可能となり、致命的になってしまうこともあるため、広域スペクトルの抗生物質を使用します。ただし、薬剤の副作用や耐性菌の問題となるため(実際には、この治療のために現在問題となっているMRSA、VRSA、VISA、VRE、PRSPなどが出現することとなりました)、これらの治療を繰り返すのではなく、初期治療と最適治療を分け、抗菌治療を最大限引き出しながら、副作用や耐性菌の出現を抑えるようにします。

〇エンピリックセラピー(経験的な治療):初期治療
 感染症を発症した時、基本的には原因菌を特定して治療を開始することが原則ですが、原因菌の同定まで時間がかかるため、原因菌の予測と薬物動態を考え、原因菌に感受性のある可能性の高い広域スペクトルの抗生物質を使用します。

〇ディ・エスカレーション(最適治療)
 原因菌が判明することで、最適な抗生物質の選択が可能となります(もちろん薬物動態を考慮します)。この際には、主に狭域スペクトルの抗生物質を使用します。この選択により治療の最大効果(原因菌に対して大きな効果があるため、早期の治癒が期待できます)が得られるだけでなく、薬剤の副作用の軽減(特に腸内細菌の乱れ)や耐性菌の出現抑制(薬剤の使用量の減少と治療期間の短縮による)が可能となります。

2017年9月7日午前3時半 お薬について〜改訂版〜
 当院では、主に人医用の医薬品を使用することが多くなります。そもそも、日本で認可されている動物用医薬品が少ないことがその原因ですが、人医薬でも投薬が難しいもの、製品がないもの、剤型が不適当なもの、高価なものなどは使用が難しく、このような場合は日本および海外の動物用医薬品や海外の医薬品(海外の製剤は、厚労省や農水省の許可を個々にいただきます)を使用します。

 もちろん、これらの医薬品や海外の医薬品、動物用医薬品は、動物への安全性や有効性が認められている薬品であり、日本に同等の動物用医薬品がないものに限られます。もちろん、できるだけ動物用医薬品を使用することが理想ですが、必要な薬品のほとんどが日本では動物用としては製造・認可されていないのが現状です。

 薬品には、元々人医用も動物用もあるわけではなく、全て同じ成分・品質です。動物用医薬品とは、国に認可されている薬品を指しますが、日本ではまだまだ小動物獣医療が重視される環境になく、国の認可制度や開発コスト、市場規模なども関与し、動物用医薬品の開発や製造が少ない状況です。また、動物に使用できる薬効成分や適性投薬量、投薬適合性などの調整は、非常に難しいものとなります。

 薬物治療は、身体にとって有効な薬効が役に立つ医療や獣医療の中心的な治療法です。しかし、薬剤は身体にとって負担や有害となる副作用や過剰投与というものもあり、できるだけ薬剤は使用しないという考え方は医療や獣医療の基本です。しかし、投薬の危険性よりも病気の負担や苦痛の方がはるかに危険であることが多く、薬物治療を行わずに疾病を放置する危険性は高く、やはり薬物療法は重要な治療ということになります。

 例えば、動物の自然治癒力を過大評価し、「自然治癒力に任せるべき」という議論が時折なされますが、根本的に自然治癒力では抗しきれないから病気になるわけですから、この治癒力をすべて否定するつもりはありませんが、過度の期待をかけることは動物を苦しめるだけでなく、生命の危険にもつながります。この低下した治癒力をどのように助け、そして高めてあげることができるか、高められないのであれば今後の補填をどうするのか、これが治療の原則です。

 また、犬や猫たちに動物ということだけで動物の強さを期待される方もいらっしゃいますが、動物は人に比べて優れた部分をたくさん持っていますが、今の社会ではむしろ弱者でもあります。また、野生動物としてではなく人と共生する現状では、強い種だけが淘汰されている野生動物とは大きく異なり、適者生存ではなく弱い個体も幸福に生きていける動物福祉の元の生存です。このような状況で、本来動物が持っているべき治癒力だけに頼るのは、危険な発想であると言わざるを得ません。

 薬物治療の原則は、薬剤の特性をしっかり理解し、薬効や薬用量、調剤方法、副作用、投薬禁忌、併用禁忌薬などを熟知し、適切に処方することであり、特に薬品自身の危険性と濫用・誤用のリスクに注意し、これらを徹底することで薬物治療のリスクは最小限にすることができます。ただし、薬物治療の危険性は、実は薬剤の処方よりも処方された後の投薬の状況にあることが多いのも事実です。

 病気の相談を受けた際に、必ずするアドバイスは、治療や投薬を獣医師の指示通りに行うこと、疑問や不安があればしっかりと主治医と相談すること、特に自分や周りの意見、情報などは大切にしつつそれらに惑わされることなく適切に取捨選択し、これも迷った時はしっかり相談すること、この2点です。このような相談の中で、病気の悪化や治療の効果不足はこれら2点ができていないことが原因になっていることが多いです。本来は、このようなお話もインフォームドコンセントであり、前もって主治医から説明されていないことも多いのですが。

 そのため、最近では投薬コンプライアンスが大事であるという考え方が普及してきましたが、実際には世の中にお薬という存在が現れたときからこのコンプライアンスは、守らなければいけないことです。投薬コンプライアンスとは、医師や獣医師の指示通りに正しく投薬することで、決められた「量・時間・期間」を守って確実に投薬を行う「投薬遵守」を言います。このコンプライアンスについて、説明をする機会が多いのですが、これを理解していないことが治療の失敗や副作用の発現を助長してしまうと言っても過言ではありません。

 動物への投薬量は、人のように成人、小児、幼児などの区別ではなく、基本的には体重や体表面積から算出しますが(体重が100g違うだけで投薬量も異なります)、動物種や年齢、代謝、体質、体調、病状、疾患、薬品の種類などによって全て異なります。また、薬剤によって全ての薬用量は大きく異なり、同じ薬剤でも使用目的によって薬用量は変化します。同じように薬剤の副作用や使用禁忌、使用する剤型や投薬方法も上記の通りに異なります。

 一般的には、犬や猫でも使用する薬剤は異なることもあり、薬用量も投薬量も異なります。特に種差や品種差、年齢差は要注意で、犬に投薬できても猫では禁忌、あるいはシェルティ種は禁忌というようなことも少なくあります。また、同じ薬剤でも使用する年齢で大きく変わることもあります。

 最近では減りましたが、今でも時折ご自身の医薬品を減らして動物に投薬される方がいらっしゃいますが、これは誤用であるだけでなく非常に危険なことです。薬品によっては、人の数倍も服用しなければ効果の出ないものや数十分の一の量でも毒性が出る薬品もあります。

 薬品の効果は、効果のある薬品量が体内あるいは患部にいきわたった時の濃度(薬効濃度)と持続時間によって左右されます。効果が認められる濃度を持続させられるか、これが薬用量と投薬回数を決める根拠となります。簡単に言えば、服薬量が少なければ薬効濃度に達することはなく、服薬回数が少なければ薬効濃度を持続することができません。これらは、点眼薬や点耳薬、点鼻薬、外用薬なども同様です。

 例えば、1日2回、1錠ずつ服用する薬品があるとします。この情報だけで、この薬品は1錠より少ない服薬量では効果が出ないこと、薬効の持続時間は半日くらい、ということが分かります。投薬量や回数が少なくなれば、薬剤の有効時間も短くなり、薬剤が効いている時間と効いていない時間=病気が治っている時間と悪化しているあるいは治っていない時間、ということになり、薬効時間が持続できなければ薬効は半減するばかりか全く発現しないことも多く、薬剤耐性の発生や副作用の発現、病状の悪化も考えられます。もちろん、投薬量と投薬回数を多くすることは、薬効も強化されることもありますのでそのような使用もありますが、副作用や毒性の発現の可能性も大きくなることに留意する必要があります。

 投薬量や投薬回数を少なくすれば、少しだけ効く、優しく効く、などというようなことはなく、全く効かない、あるいは薬品耐性ができやすいなど必ず問題が起こります。

 投薬期間は、あくまで病気や病状がしっかり治るまで、しかも治りきって再発や再燃、悪化が起こり得ない状況まで、しっかり行う必要があります。最初に症状が改善しても、あくまで薬剤の効果で良くなっているだけで、これは治癒ではなく緩和であり、ここで投薬をやめてしまうと症状は再燃します。だいたい症状が消失してから1〜2週間の投薬が必要と考えられていますが(例えば胃腸薬や抗生物質など)、病気の種類や病状の重篤度、慢性および難治性疾患などはより4週間あるいはそれ以上の長期の投薬が必要となります。このように、早期に薬物治療をやめてしまうと病気の再燃や再発ばかりでなく、薬物治療への耐性の獲得によって後の治療にも影響しかねません。また、病状も再燃と悪化を繰り返すことで徐々に疾病は進行していき生命に関わることとなり、そこまでの進行がなくともさらに疾患の慢性化や難治性化を引き起こします。ただ治すだけではなく、最後までしっかり治すこと、最良の状態に治すことが最も重要です。

 また、薬剤によってはリバウンドを起こすものもありますが、このリバウンドは薬剤の性質のために起こるもので、副作用ではなく正しく使用すれば何ら問題はありませんが、急な投薬中止によって起こります。このようなリバウンドは減薬や多剤への移行で十分防ぐことができます(副腎皮質ホルモンやH2ブロッカーがこれに当たります)。もちろん、薬剤にはリバウンドがないほうが良いのですが、残念ながらこれらの薬剤の効果は非常に優秀で、他に代わる薬剤がないためやむを得ない部分があります。

 このように、薬剤を使用するにあたってこのコンプライアンスを守らなければその効果は表れないばかりか、デメリットが大きくなってしまいます。ご自身の判断で投薬量や回数、期間を変えてしまう方がいらっしゃいますが、実はむしろとても危険なことです。また、安易に投薬や服薬をすることも危険ですし、薬剤に対して必要以上に不安を抱いたり、その気持ちのまま投薬を続けることも決して良い結果を生みませんので、このような場合は必ず主治医と相談してください。

2017年8月31日午前0時半 在宅での皮下点滴治療
 皮下点滴をご自宅で行うことは、決して100%安全ということではありませんが、飼い主さんの努力と獣医師や動物看護師との連携で、その安全性は確保されますし、リスクを冒してでもどうしても必要なことがあります。その理由は、遠方の方やご高齢の飼い主さん、その他飼い主さんのご事情などでこまめに通院が難しい場合や病状の重さや動物の性格など通院が動物の負担になる可能性が高い場合です。その際には、必ず在宅治療のリスクと定期的な通院の必要性をお話しします。なぜなら、このような在宅ケアを選ばなければいけない動物ほど、本来は通院していただく必要があるからです。

 そもそも皮下点滴は、一般的な投薬や食事療法などの内科治療で維持が困難な場合や病状が重篤な場合に行われる治療法であり、主には体調不良や脱水症状、尿毒症の改善を期待して行います。そのような場合は皮下点滴という治療だけではなく、問診や診察、定期的な検査による体調や病状の把握、予後の判定が逐次大切になるからです。

 皮下点滴が必要になる疾患は特に慢性疾患であり、入院治療である静脈内点滴や高カロリー輸液を必要としないかあるいは行えない、効果が期待出来ない症例になることがほとんどです。大抵は、老齢や重症例が対象となり、脱水症状の改善や維持、電解質補正や補給がその処置の目標になるわけですが、実際には身体が楽になることや元気になること、食欲増進などが求められ、かつ重要な効果だと考えられます。代表的な疾患は、慢性腎不全(時に急性も)や消耗性疾患、悪性腫瘍、老化などです。特に動物の腎不全は、仮に急性期を乗り越えたとしても慢性腎疾患が後遺症的に残ることがほとんどで、この慢性疾患もいつ突然急性化するかは予測が出来ません。そのため、治療や維持を兼ねて皮下点滴が有用なのですが、可能であればACEIやARB、Caブロッカーや吸着剤、吸リン剤、サプリメント、食事療法、基礎疾患の治療などで維持が出来ることが理想です。仮にこの治療で維持が可能であっても、治療に皮下点滴を加える意味は十分ありますが、それこそ適切な医療か過剰な医療か、予防的措置かやりすぎか、悩むところでもあります。

 在宅での皮下点滴を含めた治療には、良い点と悪い点があります。良い点は、通院無しに治療が出来ること、飼い主さんと動物の通院の負担が軽減できることです。費用も、病院で点滴を受けるよりは安く済みます。

 では悪い点はというと、まずは問診が出来ない、体調の管理が評価できない、細かい変化に気付かないことが多い、細かい相談が出来ないということがあります。これは、定期的な通院やお電話での相談などで充分フォローはできますが、毎回診療しているよりは確実に劣るでしょう。しかし、病状が安定していて、診療をしないでも良いと判断できる状態であれば、十分行えるはずです。
 次に悪い点は、点滴しても良い状態かの判断が正しいか、手技がしっかりしているか、これに尽きます。組織の損傷や壊死、皮下脂肪織炎、皮下膿瘍、発熱などが皮下点滴の副作用ですが、これらは明らかに在宅医療のリスクとなりますが、飼い主さんが注意を怠らず、手技に精通することでこれもフォローが可能なはずです。

 また、在宅医療は、安心できるおうちのはずが、信頼できる飼い主さんのはずが、という不安を動物に与えるのではないかと心配されることもありますが、これは大きな問題にはなりません。

 必ず客観的にメリット・デメリットを検討して、頑張りましょう。

2017年8月5日午前2時半 やっと書けた
 ここ数年、介護中の母に肺炎などの生命に関わるような疾患が増え、なんとか母の驚異的な体力と施設の方、主治医、妻たちの健診的な看護で乗り越えています。しかし、その度に衰えが進み、回復しても元に戻るまでは難しく、日を追って最期が近づいていることが感じられます。
 
 日曜日、今後の母の介護・看護の方針をご相談させていただくために、僕は久しぶりに施設を訪ねました。今の母は、すでに話すこともできず歩くこともできませんが、車椅子でお散歩に行くことはでき、表情や感情はしっかり表すこともします。気遣いや気苦労の多かった母には、今の何も悩みのない子供のような時も、幸福の一つの形のような気がします。

 この日は姉も一緒でしたし、体調も良く、眼をしっかりと開き顔を見て、声を聴き、笑顔も見せ、とても楽しそうな母でした。妻は頻繁に会いに行ってくれていますが、僕が会うときはたいてい体調が悪い時で、妻も通院や治療に付き合うことが多く、こんないい顔はしてくれない時も多くて、その顔が見られるだけで生きていてくれてありがとうと思いました。

 施設の方との面談で強く感じたのは、これほど母を想ってくれている方がいるのだという感謝の念でした。父の最期の時もそうでしたが、医師や看護師さん、介護師さん、ソーシャルワーカーの方、その他の方たち、彼らの重責と献身的な看護や介護に、父や母だけでなく、僕らが救われています。

 常日頃、獣医療は小児科医療や介護医療、ターミナルケアと同じと考えています。それは、体力や身体の大きさ、外科手術や麻酔の難しさや薬物使用の制約、人手が必要などの医学的な知識や技術だけでなく、もっと根本的なこと〜患者さんの想いを直接聞くことができない、患者さんに全てを伝えきれない、患者さんに直接的な感情の発露を受ける、ご家族の想いが大きい、生命に直接かかわる事態が多いなど〜、という部分です。

 今、子育てや母の介護の経験により、よりそういう気持ちは大きくなっています。そして、それは人にはできない体験であり、貴重な経験であり、僕を人として獣医師として成長させてくれている一つの要素になっていると思います。それは、妻にも、そして子供たちにも同じことが言えると思います。

 でも、経験しなければいけない、分からないとは思っていません。僕は常々、医療従事者が自分の辛い想いから優しくなったり、病気や介護を経験したから患者さんの気持ちが分かると堂々と言うことに腹が立ちます。なぜなら、そんな想いをしなくても、そんな経験をしなくても、患者さんの立場になって考えることはできるはずですし、苦しいことや痛いことも想像がつくはずです。むしろそれができなければ、医療に関わってはいけない。

 話はずれますが、患者さんの立場になる必要もないと思っています。患者さんの立場になって考えたり、患者さんの想いを想像し受け止めることは絶対に必要なことですが、患者さんとシンクロしてしまってはだめだと思います。患者さん同情をしたり、一緒に涙することは人として素晴らしいと思いますが、僕らはそんなことを望まれてはいませんし、そんなことをしていたら患者さんの力になることも役に立つこともできません。僕らは冷静に、客観的に、そして的確にその患者さんに必要なこと、可能なこと、しなきゃいけないこと、してはいけないこと、これらを感じて考えるのが仕事です。

 話を戻します。もう一つの獣医療との相似点、それはご家族に関わっていただくこと、ご家族に考えていただけること、そして事実から目を背けずに一緒に歩んでいただけること、寄り添っていただくこと、これが一番大切なことであることです。そして、患者さんの満足だけでなくご家族の満足も大切であることです。

 医療行為には必ず負の部分もあり、その負の部分を補って余りある効果や症状の軽減、そして治癒が可能と考えるから医療行為を行います。ただし、老齢となった場合や重症度の高い疾患を患った場合、どうしても積極的な治療を行う必要があっても、行うべきなのか、行わない方が良いのか、負の部分が大きくなってしまう可能性や負の部分のリカバリーが難しい状況など、正しく判断しなければいけません。そのような場合、さらにターミナルケアや緩和ケア、救急救命処置の有無などどこまで行うのか、そこまで考えなければいけません。

 どうしても衰えや死というものは避けられないもので、考えたくない、目を背けたいという想いもあると思いますが、その部分をしっかりと受け止め、できる限り尽くしてあげること、これらがあれば後悔しないのではないでしょうか。

 僕は、自分が病気で死を覚悟したこともありますし、父の死に際しても、母の介護と行く末を考えるときも、獣医師としての意識や矜持が根本にあって、自分を強く、そしてしっかりと支えてくれています。だから両親の今後を相談するとき、僕は「貴方たちの子供であり、だから僕は獣医師なんです」そう自分に語りかけながら、答えを出しています。

2017年7月13日午前2時 徒然なるままに
 書きたいことがあって、でもなかなかまとめることができなくて、とうとう1ヶ月が経ってしまいました。資料や事務的なものは更新しておりましたが、独り言、あきました。この間、いろいろなことがありました。

 妻と有馬温泉に旅行に行きました。数年前に有馬温泉を訪れた際、ホテルのバーテンダーさんと仲良くなり、ついで鉄板焼きのシェフと、そして地元のお店と仲良しが増えていき、今ではその友人たちに年1回の会いに行く旅行になっています。有馬温泉は、風情のある温泉街と豊かな自然、風光明媚、それでいて神戸や大阪にすぐに足を延ばせるという稀有な温泉地です。何度訪れても、新しい魅力や楽しみを見つけることができます。

 炎天下の甲子園で阪神のハッピを着て観戦、昨年に続き貧打線。日ハムの勝利の方程式にやられる寸前で諦めかけましたが、日ハム投手陣の自滅と阪神の粘りで、劇的なサヨナラ勝ち!六甲おろしをフルコーラスで唄い切りました。

 そして、僕を可愛がってくれていた叔母が急死しました。叔母が胆嚢炎を発症し、従妹は迷っておりましたが僕は内視鏡手術を薦めました。叔母は高齢で手術が危険を伴うことは分かっておりましたが、痛みの強い胆嚢疾患であり、痛みを訴えることができない認知症を患っていること、このまま死を待つだけの可能性が高いこと、この2点で僕は外科手術が良いと判断しました。結果が伴わず、従妹にも叔母にも辛い想いをさせてしまい、その責任の一端は自分にあるということは重々承知しておりましたが、やっぱり辛いです。

 最近では、学会は運営する側になることが多く、講演も講習会などで行うことが多かったのですが、今回は久しぶりに日本獣医麻酔外科学会で術前検査と麻酔前評価について講演しました。学会の麻酔疼痛管理委員会の委員であり、臨床家を代表する意見を述べる機会、講演1週間前は徹夜でスライド原稿を練り直し、ぎりぎりまで手直ししていました。徹夜に関しては、まあ、半年以上前から講演依頼があったのに、僕が進めていなかったのも悪いのですが。ひとまず講演は好評で責務を全うでき、ひと安心でした。

 仲の良い友人たちや当院のOBと神宮球場のデーゲーム観戦をしました。あいにくの雨で、しかもヤクルトは弱い、散々な日でしたが、楽しく呑みました!
 
 その後は、締め切りをとうに過ぎていた原稿を書いて、でもまだ全ては終わっておりませんが、そのままに恒例の植木市と朝顔市、ほおづき市、七夕祭りと続いてしまい、気が付いたらすでに7月半ば、やばいっす。

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